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「ディードさま!」
懸命に僕に向かって伸ばされているブレトの手が空を掻いた。
僕のすぐ目の前で空を切り、魔法陣の描かれた地へと落ちていく。
それが、まるでスローモーションのように目に映る。
剣だこのある長い指。厚みのある大きな手。
重ね合わせて比べさせて貰って、自分の手とのあまりの違いに凹んだ日もあった。
努力を重ねようとも、こんな手になれる日が来る気は一生しない。
僕の憧れそのもの。
いつだって安心をくれた。
王城を抜け出した夜だって。
遠駆に連れて行って貰った時だって。
優しい視線に、守られていると安心できた。
──ブレトの手を、僕を見つめる優しい瞳を、君を失うのなんて、嫌だ。
いま、この瞬間に君を救うために使えない力なんて、なんの意味があるというんだ!
『 絶対に、嫌だ。僕は、全部、ぜんぶ守りたい! 』
練り上げていた魔力が、空気を振動させて、僕の声を紡いだ。
声帯、舌、歯、唇、声を出すために必要なすべての動きを魔力で代替し、ブレトと、そして仲間たちすべてを守れるモノを、創り出す。
『完全防御!』
思い描いたのは、あの運命の夜ブレトの前で破落戸たちを封じ込めたあの檻。
あの時は、破落戸たちを閉じ込めたけれど今は逆だ。
魔法陣に絡め取られて動けなくなっている仲間を守れるように。仲間たちへの攻撃を、すべて寄せ付けないように一人ひとりを完全な防御壁で囲ってしまうことにする。
そうして僕は、僕を捕えていた魔法陣の構造を把握。範囲内に入り込んだ対象者の魔力を奪い、それを使って対象者の一切の行動を制限するという厭らしい構築がなされている不愉快な魔法陣を掌握、乗っ取ることにした。
僕に魔封じの首輪を嵌めようとした男がブレトによって討たれた。
それを受けて、僕を助けようと駆けてきたブレトまで餌食にしようというのか、僕の足元へと集約していた魔法陣が再び広がった。
つまり、それを判断し、魔法陣を操作している者がいるということだ。
自分達の仲間が囚われることがないように、その範囲を任意に変化できるようにするために魔術師たちがこの場に幾人も隠れ潜んでいたこと。魔法陣にはこの場を覗き見れるような術式も書きこまれていて、遠い地に不快な見学者がいることも、魔法陣を掌握した今の僕には理解できた。
反撃を試みる。
この魔法陣に繋がるすべての敵へ、彼ら自身が仕掛けた魔法陣の効果を返してやる。
『効果対象転位』
先ほど僕がそうされたように、この魔法陣に繋がっているすべての敵から魔力を奪い、行動を制限することで魔法陣ごしに捕まえる。
「うぎゃっ」
「ぐぇ」
「うぉ」
自分達の仕掛けた魔法陣の効果を返された敵が、くぐもった声を上げ、その場に倒れた。
ちゃんと丸ごと相手に返せたようで、動けなくなっているようだ。誰もその場から逃げていく気配はない。効果を返された衝撃で上げた最初のうめき声以外には声が上がることもなかった。
そして、遠見で覗き見していた者たちは、この魔法陣の構築に深く関わっていたようだ。
遠い地にいる彼らにも同じ効果を与えることができたという感触があった。
***
『さすがです、ディード様。凄すぎです』
透明な魔力で作った球の中で、四つん這いになったブレトがゆっくりと近付いてきた。
『すみません。意気込んで来たのに、俺ってば何の役にも立ちませんでしたね。却って助けなくてはいけない人間が増えただけで。ホント恥ずかしい』
ただでさえ下がり気味の目を更に下げて、ブレトがへらりと笑う。
その笑顔に、胸の奥がきゅうっとなる。
「……ブレト、生きてる」
「あはは。勝手に殺さないでくださいよ」
破顔したその瞳から、ぽろりと涙がひと粒流れていった。
あぁ、好きだ。
好きで好きで仕方のないブレトに、もう一度、会えた。
言葉を交わせた。
これからもずっと、生きて、生きてるブレトの傍にいれるんだ。
もうダメだと何度も思った。追い詰められた。
それが全部報われた気がした。
心が軽くなり、ブレトが笑顔で僕の前にいてくれること、こうして無事再会できたことを泣くほど喜んでくれているのだということが、これほど嬉しい。
だから、つい、もうひとつの願いも叶えてしまいたくなった。
「そんなことないよ。ブレトが、僕を助けてくれたんだ」
あぁ。僕も、透明な魔力の球の中に閉じ込められていて良かった。
ブレトとの間にある、お互いを守る透明な檻。
それがなかったら、伝えたい気持ちを大きな声で伝えながら抱き着いちゃっていたに違いないから。
この血を継いでいかなければならないのは、僕もブレトも同じ。
僕から気持ちを差し出されても、優しいブレトを困らせるだけだから。最後の願いは胸の奥底に沈めておく。
今にも溢れてしまいそうになるこの気持ちは、胸の奥にしまい直さないといけないんだ。




