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10.彼の提案

「先ほどクララは『お姉様の真似をした』と言っていたが、なぜそんなことをしようと思ったのだ?」

 私が尋ねると、クララからは「その方が良いのかと思いまして……」という答えが返ってきた。


 クララは「私の知る限り一番お手本として相応しいのが、姉だと思いましたので」と続けたが、おそらくそれだけではないのだろう。

 お手本にするだけであれば、このように姿形までグレースに寄せる必要はないのだから。


 私が真相を話していないせいで、誤解させてしまっていることには気づいている。

 すぐにでも「私は最初からクララを妻に望んでいた」と伝えるべきなのだろう。

 けれども、私はそれを言い出すことができなかった。


 以前マークには「クララを混乱させたくない」と説明したが、あれは理由の一つにすぎない。

 本当は、私が臆病であることが、一番の理由なのだ。

 純粋に兄として慕ってくれていたクララに、いつの間にか恋愛感情を持ってしまっていたことに対して、私は長年罪悪感を抱き続けている。

 そして何よりも、グレースの駆け落ちの理由を知った時のクララの反応を見るのが、私は恐ろしくてたまらないのだ。


 そうやって保身のために口をつぐむ私の目の前で、クララは「リアム様の妻として、リアム様と並び立つのに相応しくあれるよう、私自身を変えていきたいのです!」と高らかに宣言した。

 出会った頃から変わらない前向きなその姿は、キラキラと輝いて見える。


 クララが「リアム様と並び立つのに相応しくありたい」と言ってくれたことについては、愛おしすぎて胸がきゅうっと苦しくなり、「ぐうっ……」というくぐもった呻き声まで漏れてしまった。

 ただ、何度も言うが、私はクララを変えてしまいたいわけではない。当然ながら、今の彼女が私に並び立つのに相応しくないこともない。


 しかし、クララからのこの提案は、彼女にとって兄としてしか見られていない私が、異性として意識されるようになるためのチャンスだ。

「なるほど……」

 わざとらしく真面目な表情を浮かべてそう言う私のことを、クララが食い入るように見つめている。


「私達二人で、私達の関係を変えていく……というのはどうだろう?」

 クララは「私が変わる」と言っているけれど、私としてはどちらかが一方的に相手に合わせて変わるのではなく、二人で手を取り合って新しい形を作り上げていきたい。

 そんな思いを胸に発した言葉に、クララからは「……それはどういった?」という疑問が返ってきた。


「私達は昔から、兄妹のように過ごしてきた。もちろんそれが悪いことではないが、今後のことを考えると、我々の関係を〝夫婦〟に変えていくべきではないかということは、私も少し前から考えていたのだ」

 そう言いながらも、私は内心で自嘲する。

 ただ自分がそうしたいだけなのに、「今後のことを考えると」や「変えていくべき」などという言葉を使って、まるでそこに自分の意思などないように飾り立てているのだから。


 しかしクララは、外的要因に責任を押し付けるような私の言い方に気分を害した様子もなく、「確かにそうですね!」と明るく言い放つ。

「私も、いつまでも妹のようにリアム様に甘え続けるわけにはいきませんから」

 クララのその言葉に、「甘えられるのはいつでも大歓迎なのだが……」とは思ったが、すんでのところで口に出すのはとどまった。


「ではまず、私から要望を伝えさせてもらってもいいだろうか?」

「もちろんです」

「可能な限りで構わないので、明日からは食事を共にしたい。私の公務の都合上、毎日三食必ずというのは難しくとも、できるだけ多くクララとの時間を作りたい」

「……ですが、お忙しいのではないですか?」

 クララはそうやって私のことを気遣ってくれるが、その言葉にどこか期待が込められているように感じるのは、私がそう望んでいるからなのだろうか。


「親睦を深めるために、クララをこちらに呼び寄せたのだ。クララとの時間を作らなくてどうする。この三年間全く会ってもいなかったのだから、お互いに変わった部分もあるだろう」

 私がそう言うと、クララははにかみながら「私も、リアム様が国外で過ごされた三年間について、お聞きしたいです」と答えた。


「私の働きについては、すでに国中に周知されてしまっているから、面白味がないのではないか?」

「そんなことありません。それに、様々な活躍の裏でリアム様がどのように感じていらしたのかも知りたいですし」

 彼女はそう言うと、いたずらっぽく笑って「それが聞けるのは、身近な人間の特権でしょう?」と続けた。

 その表情があまりにも自然体で可愛らしくて、私はぼんやりとした頭で「ああ、そうだな」と返す。


「他には何かあるか?」

「至らない点については、遠慮なく指摘していただきたいです。私は〝リアム様から一方的に保護される妹〟としてではなく、〝リアム様の隣に並び立つ妻〟になるべくここに来たのですから」

「……わかった、約束する」

 私の返事を聞いたクララは、満足げに頷いた。

 誰の後ろに隠れることもなく、正面から私を見据える彼女は、すでに兄姉から守られているだけの幼子には到底見えなかった。


 ◇◇◇


 あの日の話し合いから、私達は互いの気持ちを言葉で伝え合うよう心掛けている。

 そのおかげで、我々の関係が深まりつつあるのはもちろんのこと、クララは「要望があればきちんと伝えてもらえるのだ」と自信をつけたようで、屋敷内でものびのび過ごしてくれている。


「クララ様がまた、私の作品を食べてくださるようになりました!」

 半泣きの料理長からそう報告を受けた時には、思わず私も「よかったじゃないか!」と声を上げてしまった。

 とはいえ、「体型が気になる」というクララの言葉も全くの嘘ではなかったようで、料理長はいまだに彼女のためにせっせとにヘルシーなお菓子を作り続けている。


「こちらのマドレーヌは、いかがでしょうか?」

「美味しいですが、もう少しパサつきが抑えられると良いかもしれません」

「では、こちらのスコーンは?」

「そうですね……。強いて言うなら、青野菜独特の香りが少し気になります」


 二人が真剣な表情でそんなやり取りをしている場面に出くわした時には、思わず笑ってしまった。

 けれども、クララのそうしたフィードバックおかげで、料理長が作る独創的なお菓子のレベルが格段に上がっていることは確かだ。

 これはひょっとすると、近い将来この公爵領の特産物として売り出すことができるものになるかもしれない。


 ついこの前は、空き時間に小説を読んでいるクララの姿も見かけた。

 物語の世界に入り込み、ころころと表情を変えながら本に齧り付くクララを見ているだけで、疲れが吹き飛ぶような心地がしたものだ。

「クララに執務室で本を読んでもらったら、私の公務は捗るのではないだろうか?」

 私は真剣にそう提案したのだが、マークにはまるで相手にされなかった。

 

 一方、専門書を読むのをやめたわけでもないようで、他愛もない会話の折に「この前読んだ本の中で……」と、クララが新しく得た知識を披露してくれることもある。

 しかし、無理をしているわけではないらしい。


「勉強はスケジュール通りに進んでいると聞いている。きちんと理解もできているようだし、空き時間まで勉強に費やす必要はないぞ?」

 公爵夫人となるプレッシャーを感じさせてしまっているのかと、そう尋ねてみた時には、否定の言葉が返ってきた。

「無理をしているわけではありません。知識が増える楽しみを知ったのです」

 そう答える彼女の背筋は、真っ直ぐにぴんと伸びていた。


 ちなみに、使用人とは相変わらず仲良くやってくれている。

 私がクララへの初恋を拗らせに拗らせていることは、この屋敷内ではもはや公然の秘密になっているようで、「気を回されているのだろうな……」と思ったことも一度や二度ではない。


 それゆえに、いたたまれない気持ちになる場面もないではないが、それはクララに言っても仕方がない。

 彼らの目的が〝クララに対して積極的になれない当主を後押しする〟ことにあるのならば、むしろ努力すべきなのは私だろう。

 そう考えた私は、彼女に愛を伝える前段階として、その日から毎日「そのままのクララが好きだ」と伝えることを決めた。


 はじめのうちは前回同様、蚊の鳴くような声で「ありがとうございます」との言葉が返ってくるだけだった。

 視線も合わさず頬を赤らめ、そう返事をする彼女からは、喜びよりもむしろ戸惑いや困惑の気持ちが伝わってきて、もどかしい思いをしたものだ。

 恥じらいからか一日中避けられることになった日には、「私がやっていることは果たして正しいことなのだろうか……」と、落ち込んだりもした。


 しかし、それでも私は諦めなかった。

 国王からの褒賞を受けるために各国を飛び回り、時には生命の危険に晒されることもあったあの三年間に比べれば、クララに避けられるくらいのことはどうってことない……と、私は日々自分自身に言い聞かせた。

「時間はたっぷりあるのだ。長い時間が掛かっても、必ずいつか伝わるはずだ」と。


 だから私は、「きっと今日もクララは逃げ出してしまうに違いない」と思っていたのだ。ここ最近、毎日そうであるように。

 しかし今日のクララは、どうやらいつもと違うらしい。

「私は、そのままのクララが好きだ」

 その言葉を聞いても、クララはその場を立ち去ろうとはしなかった。

 それどころか、彼女はゆっくりと顔を上げて、「……嬉しいです」と言って微笑んだのだ。


 その笑顔は、完璧なものではなかった。ぎこちなく、視線だって微妙に合っていなかった。

 それでも、彼女が勇気を出してそう返してくれたことに感激した私は、クララに見えないように身体の横で拳をぎゅっと握り締めたのだった。

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