2-4-17.
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「……っ、……」
喉の奥が熱くて。痛くて。苦しくて堪らなかった。
何度も首を横に振って、「嫌だ」ときっぱり言ってしまいたかった。
けれど口は戦慄くばかりで、まるで声は出ない。そのまま何も言えないまま、首を横に振り続けた。
「おねがいしますっ。どうか、おれを、解任してください」
お願いします、と重ねて求められて、ようやく声が出た。
「……いやだ」
それは自分の声だと思えないような擦れた声だった。絞り出すような、か細い声。
前言撤回が早すぎると自分で情けなくなった。それでも、ブレトの頼みであろうとも、どうしてもそれだけは、できない。
嫌というか、無理だ。
「ディード様。ディードリク王太子殿下。どうかお許しください」
僕の強い拒絶に、ブレトが席を立ちあがった。
そのままテーブルを廻り込んで、僕の足元へと駆け寄ってくる。
跪いて、見上げる。
僕が好きな、少し垂れた青い瞳は、今、苦悶に歪んでいた。
そこに自分が映り込んでいるのを見るのが好きだったのに。今は、見たくなかった。
「いやだ! やだやだやだっ!」
自分でも子供っぽい駄々を捏ねていると思う。みっともない。
それでも、素直に聞き入れるなんてことは僕にはできなかった。
「ディード様。ディードリク王太子殿下、どうぞお聞き入れください。おれ……私の、心からの忠告。最後の進言です。貴方様はこの国の次代の王。この国の現人神となられる御方です。ディード様なら……我らが王太子殿下なら、世界中のどんな美姫も望むままです。可憐で優しい令嬢も、美しく賢い王女も、どんな女性だって妻にできますよ。ディード様に望まれて断る女性なんていません。そうです。男なら誰でも夢見るような、美しい女性を娶れる。娶るべきです。年上の、男なんかの手を取ってはいけません。ましてやその男は騎士爵しか持っておりません。確かに、腕っぷしなら頼れるかもしれません。ですが、所詮は騎士学校しか出ておらず、貴族のしきたりにも疎ければ、国政などもっと分からない。そもそも彼の生家は歴史は古くとも所詮はたかが伯爵家です。後ろ盾としてあまりにも弱い。ここまで上げたすべての項目において、彼は、王の伴侶とするには、あまりにも足らないものだらけだとご理解して頂けますね」
落ち着いた声だった。
王太子の側近として、年下の主を窘める言葉を懸命に考えてきてくれたのだろう。
主たる、ディードリク王太子のために。
何故その男では、駄目なのかを教え諭してくれる。
親切丁寧な指摘なのだろう。けれど、そんなの僕にはまるで関係なかった。
「そんなの、全部関係ない。僕は、……僕のココが、心が、ブレトがいいって叫んでいるんだ」
先ほどからぎりぎりと痛みを訴える胸を拳で叩いた。
この胸を切り裂いて開いてみせることができたらいいのに。
ここにあるのは、ブレトへの想いだけなのに。
「ブレトしか欲しくないと、なんで誰も信じてくれないんだ!」
ポールはどうでもいい。あれは僕のことなんてどうでもいいって思ってたし。
でもなんでブレトまで僕の想いを否定するんだ。
「いけません、ディード様。そのように強く叩いたら、手も、御身体にも、怪我をしてしまいます」
好きを取り上げられて、好きが分からなくなっていた僕が、ようやく見つけた好きな人が手に入らないなんて。悲しくて、悔しくて。辛くて堪らない。
「いいんだ。ブレトに想いが伝わらないなら、僕なんでどうなったって」
「いい訳がないでしょう! あなたはこの国でもっとも重要で、大切な、特別な御方です。俺を理由に怪我をされるなど、とんでもないことだ」
ブレトから、ぎゅっと腕を掴まれて、息が止まった。
握りしめた拳を、好きな人の手で、優しく開かれる。
「あぁもう。爪が、手のひらに食い込んで血が出ちゃっているじゃないですか」
「たいしたことない」
ちょっと滲んでいるだけだ。
大きくて太い指が、僕の手を撫でていく。
ポケットから取り出したハンカチで押さえてくれる。
その様子から、目が離せない。
離したくないのに。視界が滲んで良く見えなくなっていく。
真っ白できちんとアイロンが掛けられたハンカチに、僕の血の赤がうっすらと滲んでいく。
ずるい。なんてずるいんだ。
僕の想いは突き返す癖に、なんでこんなに優しくするんだ。
心配だって瞳で、見つめてくるんだ。
僕のためにいろいろ考えて、職場も辞そうとして。
どうして、特別だって、態度に出して、口にまでするんだ。
「この程度の傷、血なんかすぐに止まるのに」
「駄目ですよ。バイ菌が入ったら、大変です」
「ハンカチを汚して、ごめん」
「気にしないでください」
ギョクマルの街で、ブレトのポケットに入っていたのは、くしゃくしゃなハンカチだった。
いつから、綺麗なハンカチを持ち歩くようになったのか。
服装に乱れがなくなって、髪の毛も跳ねたりしなくなったのは、いつだったろう。
気付かなかった小さな変化の理由。
それらすべてから、僕の知らない令嬢を感じた。
「……そっか。もう、……いるんだね」
「なにか言いましたか?」
ちいさな呟きはブレトの耳には届かなかったようで、ホッとする。
ふるふると首を横に振って、否定した。
けれど、自分が発したちいさな呟きは、ずどんと僕の胸に落ちた。
ずるい。
ずるくても、だいすき。
ブレト。
ブレトがだいすきだから、これ以上は苦しめたく、ない。
「……わかった」
「! では、」
そんなに嬉しそうな顔を、しないで欲しい。喜ばせたいのは本当だけど。でもでも、今だけは。その顔が、つらすぎる。
辛いんだ。
「でも受け入れる前にひとつだけ、お願いがある。僕を、振って下さい。この僕の願いを聞き入れてくれたら、僕は、ブレトの言う通りにする」
僕の、最後のお願いだ。
万感の想いを込めて伝えた言葉は、あまりにもシンプルだった。
「ディードリク・エルマー・グランディエは、ブレト・バーンを愛しています」
これが最後になるのなら、笑顔で愛を伝えたかった。
「大好き、ブレト。だから、僕を、振って下さい。僕を、嫌いだって、言って?」




