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09 金髪碧眼は王道です

 窓から吹く風は穏やかで、目の前に広がる景色は懐かしいものだ。

 まるで、あの頃に戻ったかのような感覚に青年が笑みを浮かべていると眉間に皺を寄せた従者に窓を閉められる。

「何をする」

「御身をお考えください。いくら長年の付き合いがある国とは言え何があるか分かりません」

「……私はいずれこの国の人間になる。お前は心配性だな」

 自分の立場が分かっていないわけではない。けれど、ここは昔からよく知る国だ。つい気が緩んでしまうのも仕方ないだろう。

 それに、将来この国の一員になる自分に刃を向けるようなものはいないだろうという自信があった。

「王子、まだそんな事をお考えなのですか?」

「悪いか? 私の事は私が決める。両陛下も兄上たちも、私の意思を尊重するとおっしゃっている。お前が口を挟む筋合いはない」

「……」

 軽く睨まれた従者はため息をついてお茶の準備を終えた部下を下がらせる。

 どうしてここまで一人の人物に固執するのか、と従者は溜息をついた。

 幼い頃に婚約したとは言え、彼女よりも好条件の相手はいる。

 まともに会うこともできないというのに、生真面目にその約束を守ろうとしている主が滑稽に見えて従者は首を傾げた。

「もう随分とお会いされていないというのにですか?」

「たかだか五年だ。大したことじゃない。見ず知らずの相手といきなり結婚することもあるのだから、それに比べれば幸せ過ぎるほどさ」

 長年友好関係を結んでいるお陰で両国の王族も仲が良い。

 幼い頃から訪れることの多いこの国は、彼にとっては第二の故郷のようなものだ。

 三歳年下の妹のような少女とは歳が近いせいもあって一緒に過ごすことが多かった。

 とは言っても少女はとても病弱で部屋から出ることもままならなかったので、彼が部屋を訪れては本を読み聞かせたり自国の話をしたりしていた。

 花を摘んでは図鑑と照らし合わせて彼女と学びながら談笑し、部屋の窓から見える位置で稽古をつけてもらったりもした。

 少女との婚約が正式に決まったときも驚きはしなかった。

 寧ろ自分以外で誰が彼女を守り、幸せにするのかと本気で不思議に思ったくらいだ。

「面会拒否されているというのに、貴方という方は…」

「会えないからどうした。儀式を終えるまではという気持ちはよく分かる。それに、手紙のやり取りは頻繁にしているから、何も心配はしていない」

 蜂蜜色の髪を揺らしながら彼は綺麗に微笑む。金に縁取られた青の瞳が僅かに揺らいだのを見て、従者は苦笑した。

 もしかしたら何かあるのではないか、と疑うことを一切しない主は本当に甘いとでも言いたげだ。

「本当に王子は一途でいらっしゃる。貴族や他国王家からの求婚話も数ありますのに」

「悪いけど、約束をしたのはソフィーが先だからね。とは言っても、半ば一方的に私からなんだけど」

「幼い頃は今よりも積極的でしたからね」

「ケビン」

 幼少時から自分を良く知る従者のケビンの言葉に王子の表情が少しだけ曇る。昔の事を思い出したのだろうか、懐かしそうに目が細められ彼は小さく笑った。

「二人で屋敷から出ようとする度に先回りして悉く潰されたな」

「当然でしょう。ソフィーア姫は病弱でいらっしゃるというのに、王子ときたら外に連れて行ってあげたいなどど安易な同情心で……」

「分かってるよ。あの頃の私がいかに愚かだったかというのはね」

 ただ、世界はもっと大きく広いのだと見せたかっただけだ。それが敷地内の庭だとしても。

 体調のいい時を狙い、ぬいぐるみを彼女の代わりにしてベッドへ寝かせこっそりと部屋を抜け出したところまでは良かった。

 体力の無い彼女を気遣うようにゆっくりと、慎重に屋敷内を移動し使用人たちを避けながら裏口へと向かう。

「部屋を出た時から既に尾行されてたなんて」

「アルヴィ様は楽しそうにしておられましたけどね」

「イスト様には凄く怒られた。未だにあの人根に持ってるみたいだから」

 いつも穏やかな表情をしているアルヴィとは違って、イストは妹を非常に可愛がっており幼い頃から王子に睨みをきかせていた。

 今回も城で彼らに会ったので挨拶をしたが、それぞれが相変わらずの対応で笑いそうになってしまった。

 挨拶に粗相があったわけではない。

 しかし、相変わらず自分はイストに嫌われているんだなと彼は溜息をついた。

 弟の態度はアルヴィが丁寧に謝罪してくれたが、王子としてはイストの態度が変わっていなかったので安心してしまったくらいだ。

 妹であるソフィーアを大事に思うが故の言動だと理解しているからだろう。

 しかし、彼女を大切に思っている気持ちなら王子も負けない自信がある。

「イスト様はソフィーア様が心配なのでしょう。病弱な妹を己の我儘で無理矢理連れ出した王子と捉えられても仕方が無いでしょうし」

「ああ、その通りだ」

 ソフィーアに直接外の世界に触れて欲しかったのだと言っても他者から見れば、権力の強い少年に病弱な少女が強制的に連れられたとしか見えないだろう。

 幸い、彼女の家族は非常に優しく好意的であり王子もそれほど怒られずに済んだのだが、だからこそ感情のままに自分を叱ったイストは強烈だった。

 例え家族の一員に加わったとしてもそれが変わるとは思えなかった。

「ソフィーア様はずっと王子を庇っておられましたからね」

「情けないよ本当に。私のほうが年上なのに、彼女の方が大人だった。きっと、今も昔も変わらないだろうね」

 部屋から出られずとも、屋敷の外へ滅多に出る事が無くとも彼女が文句を言った事はないらしい。父や兄、彼女の侍従たちから外の話を聞いては満足そうにしていると言っていた。

 それはきっと、自分が彼女に自国の事や遠出した際の事を話す時と同じなのだろうと王子は小さく笑う。

「懐かしさが募ってもどかしいね。早く会いたいな」

「神聖なる儀式ですからね。王子はエテジアンの代表として参列するのですからお忘れなく」

「判っている」

 たかが五年。

 されど、五年。

 一体彼女はどのように成長しているのだろうかと思う反面、不安もあって王子は心配そうに教会がある方面を静かに眺めていた。




 ふわふわ、と浮かびながらコスモスは王都を見下ろしていた。

 息抜きと好奇心から王都へやってきた彼女だが想像した以上にお祭り騒ぎで、見ているだけで楽しくなった。

 ソフィーアとマザーから聞いていた通り、警備も厳重で王都を守るように半円状の守護結界も張られている。

 思っていたよりも薄くて大丈夫なのかと心配してしまったコスモスだが、マザーが何も言わないので大丈夫なんだろうと一人頷く。

 魔物の侵入を防ぐ結界に弾かれたらどうしようかと心配もしたが、それも杞憂に終った。

「ええと、ソフィーが言うには城に近い場所にあるらしいから」

 きょろきょろと周囲を見回しながら目的の建物を探しながら高度を落とす。

 鮮明になってくる人々や建物を目にしながら、美味しそうな香りに涎が出そうになりコスモスは慌てて口元を拭った。

 この身になってから食事を摂らなくても平気になったコスモスだが、人としての感覚を忘れそうなので毎日きちんと食べている。

 それについてマザーが何も言わないのは、彼女の不安を察しているからだろう。 

「盛り上がってるな。記念切手に記念硬貨。姫の肖像画に銅像、凄いな」

 儀式に便乗して笑ってしまうような商売も多数見受けられる。

 そして屋台から香る見慣れぬ食べ物の美味しそうなこと。

 コスモスはそれらの味を想像しながらフラフラと近づいていったが、首を横に振ると少し上昇して勢いよく宙を蹴った。

「駄目だ、駄目。じっくり観光するのは儀式が無事に終ってから」

 そう自分に言い聞かせるコスモスは風と一体化しているような感覚になりながら、ぐるりと王都を一周した。

 二週目に差し掛かったところで、頭上のケサランが鳴く。

「キュル」

「うん、不穏な気配は特になし」

「キュルル」

「いや、お金持ちの不倫とか浮気はどうでもいいわ」

 関係ないし、と呟きつつもバルコニーで愛人らしい女性とキスをする小太りの男性を見つめる。

 愛人が落としたスカーフを見つけたコスモスは、刺繍をしている女性がいる部屋へとスカーフを滑り込ませた。

 魔力の練習です、と誰にでもなく言い訳をしながら暫く様子を見ていると修羅場がやってきた。

 愛を語り、欲しいものを聞く小太りの男性が簡単にバルコニーから落ちてゆく。

 綺麗に刈り揃えられた牛のような動物のトピアリーに落ちた男性は、軽くバウンドして芝生に転がった。

 バルコニーを見れば愛人が失神している。その隣では刺繍をしていた女性が綺麗な笑顔を浮かべて、庭に転がる男性を見下ろしていた。

「キュル、ル」

「なるほど。婿養子か。終ったね」

「キュル」

 落ちた男性は軽傷で済んだらしく、芝生に顔を埋めながら土下座している。しかし、妻らしい女性は小さく鼻で笑うと部屋の中へ入ってしまった。

「魔力の制御も順調ですから、次に行きましょうか」

「キュルゥ」

 鼻歌を歌いながらその場を去るコスモスは、目当ての建物を見つめてその周囲をくるくると回る。

 王都内にある高級ホテルはここくらいしかなかったので見つけやすかった。

 あとは、ソフィーアの婚約者を探すだけなのだが近くにいた風の精霊がその人物を教えてくれる。

 便利だなと思いながら静かに近づいたコスモスは、彼を見て思わず目を擦ってしまった。

「金髪碧眼の王子様……ザ、王子様! って感じだね」

「キュル」

 無言で佇む姿も絵になるその人物は、窓の外をじっと見つめていた。

 視線を辿れば教会が見えたのでソフィーアのことを思っているんだろうかとコスモスの顔がにやけてしまう。

「それにしても、城に泊まるんじゃないのね」

 他の来賓もこのホテルに泊まっているんだろうと思いながら、コスモスはそっと彼に近づいていく。

 今まで出会った人と同じであれば、コスモスが周囲をうろちょろしても気づかないだろう。

 様子を窺いながら青年の視界を邪魔したり、すり抜けてみたりしたコスモスは彼の無反応に小さく頷いた。室内でお茶を飲んでいる従者も気配を察した様子はない。

「やっぱり、駄目か」

 自分の完璧な透明人間らしさに寂しくなりながらもコスモスは軽く頭を下げて退室した。

 目的は達成したのであとは教会へ戻るだけだ。

 彼女が外に飛び出ると、頭上のケサランが鳴いて何かを知らせる。

「ん? あぁ、蝶ね。最近よく見るなぁ」

「キュル」

 嬉しそうに鳴くケサランの声を聞きながらコスモスがぐるりと周囲を見回すと、あちこちに美しい蝶の姿があった。

 それを見つけた人々も嬉しそうな顔をして「幸福の蝶だ」と言う。

「幸福の蝶、ね。姫のお祝いに来たのかな?」

「キュル!」

 そうに違いないと力強く頷くケサランに微笑みながら、縁起がいいとコスモスは近くを飛んでいた蝶へ手を伸ばす。

 しかしその指は蝶をすり抜けてしまった。

 砂のように形を崩す蝶に眉を寄せるコスモスは、自分の手を見つめて他の蝶へと視線を移す。

「制御がうまくいってないのかな」

 害を加えるつもりはなかったが、その命を奪ってしまった。

 いとも簡単に消えてしまった蝶に衝撃を受けながら彼女は首を傾げる。

「あとでマザーに相談してみるか」

 自分を避けるように飛ぶ蝶には気づかぬまま、コスモスは王都を後にした。 



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