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「あれ。ブレトって、まだ戻ってきてないんだ」
頼んでいた資料を当該部署まで取りに行って貰うだけの、簡単なおつかいだったはずなのに。
「また美人な侍女殿か、ご令嬢に捕まっているのかもしれませんね」
くくく、と意地の悪い顔で笑っているのは、僕の新しい侍従兼側近だった。
さすがにいつまでも侍従長に僕に関するお世話すべてをやって貰う訳にもいかない。けれど傍に置くなら絶対の信頼をおける者を、と探しまくった結果、侍従長が『少し生意気ですが、どうぞ鉄拳制裁でも何でもしてやってください』と但し書き付きで推薦してきたのが、このポール・ハインだ。
侍従長の二女さんの息子さん、つまり侍従長のお孫さんだ。
ちなみに父親似だそうで、侍従長には全然似てない。見た目もだけど、性格も含めてほぼ全部。
「またってなんだ、またって」
「また、は、またですよ。近衛というだけで騎士団の中のエリートじゃないですか。しかも、今をときめく王太子殿下の危機を救って、その功績から側近に召し上げられたブレト・バーン卿は、まさに立志伝中の人、夢の成り上がりコース一直線! 現王太子殿下のみならず国王陛下御夫妻の信任も厚く、まさにお婿さんにしたい独身男性ランキング急上昇中なんですよ」
熱弁をふるう様を横目に、サインを書き入れた書類を決裁済の箱に入れ、次の書類を手にする。
「ブレトは、自分でまったくモテないって言ってたよ」
辺境の街からの助成金の嘆願書だった。今年は例年より雪が多かったみたいで、橋や道が幾つか崩落してしまったようだ。これは後回しにできないな。でも予算には限りがあるし、複数個所に渡っているから結構な額だ。一度、調査を出してからだなと判断して、要検討の箱に入れる。
「それはあれですよ。近衛って拘束時間長いですしね。守秘義務もありますから出張先も教えて貰えなかったり、次のお休みがいつかも分からないこともあるじゃないですか。女性としては待てなくなる時もあるんじゃないですか。ま、ブレト様はただ自分のことが見えてないだけかもしれませんけどね。近衛に入れるのは容姿端麗で騎士として剣の腕だけでなく魔法に長けていて勉学でも優れてないと駄目じゃないですか。それでモテないなんてあり得ないでしょ」
次の書類は……これかな。
分厚い資料の付けられた書類の束を手に取った。重いな。
「まぁ、……そうだね」
「ねー? 考え方の視野は広い方なんですけどね。視線もフラットで偏りがないし。垂れ目のせいか、あの筋肉でも圧が低いというか、愛嬌があって話しやすいですし。それでモテないなんて、あり得ませんよね!」
つい、ぶ厚い書類を手にしたまま、じーっとポールの顔を観察してしまった。
ブレトを褒めまくってる顔が、どこか緩んでいる気がする。
まぁこのポール・ハインという男は、いつだって笑っているような隙があるように作って見せているけれど、本当は抜け目なんか一切ないズルい男なんだけど。
「ふふ。どうします、ちょっと行って探してきましょうか」
「……駄目だよ、ポール。そんなこと言って、お前はサボりたいだけだろう」
危ない。ほんの一瞬だけど、誘惑? に負けるところだった。
誘惑に乗らずに振切れた自分を褒めてやりたい。
「うわー。信用ないなぁ、俺」
「うるさいな。口じゃなくて手を動かしなよ」
「手は止めてないです」
「じゃあもっと集中して。脳味噌の使用は仕事にだけ割り振るんだよ、ポール」
「うわっ。俺の上司ってば、俺にだけ冷たくて厳しい」
泣き真似を始めた。ポールの相手は本当に面倒臭いし、厄介だ。
僕がひとりでいる時しかやらないのも、ムカつく。
そうは言っても、ドラン師達とはまるで違うけど。揶揄われている気はするけど、それでも不快ってほどじゃないし、辛くはないんだよね。
糸目で表情がイマイチ分かりにくいし、そばかすの散った頬は人がいいばっかりじゃなく皮肉気に笑うことも多いけどさ。
嫌がらせをされているんじゃないってことだけは、わかる。
「ね? ブレト卿帰ってこないし、先に、お茶しちゃいましょうよ」
「駄目。……ねぇ、この案件の資料が足りないんだけど。そっちに紛れ込んでないかな」
「それなら、こちらにありますよ」
申請書類に書かれている添付書類の番号が足りないので声を掛けると、すぐに当該ページが差し出された。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
「……御礼は言ったけどさ。足りない書類がないか確認するのが、ポールの仕事だよ。喋ってばかりいないでちゃんと仕事してね」
「はい。失礼致しました、王太子殿下」
ぺこりと優雅に頭を下げられ、「あぁ、気を付けるように」と許しを出す。
それにしてもポールのこの視線ってさ、試されてるんだろうなぁって思うんだよね。
ポールはとても優秀で、子爵家の息子だけど子供のいない侯爵家に未来の当主として養子として迎え入れられる話が来ていたところだったのだそうだ。
それを、侍従長が無理を言って連れてきちゃったらしい。そうポール自身が話してくれた。
「確かに、自分で差配を取りたい訳じゃないし、優秀な指導者を支える方が性に合っていると思っていたので祖父の話に乗ることにしました」
そう言ってたけど、その優秀な指導者に僕が該当するかどうか、ずっと試されてるっぽい。
まぁね。僕の評判はあんまり芳しくないのは分かってるし。
ドラン師が広めていた噂もそうだけど、食事が変わったことで少しは成長してきたとはいえ、まだひょろひょろと言われても仕方がない程度しか成長できてないのは間違いない。
それに、ドラン師の虐めに、抵抗できるようになるまで、8年も掛かってしまった。ポールには、それが一番納得できないみたいだ。
「権力と魔力で勝ってるのに、なんでやられっぱなしでいたんですか」と初対面時に正面切って訊かれて「できなかったから、かな」としか答えられなかったのが拙かったっぽい。
侍従長とブレトはその場ですぐにカンカンになって怒って、「まだ幼かった王太子殿下が著名な指導者に対抗できる訳がないだろう」と叱りつけてくれて、「なるほど。そうですね。失礼しました」と謝罪までしてたけれど。
僕にだけ見えるように向けたあの冷たい笑顔。あれはちっとも納得してない表情だった。
まぁ、仕方がない。ドラン師の影響のない優秀な侍従は貴重なのだ。
でも、疲れる。
──ブレト、早く戻ってきてくれないかな。
ブレトと一緒なら、こんな息のつまるような攻防をしなくていいのにな。
でもまぁ、騎士だったブレトに無理をさせていたのは分かる。
僕に、専任の侍従が必要なことも。
つまりは、どうにかしてこの男に、僕を主として認めさせるしかないってことだ。




