2-4-21.
■
「参った。無理だろ。このクソッタレ。それは、やっぱり無理 」
ブレトのちいさな呟き。そのひと言が、浮かれ切っていた僕からすべての色彩を奪う。
ぐわんぐわんと耳鳴りがうるさい。
目の前が暗くなって、視界が揺れた。あぁ、眩暈だ。僕の足は硬い床の上に立ってるはずなのに。まるで一瞬のうちに、ぐにゃぐにゃのぐずぐずに不安定な泥沼に変わってしまったみたいだった。
今の僕には、ただ立っていることすら、難しい。
ここまで分かりやすく拒絶されたらもう、なんにもできない。
ズルくなったって、無駄だったんだ。
計画なんか立てたって、意味なかった。
冷たくなっていく頬を流れていく涙だけが、温かかった。
「……えっと。なんで、泣いてるんです?」
「なん、でって。それを、ぶれとがいうの?」
僕を振った癖に。
僕がなんで泣いているのか、本気で分かっていない様子のブレトが憎らしかった。
ううん、嘘。
だいすき、ブレト。
──何が、『僕には後ろ盾なんて必要ないって分からせれる』だ。
己惚れが過ぎる自分が、情けなくて惨めで仕方がなかった。
また勝手に勘違いして。暴走して。
告白どころか、婚約まで勝手にしちゃった。
今すぐに走って逃げだしたい。ううん。逃げ出すより先に、今すぐに教会に公示の取り下げの手続きに行かなくちゃいけない。
早くしないと、ブレトの経歴に傷をつけてしまう。
そう頭で考えられるのに。足はまだ、上手く動きそうにない。
ブレトには、僕では駄目なんだって。
それが理解できるまで、周囲まで巻き込んで、こんなにみっともなく足掻いてしまった。
バーン伯爵家にも謝罪に行かなくちゃいけないし、父とも話し合わなくちゃ駄目だ。
王太子も、降りよう。
こんなにも、恋に振り回されるような国王なんて、国民が可哀想だ。
でも、これが僕という人間だ。好きになった人の手が欲しくて、みっともなく足掻きまくる。
ここまでしなかったら僕には諦めることができなかったんだから、仕方がない。
そうだ。仕方がない。
保護対象とか家臣としてとかそういうのは別だとしても、恋愛の対象にはできないんだって。ただそれだけだったのに。
わかっているのに。それでもまだ心はブレトを求めてしまう。それが、情けなくて。惨めで。
溢れる涙をブレトに見せていたくなくて、袖を使って顔を雑に拭く。
「あぁ、擦らないでください。赤くなってしまう」
慌てすぎたのか、あちこちのポケットに手を突っ込んでもハンカチが見つけられなかったみたいだ。自分の袖をひっぱって使って、涙を拭いてくれる。
その、慎重でやさしい手付きが、うれしい。
こんな時でも、ブレトに触れられて嬉しいと思ってしまうなんて。
なんて僕はあさましいんだろう。
でも、最後かもしれないブレトの手を払い退ける気になんてなれない。
嬉しい。
あさましい。
うれしい。
だいすき。
想いが千々に乱れて、とめられない涙がまた溢れていく。
「泣かないで。いいや、泣いてもいいですけど、俺の前でだけにして下さい。そうして、できればその涙の理由は、俺に、教えてください」
分からないフリなんて、なんでする必要があるんだろう。
僕が泣くのなんか、ブレトに関することだけなのに。
自分が振ったからだって、そう思うのが嫌なんだろうか。
でも今この会話の最中に、それ以外のことで泣いてたら自分でこわい。
「ディード様。そのままでいいので、聞いて欲しいことがあるんです」
──聞きたくない。
瞬時にそう思ったのに。逃げ出そうとした腕を掴まれて、視線を合わされた。
真剣な表情。
だいすきな青い瞳に、間抜けな僕が写り込んでいるのが辛すぎて、目を逸らした。
「好きです。ずっと、あの夜、あなたが流した涙が忘れられませんでした。俺が、あなたを笑顔にしたかった」
何を言われているのか理解できなくて、驚きのまま顔を上げた。
僕をまっすぐ見つめる真剣な瞳が、視線が合った瞬間、ふっと弛んで、いつもの垂れ目に戻った。
嬉しそう。
でも、僕は振られている最中だったんじゃ、なかったのかな。あれ、でも?
いいや。ここでいい気になってはいけないのだ。
たぶんきっと裏がある。ブレトに裏のつもりはないのかもしれないけれど。
つい自分に都合のいい解釈をしてしまいそうになる。それは仕方ない。だって僕はブレトが好きなんだから。好きだって言って欲しいと願ってしまう。
でもいい加減、僕だって学習する。そう何度も易々とブレトの言動の罠に掛かったりしないのだ。
「ご安心ください。さきほどあなたが口にした言葉を撤回しても恨むつもりはないです。いいんです、口にしてみたら、なんか違うって分かっちゃったんですよね。そういうことってよくあることですよね」
ホラやっぱり。手のひらを返すように、上げて下げたり、相手の言葉を否定せず、受け止めておいてからそっと逸らす。
貴族ならではの会話の運び方。僕の気持ちを受け取るつもりなんて、最初からない癖に。
「愛しています。俺にとっては人生最後の恋で」
そのブレトの言葉を聞いた時、もう我慢ならなかった。
騙されたりしない。
ブレトが大人の狡さで言い包めようとするなら、僕だってズルくなってやる。
衝動のままに、身体強化魔法を使う。
「騎士の祝福」
全身を強化して、ブレトの胸元を引き寄せた。
ガツン。
唇に、鈍い痛みが走る。口内に、鉄錆の味が広がっていく。
温かく震える、それは──僕の、初めての、くちづけだ。
「なにを……」
「くちづけ」
惚けた顔をして問うブレトに、挑むように応えた。




