2-1ー22.
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──やった! やったぞ!!
近衛のふたりは寝室から出ていく僕に、まったく気がつくことは無かった。
逸る気持ちに足の動きが速くなっていく。
前へ、前へ。一刻も早く王宮から抜け出し、市井へと出なければ。
気が付けばまるで小走りに人気のない廊下を駆け抜けていた。
階段で、掃除に励む下女とすれ違っても、僕には見向きもしない。
まだ仕事をしている文官の部屋の前ですれ違っても、僕を見咎める者もいない。
完璧すぎる認識阻害の凄さに、興奮が抑えきれない。
しかも、今日はあの厄介なブレト・バーン隊長がいないのだ。
見つかる危険はまったくない。
高揚感に浮かされて、羽織っている外套の裾がはためかせて、僕は王宮の廊下を駆けていた。
だから、思いついた冒険心を我慢できなかった。
目の前の階段をそのまま降りても外へ出られるけれど。
曲がってから廊下を奥まで進み、次の階段を降りても違う出入口へ出れる。
そうしてその廊下の途中にある場所は、侍女や侍従たちの控室があるのだ。
今その部屋には、あのジェラルド・キーツ子爵令息がいる筈だ。
頭の中に入っている地図から考えても、そちらの階段を下りたところにある出入口の方が摘み取られた薔薇に行きやすい門に近い。
勿論、王宮を抜け出してから庭をぐるりと回れば同じ門に出れる。どちらの階段を下りたとしても、僕はその門を目指すつもりだった。
だから、リスクを負う必要なんて全くない。
じっと足元を見つめる。
今の僕にとって重要なのは、摘み取られた薔薇を探し出す事だけだ。
ちょっとした悪戯心や虚栄心を満たす為に、この千載一遇のチャンスをふいにする必要はない。二度目の機会など訪れないかもしれないのだから。
一旦止めていた足をぎこちなく動かして、踊り場で足を止める。
息を整えて、再び出入り口を目指して歩き出そうとした時だった。
ふたり分の足音と会話する声が、聴こえてきた。
どうやら誰かが下から階段を上がってくるようだ。
これまでの経験で、別に隠れる必要も避ける必要もないことが分かっている。
それでも、その声が誰のものかが分かって、心臓がバクバクと大きな音を立てた。
眩暈がしそうで、その場でギュッと目を瞑った。
声が、近くなってくる。
今からでもフードを被って踊り場の隅に避けるべきかもしれないと思うのに、身体が言うことを聞かなかった。
動けないまま、声の主たちが近づいてくるのを待った。
「まったく。どこが完璧なんでしょうね。一体どこをどう見て言っているのか」
「まぁそう言うな。この私が導いているのだ。すぐ傍でその様子を理解しているお前のような者ならともかく、あの容姿だ。ガワだけ見れおれば、完璧だと勘違いする者がいても仕方がない」
「それは確かにそうですね。けれど、そう見えるのも、すべて先生のご指導があってこそ、ですね」
うんうんと力強く何度も頷いているのは、ディードの侍従ジェラルド・‐キーツ。
そして、そのジェラルド・キーツを引き連れ口元へ笑みを浮かべている老体は、ドラン師であった。
ふたりはディードリクの悪口というほどではないが、とても敬意を持っているとは思えない口ぶりであまりにも勝手な裁定を下していく。
──勝手に言っていればいい。
ドラン師たちには見破れない魔法を使って、僕は自分を取り戻しに行く。
早く通り過ぎてくれればいいのに、と思いつつ黙って彼らが去っていくのを待った。
「先日も、休憩を取るように進言して上げたのにそれを無視した挙句、倒れたんですよ」
「自分の体調管理もできないのか。過剰な自信は厄介な物だ。手の掛かる子供と同じだな」
けれど、丁度僕の目の前に来たドラン師のその言葉を聞いた時、ドクンと嫌な音を立てて、心臓が軋んだ。
「っ!」
思わず苦悶の声を上げてしまいそうになるのを必死で抑え込んだ。
「本当ですよ。ドラン様の教えを直接受けているのに、その程度しか成長が見られない。本当に手の掛かる子供そのものです!」
おべんちゃらで追従するジェラルド・キーツの声が耳につく。うるさい。
うるさいうるさい。
悔しくて。惨めで。目尻に涙が滲んだ。
口をついて出ていきそうになる怨嗟を、歯を食いしばって押し留めた。
「──ドラン様?」
「静かに」
──まさか、気付かれた!?
ジェラルド・キーツに対して、静かにしていろというように手を翳したままドラン師が辺りを見回す。
その姿に、先ほどとはちがう意味で心臓が煩く騒いだ。
緊張で、頭がおかしくなりそうだ。
じりじりと焦げ付くような視線を感じる。
多分きっと、ドラン師は僕の知らない魔法を使っているのかもしれない。
僕が知らないだけで、他人の魔法を破ったり、どこに敵がいるのか見つける魔法があるのかもしれない。そういうこともちゃんと調べておけば良かった。
震え出そうとする膝に、必死で力を込めた。




