2-3-18.
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雨は降っていないけど、見上げる空には、どんよりと重い雲が立ち込めている。
「ディード様も、俺と一緒に馬車で行きませんか?」
「馬鹿言ってないの、ポール。それじゃわざわざ執務室を空けてまで参加する意味が無くなっちゃうだろ」
「そうなんですけどね、心配になるんですよ。まだ出発前なんだから、荷物を背負ってなくていいんじゃないですか? ほら、ディードリク殿下って細いし。そんな大荷物、持ってるだけで怪我しそうじゃないですか。見てるだけで怖いですよー」
当然だけど、甲冑を着込んでいる訳ではない。
フード付きの騎士服の中に鎧帷子を着て、籠手と脛当てを着けているだけだ。
本当はサレットという首の後ろまで覆う鉄の帽子もあるけれど、今はさすがに被らずに、籠手に装着できるタイプの小型の盾と一緒に、背負い鞄に括りつけてある。
僕が動く度に、一緒に括りつけてある食器や小鍋とぶつかって音を立ててうるさい。
ちなみに、鞄の中身はほぼ食料、着替えは一組だけだ。破れるまで着替えないと言われたのが、今回の遠征演習の参加説明を受けた中で、一番ショックだったことだ。
勿論、帯剣している。愛用の細剣だ。これはちょっと悩んだ。
どうしたって耐久性に欠けるから。魔法で強化できるし、使い慣れない重い剣を腰に佩いて長距離を歩けるか悩んで、慣れている方がいいなと選んだ。
まぁ使うとしても、食料の確保の時くらいだろうけれど。背の高い木の上に生ってる実を採る時とか便利そうだよね。うん。
それはさておき。
「おいっ。しれっと失礼なことを言うんじゃない」
僕はポールの頭を盛大な音を立ててはたいておいた。
音は大きいけれど、大して痛くはない筈だ。
「いたっ。ディードリク殿下ってば、酷い。ねぇでもブレト卿だってそう思うでしょう?」
頭に手をやり大袈裟に痛がってみせながら、ポールが横にいるブレトを振り向いて同意を求める。
それにつられて、僕も視線を上げた。
「ディード様なら大丈夫ですよ」
それは、絶対の信頼だった。
やさしく見つめられて、返事に詰まる。
「あ、りがと」
「うわっ。また。ブレト卿ってば、ホントずるい!」
ぎゃんぎゃん騒ぐポールの後ろから、ほっそりとした青年がひとり、笑って近付いてきて頭を下げる。
「いってらっしゃいませ、ディードリク殿下。執務はお任せください」
「ロダム卿。よろしくお願いしますね」
留守の間、ブレトひとりでは休みも取れなくなってしまうので、副宰相の子息ロダム卿に、助っ人として入ってもらうことになったのだ。まあ子息といっても僕だけでなくブレトより年上だ。一級文官の資格を持っていて、普段は宰相室の補佐をしている、物静かで落ち着いた雰囲気の人だ。
多分彼も、僕の側近候補、なんだと思う。もしくは僕の代での宰相候補かもしれない。
どちらにしろ、仕事のやり方や相性をお互いに確かめさせようという大人の配慮を感じる。
最近は落ち着いてきたとはいえ、入ってきたばかりの頃のポールとは諍いが絶えなかったから、きっとお試し期間は必要だって思われたんだろう。
僕やブレトにとってだけでなく、ロダム卿にとっても。
「そろそろ時間だ。行くね。後のことはよろしく、ブレト」
「はい。いってらっしゃいませ、ディード様」
結局、無視することもできなくて、最後に名前を呼んでしまった。
ひさしぶりに名前を呼んで、呼ばれて。険悪な(といっても、僕がって言うだけなんだけど)雰囲気でもなんでもなくて。
それだけで嬉しくなるし、これでしばらく会えないんだと思うだけで、落ち込みそうになる。
声を聴けば顔が見たくなるし、できれば会話がしたくなるし、笑いかけて欲しいと願ってしまう。
そうして、ちょっとした仕草や表情の意味を知りたくて堪らなくなる。
そんなごちゃ混ぜな気持ちを押し隠して、新人騎士たちが集合している場所に向かって駆けだす。
想っているだけで十分だって、ちゃんと弁えているつもりなんだけどな。
それでも不意に湧き上がる衝動的な感情というものは厄介で。
「恋って、こんなに面倒臭いものだったのか」
ちいさな呟きは、誰にも聴こえなかったと思う。けど。
忘れなきゃいけないと思っているのに。
──口元がむにゅむにゅする。心が騒ぐ。
ついに、声に出して認めてしまった自分の気持ちに、頬が熱くなった。




