102 選ばせる
霊廟の地下とは思えぬほど自然に溢れた景色を目の前に、コスモスはゆっくりと瞬きを繰り返した。
噴水、東屋、色とりどりの花。
奥にある石碑と大きな木以外は、どこかで見た景色と一緒だ。
躊躇いもなく先に進む少女の手のひらの上でコスモスがぼんやりしていると扉が閉まった。
「え、ここってあの、魔術院の中庭に似てるというか、そっくり?」
「ええ、そうよ。この場所はフェノール王立魔術院の中庭を模して造られてるの」
「は?」
王妃が幼少時にフェノール王国に滞在していたことは知っている。しかし、王妃の歳から考えるとそれは数十年前だろう。
しかし、この場所に漂う空気は数十年そこらのものとは思えないくらい年月が経過しているように感じられた。
他の場所よりも精霊の数が多く、生き生きしている。
「そうね。混乱してしまうわよね」
「うん」
「王妃のことはどこまで知っているの?」
「どこまでって……」
「その様子だと、レサンタ王からも詳細は聞いていないのね。まぁ、当然と言えば当然かしら。けど、ここに向かわせるくらいだから話していると思ったけど」
「まぁ、見てきてねって言われたくらいだから」
王妃には何かあるのだろう。少女の口ぶりからそう察したコスモスは、そこまで私的なことに踏み入って欲しくなかったのだろうとフォローした。
コスモスの言葉に小さく笑った少女は石碑の前まで行くと足を止める。小高い丘に鎮座する石碑は古びていて彫られている文字も所々欠けていた。
質素な作りで周囲に花もなく、草がどこからか吹いてくる風に揺れるだけだ。
「祠の神子の力まで借りておいて、信用できないのかしら。それとも、後ろめたさに口外したくないのかしらね」
「え?」
「レサンタ国王妃ベリザーナ。彼女はここの墓守だったのよ」
王妃がここで墓守をしていた。
少女の口から語られる話にコスモスは首を傾げてしまう。
霊廟の墓守とは貴族がするものなのか、と考えればその思考を読んだかのように少女はゆっくりを首を左右に振る。
「うーん。まぁ、貴族じゃなくても王妃様にはなれるか」
「現国王の強烈なアタックのせいよね。ベリザーナは王妃になりたくなかったし、ここで静かに墓守ができればそれで良かったの」
「でも、王妃様になったんでしょう?」
「あの男、本当にしつこいんだもの。彼女が自分の妻にならなかったら、ここを潰すとまで脅したくらいだから」
これは話半分で聞いていたほうがいいんだろうかと悩みながらコスモスは相談ができる相手がいない現状に困っていた。
トシュテンとアジュールは上でコスモスのことを探しているのだろう。エステルは未だに何の反応もない。
敵という感じはしないが、この少女が何をしたいのかが分からない。
自分を認識できることをスルーしているコスモスだが、認識できる時点で只者ではないということは分かる。
見た目は可愛らしいゴスロリ少女なのに、と心の中で呟いて彼女は小さく唸った。
「そうは見えなかったけど、若い頃はやんちゃだったのかな」
「やんちゃ、ね。娘を犠牲にして妻を助けたくらいだから、執着は相当だと思うわ」
「物騒!」
「だって本当だもの。息子がいるから大丈夫だろうと思っていた王と、傷はいつまで経っても癒えなかった妻。いつの間にかその存在すらなかったことにされた娘」
面倒ごとに首を突っ込みたくはないが、王妃を助けるために必要なのだとしたら避けられないのだろう。
腹を括って情報だけでも入手しておいたほうがいいか、とコスモスは口を開いて少女に尋ねた。
「貴方が私と話をしたいって言ってたことって、それ?」
「それも、かな」
「オールソン氏とアジュールがいたらダメなの? アジュールは良くない?」
「だめ。私、魔獣って苦手なの。ごめんね」
本当にそれだけの理由なのかと勘繰ってしまうコスモスだったが、今大事なのは目覚めない王妃のことだ。
王妃の虚ろ病を治すための情報が欲しい。
それに王妃の過去が関わっているのだとしたら、少女の話を聞かねばならないだろう。
(城に戻って王様から話を聞ければ一番いいだろうけど、この子の様子からして素直に教えてくれそうもないからなぁ)
「それならしょうがない。それで、王妃様を助ける鍵は過去にあるの?」
「ええ。でも、それには人形がないといけないんだけど」
「え、人形?」
「心当たりあるの?」
「王妃様の精神世界に潜入した時に、手に入れたとは思うんだけど気づいたら持ってたって感じで……」
実際はどこで入手したのか分からないんだよね、と言うコスモスに少女はぐっと彼女を握るように手に力を入れ、顔を近づけてきた。
可愛い顔が良く見えるが、圧が強いとコスモスは驚く。
「今それどこにあるの? 持ってるようには見えないけど」
「あー。王様に渡したから城に……」
「はぁ!?」
「え、だって何なのか分からなかったし。王様は何か知ってるみたいだったから」
家族に渡したほうがいいかなと思って、とコスモスが少女の顔を窺いながら言えば少女は可愛らしい顔を歪めるようにして深い溜息をつく。
ぶつぶつと思案するように何か呟いている少女はコスモスを責めることはしなかったが、コスモスとしてはまずい選択をしてしまったのかと心配になった。
人形が必要ならば城に戻って王様から借りればいいだけの話だろうと思っていたコスモスが、少女の掌から降りようとするとしっかり掴まれて止められる。
どうやら離してくれないらしいとコスモスは周囲を見回した。
漂う火の精霊たちが心配そうにこちらの様子を窺っている。
古びた石碑の周囲には火の精霊とは違う精霊のようなものがフワフワと漂っていて、見つめていたコスモスは「ぎゃ」と声を上げた。
「どうしたのよ、叫び声なんて上げて。ここには魔物はいないから……って、あ」
「王妃様?」
「みたいね。魔物に捕らえられなかったのは流石と言いたいけれど、ここに来てしまうなら捕まりにきたようなものじゃない?」
「あー、王様はこの場所知ってるから?」
ならば尚更、外部の自分たちではなくもっと信用のおけるものに探索させたほうが良かったのではとコスモスは疑問に思う。
そんな疑問を一笑して少女はツンツンとコスモスを指でつついた。
「この状態の彼女を認識できるのは私や貴方くらいよ。あの男に彼女が見えるはずがない」
「断定…」
恨みでもあるんだろうかと思っているコスモスと少女の前で、ふわふわと漂っていた王妃の霊体のようなものが人の姿を取る。
眠っている姿しか見たことはなかったが、そこにいたのは間違いなく王妃であった。
「えっと、霊体?」
「そうね。魂。貴方達が探していたものよ」
「ええっ」
ここにいる王妃様の魂が肉体に戻らない限り、城にいる彼女は目覚めない。ならば、何とか説得して帰ってもらわなければいけないが、少女がそう簡単に見逃してくれるだろうか。
邪魔される気がしてならないコスモスが黙っていれば、少女は笑って掌の上にいるコスモスに笑いかける。
「連れて帰りたいんでしょう? 別に邪魔なんてしないわ。ただ、本人に帰る気があればの話だけど」
「霊廟には王子も来てるから……」
「ああ、親子の情でね」
王子が来ているとコスモスが言ったが王妃の表情は変わらない。
大事な息子がいると知ったなら、もう少し表情が変化するかと思ったが期待外れてコスモスはモヤモヤしてしまう。
そんな彼女を見下ろしていた少女は「ふぅ」と息を吐いて石碑の傍から離れようとしない王妃へ視線を移す。
「今ならまだ帰れるんでしょう? 貴方が帰りたいと思えば」
「……やっぱり、本人に帰る気がないなら無理ってこと?」
「薄々気づいていたのね。そう。無理矢理連れて帰っても王妃は目覚めない」
本人がそれを望まない限り王妃はずっと眠ったまま。
それはつまり、目の前の王妃に帰るつもりはないということだ。
愛する存在がいるなら戻るに違いないと思い込む自分が間違っているんだろうかとコスモスが不安になっていれば、少女が口を開いた。
「これ以上悪くはならないと約束するわ。だから、貴方は城に帰って目覚めるといい」
「……」
コスモスの想像に反して少女は王妃の魂に、肉体へ戻るようにと告げた。その声に反応したのか王妃は顔を上げ、少女を見つめると悲しそうな顔をしてゆっくり頭を左右に振る。
少女はその反応が分かっていたかのように「そうよね」と呟く。
「あの、王子も一緒なんです。貴方のこと心配していて、危険を承知で私達についてここまで来たくらい……」
「無理よ、コスモス」
「でも」
「まだ幼い王子のことは心配だろうけど、自分がいなくとも周囲がしっかりしているから大丈夫って顔してるもの。これは、とっくに腹決めた顔よ」
それは虚ろ病にかかる前からということだろうか。
そんな前から何かを決意していたということか。
王家の内情など知らないコスモスは、中途半端に首をつっこんでいる状況に眉を寄せた。王妃には王妃の事情があるのは分かる。
若い頃やんちゃしたらしい王に対しての憎しみに近い感情が未だ消えないのかもしれないし、少女が言っていた通り娘を亡くした傷が癒えていないのかもしれない。
その後産まれた王子でその傷が癒されるなんて思わないが、彼は必死に昏睡する母親を助けようとしている。
そんな姿を見ても、伝えても何も思わないのだろうかとコスモスは悲しくなった。
「ん? ふーん。あ、そうなの。まぁ、好きにすればいいと思うけど。私としては貴方が魔物にならないならそれでいいもの」
「なんて言ってるの? どうして貴方には分かるの?」
「あーちょっと待って。そっか、聞こえないのね。ええと、彼女に説明してもいい? あ、いいの」
王妃は少女の言葉に一つ頷くと、儚い笑みを浮かべてスッとその姿を消した。
ふわりと漂っていた魂が霧散してその気配も消える。
「えっと?」
「貴方に人形を持たせたのは王妃。貴方はそれを王に渡してしまったことをちょっと後悔しているようだけど、そうなるような流れを作ったのも自分だって彼女は言ってたわ」
「操られたりしてないんだけど」
「貴方の行動が読みやすいんでしょう? 人形を見つけたから、家族に渡さないとって」
それは当然のことなのではないか。
眉を寄せたコスモスは納得いかない様子で少女を見上げるが、彼女はにこりと笑うだけ。
「王妃の人選は当たったのね。そして自分が目覚めるか否かは王の選択に委ねることにした。結果、目覚めない事になったってだけよ」
「え? 王が目覚めない事を選択したってこと?」
「直接的にそれを選んだわけじゃないわ。人形をどうするか。ま、それ次第で愛する妻の運命が変わるなんて思ってないでしょうけど」
人形をどうするか。
その言葉だけで嫌な予感がする。
実際に確かめてみるまでは分からないが、王妃の魂が肉体から離れ目覚めることを拒否したということはそういうことなのだろう。
王はきっと、そうと分からず選択したのだと推測できる。
「あの人形はね、王妃が愛娘のために作った人形なのよ」
「なんとなく、そうじゃないかとは思ってた」
「そう。じゃあ、王の選択もどうなったか予想できるでしょ」
「王は娘を疎んでいたの?」
「妻と娘を天秤にかけて、妻を取っただけの話かもね。気になるなら本人に聞いてみたら?」
それは無理だろ、と思わず真顔で突っ込んでしまったコスモスに少女は楽しそうに笑う。
自分と少女の感情に落差がありすぎだと思いながら、溜息をついたコスモスを少女がふわりと宙に浮かせる。
突然何をするんだと慌てる彼女に少女はにこにこと笑顔を向けるだけ。
「え、何なの! 黒い靄の正体とか、一体貴方は何者なのかとか疑問が残ってるんですけど!」
「あぁ、黒い靄って……コレ?」
ふわふわと浮いたまま叫ぶコスモスに少女は掌から黒いものを出す。それは、靄というよりコスモスが良く知っているもので彼女は言葉を無くした。
想像通りの反応だったのか少女は黒い何かを多数出現させる。
「黒い蝶って……ええええ!」
「見るからに怪しい少女と黒い蝶。闘う?」
「まさか。貴方からは悪い気配を感じないもの」
「はぁ。そんなはっきり言われると困るわね。ま、まぁ、悪い気はしないけど」
ヒラヒラと舞うように飛ぶ蝶はコスモスを囲むように輪になると、静かに消えていった。
ソフィーア姫を襲い成人の儀を台無しにした黒い蝶とそっくりだが、嫌な気配はしない。少女がどうして黒い蝶を扱えるのかは疑問だが、聞いたところで答えてくれないだろう。
「貴方が本当に私に会いたかった理由って何? それとこれから私はどうすればいいの?」
「……面白い存在がいると噂で聞いたから会ってみたかったの。貴方は異質だから。それと、今後どうするかは自分で考えて決めて。私は結局、何もできなかったし」
「それは私が王様に人形渡しちゃったから?」
「そのことについてはさっきも話したわ。そう望んだのは彼女で、貴方は彼女の思うままに行動しただけだって」
そうは言うが自分がそうなる要因を与えてしまったことは事実だとコスモスは呟いた。
見るからに落ち込んでいる様子のコスモスに、少女はくすくすと笑ってケープを揺らす。
「王妃に利用された、とは考えないの?」
「あぁ、そうなのかもしれないけど。けど、行動したのは私だし」
「思った以上に面倒くさいのね、貴方。もっと能天気かと思ったけど」
「そうなれたら苦労しないわ!」
「ふふふ。でも良かった」
全然良くないと呟いて項垂れるコスモスに少女は周囲を見回して僅かに目を細めた。宙に浮かぶ人魂を捜して近づく気配を感知したのだろう。
当の本人は、ふわふわと浮いたまま気づいていない様子だが。
「早く帰るのをおすすめするわ。それと、縁があったらこの先また会うかもしれないわね」
「あ、ちょっと!」
まだ聞きたいことや話したいことがあるのにと少女に近寄ろうとしたコスモスだったが、スッと少女の体をすり抜けて地面に激突してしまう。
勢いをつけすぎたと慌てて体勢を立て直した彼女が振り返った時には少女の姿は消えていた。
「え、放置?」
ここからどう戻れというのかと愚痴っていれば、扉が開く音が響き見覚えのある顔が見えた。
他の姿を探すが、残念ながら一人しかいない。
珍しく慌てた様子でこちらへ向かってきた人物は、地面に転がっているコスモスを見つけて膝をついた。
「御息女、ご無事なようでなによりです」
「どうも。他の二人は?」
「アジュール殿は強力な結界に阻まれてここまで到達できなかったので留守番を。彼だけでは不安でしたので王子にも待機してくださるようお願いして参りました」
霊廟内には入れたがここまで到達できなかったアジュールは仕方がない。
王子も連れてくるよりはその場に残したトシュテンの判断は間違っていないとコスモスは溜息をつく。
王妃とやり取りをしたこの場に、王子を連れて来たくないと思ってしまったのだ。
そんな自分に顔を歪めながら、コスモスはトシュテンを見上げる。
「なにか、あったのですか?」
「あったと分かっていてそう聞いてくるの、本当にイイ性格してますね」
「お褒めに与り光栄です」
相変わらず色々と胡散臭い部分はあるが誰にも相談せず最悪な事態になるよりマシだろう、とコスモスはここであったことを彼に説明する。
しかし、黒い少女のことはなんとなく伏せてしまった。
何かに導かれるようにここまでたどり着いて、王妃の魂と出会って会話したことを話すと静かに話を聞いていたトシュテンは顔色一つ変えずに「そうですか」と告げた。
「レサンタ王が何か隠しているとは思っていましたが、想像以上に根深いようですね。王子を連れてこなくて正解でした」
「オールソン氏は何か知っているの?」
「何故でしょう? 私はしがない神官ですよ」
「えー」
「とりあえず、城に戻りましょう」
差し伸べられた手を見なかった事にして、コスモスはふわりと浮くとそのまま出入り口の扉へと向かっていく。
無視されてしまった手を見つめトシュテンは残念そうな顔をすると彼女の後を追った。




