14.彼の期待
「ありていに言うと、デートのお誘いです」
その言葉が聞こえてきた時、はじめは都合の良い聞き間違いかと思った。
けれども、上目遣いでこちらを窺うクララの、期待と緊張が入り混じったような表情が、先ほどの言葉が私の幻聴ではないことを示している。
悪戯っぽく細められた目から、彼女が私に心を許していることを感じられて、私は思わず右手で口元を覆う。
もちろん、デートの提案そのものも嬉しい。けれどもそれ以上に、グレースの真似をして空回っていたクララが、デートの提案ができるまでに自分に自信をつけていることが、何よりも嬉しいのだ。
「楽しみだ」
そう言った私は、おそらく緩み切っただらしない顔をしていたことだろう。
けれども今はもう、口元に力を入れて表情を取り繕うようなことはしなかった。
◇◇◇
そして迎えたデート当日。
クララは、私が贈ったワンピースのうちの一つを身につけていた。もっと言うと、それは贈った三着の中でも、一番私の瞳の色に近い濃青色のワンピースだった。
「どれもとても素敵だったんですが、一番私好みだったのがこの服なんです」
彼女はそのまま両手を左右に広げると、「どうでしょうか?」と尋ねてきた。
「よく似合っている。天使が舞い降りたのかと思った」
私は本心からそう言ったのだけれど、クララは「そこまでいくと嘘っぽいです」と言って笑った。
「ですが、張り切ってお洒落したので嬉しいです。リアム様との初めてのデートですから」
はにかみながらそんなことを言うクララは、やはり私の目には天使のように見えた。
「だが本当に、街中を歩くだけでいいのか?」
「はい。前にもお伝えしましたが、この地をリアム様と一緒に見て回ることが、今回のデートのテーマなので」
彼女はなんでもないことのようにそう口にするけれど、「今回の」ということは次回があるということ。
クララが考える未来の中に、当然のように自分が存在しているという幸せを、私はひそかに噛み締める。
「そうだな……今回は、そうしようか」
「……? はい」
わざと「今回は」を強調した言い方に、クララは一瞬不思議そうな顔をしたのだった。
クララと共に歩く街は、新鮮でありながらもどこか懐かしい。
いくら幼い頃からの付き合いだとはいえ、長らく〝兄姉の婚約者の弟妹〟でしかなかった私達は、その期間に二人で外に出掛ける機会など当然なかった。
それゆえに今回、どの場所もクララと共に訪れるのは初めてなのだが、思い出に結びつくものは街中の至るところにある。
「あのお花屋さん、少し寄ってもいいですか?」
「ああ、もちろんだ」
店先に並ぶ様々な花を、目を輝かせながら眺めるクララの表情は、昔からさほど変わっていないように感じられる。
いつだったかクララが発した「庭園を眺めるのが大好きです」という言葉をきっかけに、かつての私達は頻繁に王宮の庭園を散歩したものだ。
そういえばあの頃、クララは熱心に花言葉を覚えていた。自惚れでなければ、きっかけは私だったはずだ。
「フリージアの花言葉は『友情』だそうですよ」
ある時、庭園に咲いた花を見て、クララはそう言った。
バラに『愛情』という意味があることくらいしか知らなかった当時の私は、「よく知っているな!」と手放しで褒めたことを覚えている。
以来クララは会うたびに、新しく覚えた花言葉を披露してくれたり、「同じ花であっても色によって意味が異なるんですよ!」などということを教えてくれたりした。
「クララは今でも、花言葉には詳しいのか?」
私がそう尋ねた理由に、クララもおそらく心当たりがあるのだろう。
「今は、まあ、それなりに……。あの時は、リアム様に褒められたのが嬉しくて舞い上がってしまって……」
頬を赤らめて言い訳のようなことをする彼女が可愛らしくて、私は行く先々で似たようなことを繰り返した。
「そういえば一時期、クララはフラワーシードルばかり飲んでいたな? あれはなんだったんだ?」
「あれは……当時読んでいた小説にシードルが出てきまして、『私も飲んでみたい!』と頼み込んで出してもらっていたのです。当時の私にとっては酸味が強くて、あまり好きではなかったんですけどね」
「私達が知り合って間もない頃だったと思うが、クララが何度か王宮にぬいぐるみを連れて来ていただろう? あのうさぎは今どうなっているんだ?」
「あの子は、今も実家の自室に置いています。こちらに連れて来ようかとも考えたのですが、さすがに子どもっぽすぎるかと思いまして」
「クララにとって大切なぬいぐるみなのだろう? 遠慮する必要はない」
「いまさらにはなるが、寝衣にボタンはついているか? 確か、赤ん坊からの癖でボタンを触りながらでないと寝つけないと言っていただろう?」
「いつの話をされているんですか!? さすがに今はボタンなしでも眠れるようになりましたよ!?」
ほんの些細な記憶でさえ、クララと共有できていることが嬉しくて、私はデート中ずっと話をしていたように思う。
「リアム様、今日はなんだかお喋りですね」
帰りの馬車の中では、くすくすと笑うクララにそんなことを言われるくらいなのだから、相当だったのだろう。
「クララとの初めてのデートに浮かれていたからな」
「本当に?」
「本当だ。なんなら昨夜は楽しみすぎて、なかなか寝付けなかったくらいだ」
「……意外です。リアム様は、いつも余裕があるように見えるので」
クララの言葉に対して「幻滅したか?」と問い掛けると、彼女はふるふると首を横に振る。
「むしろ安心しました。私ばかりがいっぱいいっぱいなのかと思っていたので」
クララはそう言うと、開きかけた口を一度閉じ、少し迷うような素振りを見せた後で、すぐ隣に座る私を下から覗き込んだ。
言いたいことを呑み込んだようなその仕草に、「何か悩みがあるのだろうか?」と心配になったのだけれども、どうやらそんなふうでもない。
ではなぜ……と、そう考えていた時だった。
「……手を、繋ぎませんか?」
再び開かれた彼女の口から発せられたその言葉に、身体中の血がぶわりと沸き立つような心地がする。
思わず視線を彷徨わせた挙句、目に入ったのが彼女の白く小さな手だったので、喉の辺りから「ぐうっ」という変な音まで漏れてしまった。
我ながら、随分と情けない反応だとは思う。兄に知られたら笑い飛ばされることだろう。
王太子である兄ほどではないにせよ、私も第二王子という立場上、パーティー等では女性と踊る機会だって多々あった。もちろんその際には、相手の手だって握っていたし、そこに〝照れ〟などという感情は生まれなかった。
けれども、これはそれらとはまるっきり別物だ。
もちろん、相手がクララであるということも大きい。
そしてそれと同じくらいに重要なのは、〝手を繋ぐ必要などない場面で〟〝彼女の側から〟の提案であるということなのだ。
「……いいのか?」
私が掠れる声でそう聞き返すと、クララは目元を緩めて「私がお願いしているんです」と答えた。
その言葉に促されて握ったクララの手はじんわりと温かく、握り潰してしまいそうなくらいに小さい。
「ちょっとのことでは壊れませんからね?」
そう言いながらぎゅっと手に力を込めるクララは、おそらく彼女を抱きしめる際に、私が散々怖がっていたことを思い出しているのだろう。
「今日は、本当に楽しかったです。また一緒にお出掛けしましょうね」
「もちろんだ、約束する」
「食い気味に即答されるとびっくりしちゃいます」
クララが「もう慣れましたけどね」と言って笑うものだから、彼女の膝の上に置かれた小さな紙袋がかさりと音を立てる。
「……本当に、それだけでよかったのか?」
このデート中、クララが唯一欲しがったそれに視線を落としながら尋ねると、彼女は満面の笑みを浮かべて「はい」と答えた。
「丁度欲しいと思っていたところだったんです」
彼女はそう言うと、赤色の刺繍糸が入ったその紙袋を大切そうに握りしめた。
「クララが刺繍をしているイメージはないのだが、昔から好きだったのか?」
私が尋ねると、クララは少しだけ困ったような顔をして「いいえ」と答える。
「今も『好きか』と問われると自信を持って頷くことはできません。ですが、ようやく楽しくなりはじめてきたところです」
そう言う彼女はなぜか誇らしげで、花言葉の知識を褒められた彼女の姿を思い起こさせた。
しかし今のクララは、私の顔を見て無邪気に笑っていたあの頃とは違う。
私の手の中にある彼女の手はしっとりと汗ばんでいるし、髪の隙間から見える彼女の耳元はほんのり赤らんでいる。
そして何よりも、緊張のためかいつもより饒舌なクララを見ながら私は思うのだ。
「クララは私のことを、異性として好いてくれているのではないだろうか?」と。




