11.彼女の日常
「そのままのクララが好きだ」
リアム様が私に対して、事あるごとにそう言うようになってから、しばらくが経った。
事あるごとに……というよりも、ほぼ毎日。いや、毎日。
その言葉を単なる文字の羅列としてとらえれば、私が幼い頃から何度も言われてきたものとなんら変わりがないのだけれど、以前のリアム様から伝えられるそれと今のリアムさまから伝えられるそれとでは、おそらく中身が全く違う。主に、そこに含まれる熱量や色っぽさが。
それゆえはじめのうちは照れてしまって、どう反応すべきか随分と戸惑った。
あまりに真っ直ぐなリアム様の視線から、その言葉が彼の本心であることが伝わってくるからこそ、一時はリアム様を意識しすぎて、一日中彼を避けてしまうことすらあった。
しかし慣れとは恐ろしいもので、今ではしっかりと目線を合わせて「嬉しいです」と答えられるようになっている。
もちろん、おざなりに済ませているわけではない。
リアム様が毎日真剣に伝え続けてくれるおかげで、その言葉を、そしてそこに含まれている諸々を、素直に受け取れるだけの自信がついたのだ。
それを思うと、私達の関係はゆっくりとだけど、変わりつつあるのだろう。
もちろんこの変化は、リアム様によってもたらされたのだ。
あの日約束した通り、私達の関係を〝夫婦〟に変えていすくために、リアム様は私に歩み寄ってくれてる。
そんな彼の尽力に応えるためにも、私にも何かできることがあるはずだ!
そう意気込んではみたものの、私一人の頭では大した案も浮かばない。
なんらかの行動を起こすにせよ、何かをプレゼントするにせよ、第二王子であり公爵家当主であるリアム様が何なら喜んでくれるのか、さっぱり見当もつかない。
恥を忍んでマリーやマークに相談もしてみたけれど、どちらからも「クララ様が何をなさっても何を贈られても、きっとリアム様はお喜びになりますよ」という、有能な二人にしては珍しくなんの参考にもならない答えしか返ってこなかった。
「マークは幼い頃からリアム様を側で見て来たのでしょう? 何かありませんか?」
切羽詰まっていた私は、マークにそう詰め寄ったりもした。
「本当に、クララ様からのお誘いであれば、リアム様は皿洗いであろうと喜んでなさるでしょうし、クララ様からの贈り物であれば、糸屑一本でも生涯大事になさいますよ」
「……嘘をつくにしても、もう少し上手くついてくれません?」
「……嘘ではないのですが、クララ様がそう思われる気持ちもよくわかります」
そう答えるマークはなぜか疲れたような表情を浮かべていたので、それ以上質問を重ねることはやめにした。
マークもあてにできないとなると、いよいよ自分で考えるしかないだろう。
ありきたりにはなってしまうけれど、まずはお茶に誘ってみようかな。リアム様も以前「できるだけ多くクララとの時間を作りたい」と言ってくれていたし。
そう考えた私は、さっそく夕食の席で話を切り出す。
「リアム様、公務の具合はいかがですか?」
「クララがこの屋敷に来た直後に比べれば、少し落ち着いてる。……何かあったのか?」
「リアム様にお時間があればで構わないのですが、ゆっくりとお話する時間を設けられたらと思いまして」
「明日、時間を作ろう」
「……そんなに急いでいただかなくても大丈夫ですよ?」
あまりの即答っぷりに、「無理はなさらないでくださいね?」と付け加えてみたところ、リアム様からは「むしろ楽しみができて公務が捗る」という言葉が返ってきた。
気を遣わせてしまっただろうかと不安に思ったものの、彼の言葉に嘘はなさそうだ。
それどころか「クララから誘ってくれて嬉しい」と、甘い声で言われるものだから、こちらから誘ったにもかかわらず、私は「……それならよかったです」と小声で返すことしかできなかった。
◇◇◇
「この屋敷には慣れたか?」
「はい、みなさんとても良くしてくださって」
翌日。有言実行、公務を早急に終わらせて午後に時間を空けてくださったリアム様と向かい合い、私はティーカップへと手を伸ばす。
「特にマークには、随分とサポートしてもらっています。少し前の話にはなりますが、『だんだんと公爵夫人らしくなってこられましたね』と言ってもらいました」
「公爵夫人……」
私としては「だから心配しないでください!」と言いたかったのだけれども、そう呟くリアム様は眉間に皺を寄せている。
ひょっとすると、まだ正式に結婚もしていないうちに「公爵夫人」を名乗ったことに、不快感を感じているのかもしれない。
「もっ、申し訳ありません。まだ婚約者の身でありながら、軽々しい発言をしてしまいまして……」
「いや、違う。そうじゃない。喜びを噛み締めていたのだ。むしろどんどん名乗ってくれて構わない」
「……それはさすがによくないのでは?」
私の言葉に対して、リアム様は「まあ、対外的にはよくないかもしれん……」と答えた後で、「だが、この屋敷内でなら問題ないだろう」と言った。
屋敷内で公爵夫人を自称する機会などあるのだろうかとは思ったけれど、目の前に座るリアム様が「良案だ!」とでも言いたげな表情をしていたので、口にするのはとどまった。
「ところで、リアム様は今何か欲しいものはおありですか?」
「欲しいもの? 随分と唐突だが……どうしてだ?」
「リアム様に、何か贈り物をしたいと考えているところでして」
実は今回、リアム様とのお茶の場を設けた理由の一つがこれだった。
リアム様の帰国から少し時間は経ってしまったものの、彼が他国で大きな功績を残してきたことを、私も何かしらの形で祝いたい。
というのも、私が何かを達成した時――たとえば難しいダンスのターンができるようになった時や、厳しい家庭教師から褒められた時なんか――には、彼は毎回私に小さな贈り物をしてくれていた。
それはこの屋敷に来てからもで、リアム様は何かと理由をつけて私に贈り物をしてくれている。
申し訳なく思わないこともないけれど、私の頑張りが認められたような気持ちがして、それらを目にするたびに私はくすぐったい気持ちになるのだ。
だから同じことをリアム様にしてあげたい。
大勢の人から認められている彼にとっては、もしかすると必要ないのかもしれないけれど、それでも私がリアム様の功績を何かしらの形で讃えたいと、ずっと考え続けていたのだ。
……ひょっとすると「気持ちだけで嬉しい」というようなことだけを言われて、明確な答えは返ってこないかもしれないな。
そう思っていたにもかかわらず、リアム様は僅かに目を見開いて「それは、なんでもいいのか?」と問うてくる。
その瞳は期待に満ちているように感じられて、私は少し怯んでしまう。
「もちろん、なんでも構いません。……私用意できるものであればですが」
ものすごく期待されているようだけれども、私が渡せるものなんてたかが知れている。
それこそ、第二王子であるリアム様の元には、ありとあらゆる贈り物が届けられてきたのだろうから。
しかしリアム様は「クララにしか用意ができないものだ」と言った後、私の目を真っ直ぐに見据えて「クララからの手紙が欲しい」と言った。
「手紙……ですか?」
「ああ、そうだ。クララと手紙のやり取りをしたことは、一度もなかっただろう?」
「確かにそうですが……。でも、それでいいのですか? 」
「それでいいのではない。それがいいのだ」
「……もう少し価値があるものを考えているのですが」
「ならば、それこそ手紙しかなかろう。いくら金を積もうとも手に入るものではないのだから」
「ええ……」
そんなやりとりを何度か繰り返したけれど、いくら他の候補を挙げようと、リアム様はそれ以外のものに頷くことはなかった。
やっぱり、彼の中での私はまだ五歳児のままなのかもしれない。
「小さなサイズのものであれば、宝飾品を贈ったりもできる年齢なのに……」
子ども扱いされたことを不満に思った私は、小さな声でそう言ってみたのだけれど、それを聞いたリアム様が「……なるほど」とひっそり呟いたことには気づくことができなかった。




