2-1-14.
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「おはようございます、ディードリク王太子殿下」
四柱式ベッドの帳の向こうから声を掛けられる。
そもそも部屋に入る前に声を掛けられているし、その後に部屋のカーテンは開けられているんだから余程疲れているか、病気で寝込んでいるのでもない限り、目は覚めるというものだ。
普段の僕なら、ここで「おはよう」と返事をしている。
けれど、今日は黙ったままだ。
ベッドの上で身体を起こす事すらしていない。
代わりに、部屋へ入ってこようとする者がいる気配を感じた時点で、あの呪文を唱えていた。
「認識阻害」
布団を被り、囁くような小さな声で唱えた呪文。本当に効果があるのかどうか。
僕は分からなかった。
だから、高鳴る胸の音を聞かれないように祈りながら、息を潜めてベッドの中で寝そべっていた。
もし魔法が発動しなかったとしても、前夜体調が悪くて早めに寝たことになっているのだ。いつもと違ってすぐに起きられなかったとしても仕方がないと思って貰えるはずだ。
「ディードリク殿下、大丈夫でございますか?」
心配そうな声に心苦しくなったけど、それでもじっとベッドの中で黙って耐えた。
「殿下? ……失礼いたします」
いきなりベッドから掛布を勢いよく引き剥がされて、身体が跳ねるほど吃驚した。
吃驚したけれど、声は出さないで済んだ。
ベッドの上で掛布を引き剥がされた状態のまま緊張に震える僕には気付かないまま、侍女が慌ててトイレの方へ駆けていく。
「そんな。ベッドにも、トイレにもいらっしゃらないなんて」
恐怖に震える声だった。当然かもしれない。一国の王太子が寝ている間に姿を消したなんて、確かに一大事だ。
部屋の外へ助けを求めようとする侍女を止めるべく、僕はあらかじめ考えておいた台詞を口にした。
「スマナイ。ちょっと体調がまだ優れなくて。すぐに起きれなくて悪かったね」
我ながら、抑揚が不自然だと恥ずかしくなる。
「え、あら。ベッドにいらしたのですね? いやですわ、私ったら焦り過ぎたのかしら。殿下の御姿がちっとも目に入らなかったものですから」
騒いでしまって申し訳ありませんでした、と深く頭を下げる侍女に「気にしないでいいよ」と許しを与えたけれど、心苦しいというか本当に申し訳なく思った。
でも、侍女には申し訳ないと思うけれど、本当は鼻歌のひとつでも歌ってみたくなった。けれどさすがにそこまで浮かれた様子を見せる訳にはいかない。
なにしろ僕は、体調不良が原因でいつものようにはベッドから起きられなかったんだから。
我ながら挙動不審だけれど、ごほんごほんと咳ばらいを何度もした。気まずい。
「今朝の朝食も、この部屋でおとりになりますか?」
思わず「うん」と頷いてしまいたくなったけれど、あんまり体調不良を口実に使い過ぎて、侍医の診察を受けることになっても困る。
本当はまったく体調は悪くないのだから。
「いいや。今朝はちゃんと朝食室へ行くよ。あまり心配させたくないからね」
僕がそう言うと、侍女は頭を下げて一旦部屋から下がっていった。
たぶん朝食について部屋ではなく皆で取ると伝えに行ってくれたのだと思う。
ひとり残された自室で、僕はようやく、握りこぶしを天に向かって突き上げて、ちいさな勝どきの声を上げた。
「やった!」
僕には認識阻害が使えるらしい。
もう少し検証を繰り返して、どの程度の相手にならば効果が出るのか、継続時間とか解ける条件みたいなものを調べてみよう。
「ようやく」
目尻にじんわりと浮かんだ涙を手で擦った。
胸の音はまだ激しくて、頬が熱い。
けれどそれは、これまでずっと感じていた重苦しい胸が軋む音とはまったく違う。軽やかにどこまでも駆けてきたくなるような、そんな華々しく晴れやかな気持ちになった。
僕は、自分の好きを取り戻す為の一歩を踏み出せる。




