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15/20

15.彼女の秘密

 私達の初めてのデートは、大成功だったと思う。

 終始ご機嫌だったリアム様は、帰りの馬車の中で「クララとの初めてのデートに浮かれていた」と言っていたし、その言葉に嘘はなさそうだった。


 そんなリアム様の姿に背中を押されて、私は「手を繋ぎませんか?」と自分から提案したのだけれど、彼はそれに対して信じられないといった様子を見せていた。

 掠れた声で発せられた「……いいのか?」という言葉は喜びと期待に満ちていたし、その後彼は私の手を宝物に触れるかのような丁寧さで握り込んだ。


 この時だけではない。

 私がこの屋敷に来てから、リアム様は言葉と行動の両方で私を特別に大切にしてくれている。そんなリアム様を前にして「私はお姉様の代役でしかない」と自分を卑下するのは、もはや失礼だと思うくらいに。


 断言するけれど、今のリアム様にとっての〝愛する人〟は、間違いなく私だ。

 様々な功績を立ててまで貫こうとしたお姉様への想いが全くなくなったとは思わないけれど、過去のものとして吹っ切れているに違いない。


 実家から手紙が届いたのは、私がそんなふうに思い始めた頃だった。

 来月に迫った父の誕生日について書かれたその手紙には、今年は大々的なパーティーは行わず、家族でひっそりとその日を祝う予定である旨が記されている。おそらく、姉が死んだことになっているからなのだろう。


「来月に、一度実家に帰らせていただくことは可能でしょうか? 父の誕生日なのです」

 帰って来いと書かれていたわけではないけれど、できることなら私も顔を見て父の誕生日を祝いたい。

 そんな思いから帰省を申し出た私に、リアム様は「もちろんだ」と即答した。


「公務の都合上、私が同行することはできないが、おめでとうと伝えておいてくれ」

 彼はそう言うと、少しだけ考え込んだ後で「……もしもクララが望むのであれば、数日間滞在してきても構わないからな」と付け加えた。

 その言葉もリアム様の本心ではあるだろうが、彼の渋い顔からは私に早く帰って来てほしいと思っていることがありありと伝わってきて、私はついつい笑ってしまう。


「リアム様のお誕生日ももうすぐですね」

「ああ。パーティーには婚約者として出席してもらうから、忙しくさせてしまうだろう」

 リアム様は「すまないな」と謝罪の言葉を口にするけれども、私は「いいえ」と首を振る。

「忙しいのはわりと得意ですから。それに、今回は私も特に頑張らないとと思っています」

 私がそう言うと、リアム様は眉間に皺を寄せた。


「必要以上に気を張らなくてもいい。クララは昔から、放っておくと頑張りすぎてしまうからな」

「リアム様の婚約者として初めて出席するパーティーですもの、頑張らせてください。それに、婚約者として出席する生誕パーティーは、今回だけかもしれませんしね」

「は?」

「来年は公爵夫人になっているかもしれないでしょう?」

 その言葉を聞くや否や、リアム様は堪らずといった様子で私を正面から抱きしめた。


 少し前からリアム様は、「触れてていいか」と聞かずに私を抱きしめるようになったし、私に触れる手つきも恐々としたものではなくなった。

 はじめのうちは息をするので精一杯だった私も、今では自然にリアム様の身体に手を回すことができるようになっている。

 そしてそんな変化を、私は心から嬉しく感じているのだ。


「来月の誕生日が待ち遠しいな」

 その言葉と共に、リアム様が私の頭のてっぺんに口付けを落とす。

 それに応えるように、彼の身体に回した腕に力を込めると、頭上からは小さく笑う声が降ってくるのだった。


 ◇◇◇


「クララ、よく来てくれた」

 父の誕生日の前日。二泊の予定で帰省した私を出迎えた父は、姉が出て行った直後に比べると、随分と顔色が良くなっているように思われた。


 屋敷に着いた私を見るなりぎょっとした表情を浮かべた兄は、「……上から下まで真っ青だな」なんてことを呟いていた。

「リアム殿下とは上手くやっているか?」

「はい。リアム様をはじめ、お屋敷のみなさんにも良くしてもらっています」

「ならいいんだが。もしも何か不自由に思うようなことがあれば、私から進言することもできるから、遠慮なく言うんだぞ?」

「……? はい」

 兄が何を心配しているのかはよくわからなかったけれども、私を思っての発言であることだけは理解できたので、素直に頷いておくことにした。


 そんなふうに、本来であれば目が回るくらいに慌ただしいはずの父の誕生日の前日を、私達は例年では考えられないくらいに穏やかに過ごした。

 公爵邸での生活について尋ねられた際には、マリーが〝いかにクララ様がリアム殿下から愛されているか〟について熱弁しだすものだから、私としては勘弁してほしかったのだけれども、両親も兄もその話を聞いて心底ほっとしたような表情を浮かべていたので、「……おかげさまで」と言うに留めておいた。


「クララ様」

 執事長から呼び止められたのは、そんな家族での団欒も一段落した時のことだった。

「クララ様宛のお手紙が、いくつかこちらに届いております。どれも返信を急ぐものではなさそうでしたが、クララ様のお部屋に置いてありますので、お手隙の際にもお目通しください」

「わかったわ、ありがとう。この後さっそく見てみるわね」


 そんなやりとりを経て部屋に入ると、テーブルの上には言われていた通りに手紙の束が置いてあった。

 一つ一つに目を通すけれども、どれも仲良くしているご令嬢からのお手紙で、姉が亡くなったことを気遣う言葉や、リアム様の婚約者が私であったことへの驚きの言葉が書かれている。


 そんな中、とある一通の封書を目にした私は、ぴたりと手を止める。

【クロフォード公爵閣下】

 封筒に書かれたその文字を見て、私は息が止まるかと思った。

 差出人の名前はない。けれどもその文字は間違いなく、見慣れたお姉様の文字なのだから。


 いくら家族間であれ、侯爵家当主宛の手紙が別の人間の手に渡るなどというミスは、本来許されるようなものではない。

 けれども、今まで一度も起きたことのないようなこんなミスが、よりにもよってこのタイミングで発生した結果、この手紙が私の手元に紛れ込んでしまっていたのは、神の采配によるものなのかもしれない。


 そんな言い訳をしながら、私はその手紙の封を切る。

 いけないことだとはわかっているけれども、これを見なかったことにするなんて、私にはできない。

 震える手を押さえ込み、手紙を広げると、美しい文字で書かれた短い文章が目に入ってきた。


【ただいま私の住む辺りでは、季節の花が見頃を迎えております。かつては侯爵閣下並びにご家族の皆様と共に見ていたその花を、今は夫と共に眺める日々でございます。】

 他人行儀に書かれているのは、おそらく万が一他者に見られても姉からの手紙だと確証を持たせないようにするためなのだろう。


 内容は、本当に大したことがない。

 念のために透かしてみたり、縦に読んでみたりもしたけれど、重要な暗号が隠されている……なんていうこともない。

 だからこそ、この差出人から手紙が定期的に送られてきていることが察せられる。

 そのことに気づいた途端、私の心臓がばくばくと音を立てるのがわかった。


 もちろん、差出人の住所は書かれていないし、父が姉の居場所を知っているかはわからない。

 けれどもこうして手紙が送られてきているのだから、居場所を特定しようと思えばできるはずだ。その手紙が定期的なものであるのならば、なおさら。


 なぜお父様が、それをしていないのかはわからない。ひょっとするとこれ以上の混乱は避けるべきだと、国や領地のことを考えての判断なのかもしれない。

 ……でも、リアム様の気持ちはどうなるの? 数多の功績を残して姉と結ばれたいと願ったリアム様の、一途で深い想いはどうなるの?


 現状を考えると、たとえ姉の居場所がわかったとしても、姉とリアム様が皆に祝福される形で結ばれることは、不可能だとは思う。

 それでも、姉が逃げ出す形で一方的に終わらせてしまった二人の関係が、今のままでいいとは思えない。

 私のエゴにすぎないのかもしれないけれど、できる限り誠実な態度でリアム様の想いに向き合うことが、姉や、私達家族がすべきことなのではないだろうか。


 そう考える一方で、すぐにでもそうすべきだと主張できないのは、私がすでにリアム様から与えられる愛情に慣れきってしまっているから。

 それを手放すだけの勇気が持てない私は、ただ呆然と立ち尽くす。


 私は、リアム様に愛されている。彼は、お姉様への想いを過去のものとして吹っ切っている。

 しかし、それはお姉様がもはや手の届かないところにいってしまったと思っていたから。お姉様を連れ戻す手立てがある場合にでも、同じであるとは言い切れない。


 私は、リアム様に愛されている。だから、彼の「愛する女性を妻に」という願いを叶えることだってできる。

 けれどももし、彼の真の願いが「グレースを妻に」だったなら、お姉様ではない私には、一生賭けたってその願いを叶えてあげることはできない。


 私は、リアム様に愛されている。そして、私はリアム様を愛している。私達はきっと、良き夫婦になれるはず。

 けれどもこのまま、この手紙を見なかったことにしてリアム様と結婚することが、彼の本当の幸せに繋がるのだろうか。

 

 ……私はどうするべきなのだろう。

 とんでもない秘密を抱えることになってしまった私は、手の中にある手紙に視線を落とし、途方に暮れることしかできなかった。

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