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好きを取り上げられた王子様は  作者: 喜楽直人
第二部 王太子教育
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2-2-22.



「それとドラン・クーパーよ。お前はいつ、ハロルドと知り合った?」


「え、ハロルド殿下と、でございますか?」


 勿論、ドランはハロルド殿下のことを知っている。自国の第二王子のことを知らない訳がない。

 だが、知り合いではない。

 幼年期の王族は、その身に宿す膨大な魔力に対して心も身体も弱い。ふとした感情の発露から、制御しきれないほどの魔法を発動させてしまう危険をはらんでいる。

 よって、まだ未成年であるハロルド第二王子は公式の場にもまだ出て来ない。だからドランはハロルド殿下へ紹介を受けたことは無いし、会話を交わしたことも無い。


 しばし記憶を探ってみたものの、やはり知り合ってはいないと結論づけて、ドランは国王の言葉を否定した。


「いいえ、私は未だ、第二王子への拝謁を許されたことはございません」

「いいや。ドラン師はハロルドの事をよくご存じですよね。私に対して、よく『弟君であるハロルド殿下ですら、このように不安定なことはないのに。何故王太子殿下にはお出来にならないのか』と仰っていたではありませんか」


「ディードリク、殿下」

「おや? いつものように『王太子殿下』と称号で呼んで頂いてよろしいのですよ。『()()だけ見ておれば、完璧だと勘違いする者がいても仕方がない』程度の、教え甲斐もなく呼称で呼ぶ価値のないような、弟子未満なのでしょう?」


「なぜ、その会話を! あっ、あの気配は」


「気になるのはそこですか。でも今は、国王陛下の質問に答える方が先ではありませんか?」


 ハッとして見上げた国王の視線の冷たさに、ドランは心臓まで凍り付いたように動けなくなった。


 息が、止まる。視界が白く、染まっていく。


(このまま、こんな無様に、私は死んでしまうのか──)


 無様ではあるが、多分きっと、ドランのこれからはもっと無様で、苦しいものになるだろう。間違いない。


 そう思うと、ここで死んでしまうのが一番楽な気がした。


 意識を完全に手離すことにしたドランの心臓が、その瞬間、強引に動かされるのを感じる。それと同時に肺が膨らんでは縮み、呼吸を再開させられた。


 全身に酸素が供給されていく。


「プハッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……」


(間違いない。今、私は、外からの力で、強引に生へと引き戻された!)


 涙で汚れた視界へ、その人の爪先が見えた。

 近付いてきたその顔を見上げれば、そこには笑顔のディードリクが立っていた。


「失礼しました。今、死なれては困るもので」


 優雅に笑うその顔の、視線は冷たく鋭い。

 これまでずっと顔を見る度に感じていた幼さや自信の無さそうであったその人とは思えないほどの迫力があった。


 なによりも、ドランを強引に生へと引き戻した、その魔力操作の繊細さに驚く。


「い、今のは、殿下の魔法ですか?」


 ドランの問いに、ディードリクは意味ありげな笑みを浮かべるばかりだ。

 これまで一度も見たことの無いような、ディードリクの自信に溢れた笑顔に戸惑いが隠せない。


(まるで一夜のうちにディードリク殿下の中身が別人になってしまったかのようだ)


 涙と鼻水そして涎で汚れた顔を、ドランは袖口で拭う。

 突然連行されてきたドランに手拭きなどの用意はない。汚れた顔のままでいる訳にもいかず、背に腹は代えられぬと判断したものの、惨めで仕方がない。


 あの昨夜の気になる気配は、ディードリクのものであったに間違いないとドランはようやく思い至った。

 すぐに消えてしまった気配を気のせいだと放置しなければ、このような窮地に陥ることもなかったのにと悔やむが、すでに取り返しは付かない。


(現在のこの断罪が起きた理由が分かったからには、どうやってこの窮地を乗り越えるかを冷静に考えて対処するべきであろう)


 簡単に手のひらで転がすことができていたディードリクの反乱であると分かった今なら、圧倒的強者の立場であったドランからすれば、盤上をひっくり返すことは難しかろうと不可能ではない。


(今に見ていろ、這いつくばって私を見上げるのは、お前だ)


 そんな風に考えたせいだろうか。

 冷たい王の声がドランへ現実を叩きつけた。


「ハロルド付きの侍女たちに確認したが、誰もがどこでドラン・クーパーがハロルドと接触したのか知らないと言うばかりでな。傍付き侍女でありながら、彼女らの内誰ひとりも知らないなど職務怠慢もいいところだろう。罰を与えねばならんのだ」


 国王のその言葉はドランへ、自分はディードリクや王族に対して、嘲り高圧的な態度に出れる立場ではなく、そもそもそのような高圧的な態度は不敬であると分からせてくる。


 指導者に対して教えを乞う者が敬意をもって相対するのは当然だが、指導する側が教えを乞う者を下に見ていいというものでもないのだと。


 そうしてそれ以上に、指導の上で嘘を口にしてはいけない、ということを。


「は? 傍付き侍女どのへ、罰を与える?」


「そうだ。侍女たちには、ハロルドがどこで誰と会ったのか、行動を把握する義務がある。それも彼女らの重要な仕事のひとつなのだから」


 ドランの口の中はカラカラで、苦し気に喘いだ。

 一気に顔色が変わっていく。真っ青であった顔の色は、今や土気色をしている。


 王族付きの侍女になれるのは、伯爵家以上の家門の令嬢ばかりだ。

 その彼女たちが、ドランの言動によって罰を与えられてしまうなど、落ち着いていられる訳がない。


(──伯爵家の令嬢に、罰を与えることになる? あんなの、ディードリク殿下へ奮起を促そうとしただけの、ただのデタラメでしかないというのに!)


「それは……それは、言葉の綾、といいますか。やる気を出そうと為さらないディードリク殿下へ、危機感を持って勉学に励んで戴きたいと、思って……思ったので、その……」


「つまり? どういうことだ。はっきり言え」


 ドランは初めて、舌がもつれる、という経験をした。


 それまでずっと言い淀む人間と出会う度に「はっきり言え。しゃっきりしろ。論理だてて説明しろ」と思ってきた。

 だがどうだろう。実際に自分が自らの仕出かしと向き合うことになって初めて、思う通りに口から言葉が出て行かないという経験がどれほど自分でもどかしく、なによりその言葉を口にするのに勇気が必要なのかが身に染みた。


「つ、まり、つまり私、は、ハ、ハロ、……ハ、ロルド第二、王子殿下に、は、、お会いしたことは、ございません」


 その告白を、最後まで口にできたかドランには自信が無かった。


 だが、しん、と静まり返った会議室内の空気で、自分の言葉は室内の人の耳へきちんと届いたのだと、理解した。


 室内の温度が一気に下がった気がした。

 全身に感じる、四方八方から刺さるように向けられる批難の視線に、臓腑が捩れそうだった。


「それは、どういう意味だ?」

「それは……それは」


 ドランはそれ以上、自らの罪を告白することができずに、ただひたすら床に身を伏せ、額を床に擦りつけて震えた。


 ハァ、と国王が、大きく息をはいた。


「未だにお前には、ディードリクの命を奪うところであったという自覚はないのだな」

「そんなっ! そんなことはっ」


「成長期のディードリクに粗食を押し付け、栄養失調に陥らせ肉体の成長を阻害し、魔力量に耐えうる身体を作らせないようにした上で、精神的に追い詰める。それが、どのような結果に繋がるのか、まったく考えたことはなかったというのか? ドラン・クーパー、お前ほどの、知者が」


「魔力、暴走」


 誰が呟いたのか。それは最悪のシナリオだった。


「ディードリクの魔力量は王族の中でも近年稀にみるほど膨大。そのディードリクが魔力暴走を引き起こしたとしたら、被害に遭うのはディードリクとそなただけで済むと思うか?」


 この王城が瓦礫になるだけでは済まないのは間違いなく、場合によっては王都が壊滅する。


 王城内にいる王族がすべて巻き添えになれば、このグランディエ王国が滅亡する可能性すらあるだろう。


 誰もがその惨状を頭の中で思い描き、戦慄した。




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