第13話:祓い屋、夢の中へ
平静を装ってはいるが、清の心中は穏やかではなかった。
依頼達成への王手をかけているという状況に酔いしれ、部下を危険に晒す可能性を完全に忘却し。
そしてその結果。
正体不明の存在に、霊視担当の葉子が取り憑かれてしまったせいだ。
そもそも、謎だらけの幽霊が相手だ。
最後の最後まで油断してはいけなかった。
俺は、上司失格だな――そう、自己嫌悪に陥りつつも、清は加藤と名乗る妖魔が告げた術の準備を始める。己の油断によって招いた失敗を、挽回するために。
術の起点は、葉子のすぐそば。
清が葉子のそばに、膝立ちとなって座りながら、彼女の額に、右手の人差し指と中指の先端をつけている体勢だ。
「「『準備は、できたようだな』」」
清と葉子を中心にして張っている封魔結界を、それぞれ両端から、さらなる結界術で補強しつつ、加藤と名乗る妖魔は言った。
「『我の「霊力中枢回復マッサージ」で、一応お前の霊力は回復したが』」
「『それでも七割かそこらだろう。潜航する最中にあまり力を使うなよ』」
「『もしもペース配分を間違えれば』」
「『最後の仕上げの時に面倒だからな』」
「分かってますよ」
最後の忠告をする加藤と名乗る妖魔に、清は言った。
「それでは、後はよろしくお願いします」
そして清は、術を発動した。
うろ覚えであったが。
己の師である霊能力者・唐沢和宏からかつて教わった、他者の精神世界へと侵入する術――夢渡りを。
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元々『夢渡り』は、夢魔のように夢を介して人間に危害を加える悪霊へ対抗するために編み出された術だ。
だがそれは、他者との壁を強引に突破する夢魔の使う術と同質の術であるため、長時間、相手に使う事はできない。
もしも長時間使い続ければ、己と相手、さらには相手に取り憑いている存在の人格が混じり始め、最終的には三者の人格破綻を引き起こす。
いわゆる諸刃の剣なのだ。
にも拘わらず。
短期決戦で済ませなければいけないにも拘わらず。
阿倍野清は思うように、葉子の精神世界を潜航できなかった。
そこにあるのは、怨嗟の念によって構成された赤黒い渦。
幽霊一体分どころではない。数十人分にも及ぶ怨嗟の念だ。
それが清の移動を妨げる。潜航するのを奔流が邪魔するだけではない、その渦を構成する怨嗟の念が、清の人格を攻撃する。
鬱獄獣争害負破呪血邪汚堕死獰争暗狂敵穢痛殴恨猛壊怒蛆斬業病醜殺苦乱犯亡滅敵戦悪凶魔蔑虐罪糞毒癌災屑辛恐憎腐闘怨鬱獄獣争害負破敵呪血邪汚堕死獰争暗狂穢痛殴恨猛壊怒蛆斬業病醜殺凶魔蔑虐罪糞毒癌災屑辛恐憎腐闘怨鬱獄獣腐闘怨鬱獄獣争害負破敵呪血邪汚堕死獰争暗狂穢痛殴恨猛壊怒蛆斬業病醜殺凶魔蔑虐罪糞毒癌災屑辛恐憎腐闘怨鬱獄獣争闘怨鬱獄獣争闘怨鬱獄獣猛壊怒蛆斬業病醜殺苦乱犯亡滅敵
圧倒的敵意が。殺意が。悪意が。清の精神を蹂躙する。常人であればすぐに発狂しかねない物量の怨嗟の思念波が清の人格を侵蝕せんと襲いかかる。清は霊力を、一瞬全開にして抵抗した。流れが弱まった。正体不明な存在ではあるが、その本質はこの世界の存在なのか。それとも、見た事のない術を見て警戒しているだけなのか。どっちにしろ、今がチャンス。清は怨嗟の念の渦の動きが弱まった隙を突き、葉子の精神世界の、さらなる潜航を試みる。
…
清よりも霊力が少ない葉子は、未だに赤黒い怨嗟の念によって構成されている奔流に流されていた。そして彼女の周囲に群がる怨嗟の念は、徐々に徐々に、彼女の人格の侵蝕を進めていた。
〝視られている〟
その最中、なぜか葉子はそんな印象を受けた。
それは彼女の中で芽が出始めた霊能力による直感か。
しかしその事を思考しようにも、今の葉子にその余裕はほとんどなかった。
争害負破呪血邪汚堕死獰争暗狂敵穢痛殴恨猛壊怒蛆斬業病醜殺苦乱犯亡滅敵戦悪凶魔蔑虐罪糞毒癌災屑辛恐憎腐闘怨鬱獄獣争害負破敵呪血邪汚堕死獰争暗狂穢痛殴恨猛壊怒蛆斬業病醜殺凶魔蔑虐罪糞毒癌災屑辛恐憎腐闘怨鬱獄獣腐闘怨鬱獄獣争害負破敵呪血邪汚堕死獰争暗狂穢痛堕死獰争暗狂敵穢痛殴獣猛壊怒蛆斬業病醜殺苦乱魔
狂気が。
圧倒的狂気が。
葉子という一つの〝個〟と、ついに融合を始めて……。
…
――いったい、どれだけ深く潜航したのだろう。
正体不明の怨嗟の念が渦巻くせいで、目が痛くなるほど赤黒い、葉子の精神世界を潜航しながら、清はふと思った。
いやそれ以前に、時間の感覚まで麻痺し始めていた。あれからも、何度か怨嗟の念は清を攻撃してきた。その度に、清は霊力を全開にしてやり過ごしてきた。そのせいもあり、潜航してから何分経ったのかが分からなくなったのだ。
――早くしなければ。あいつの人格だけでなく俺の人格まで破綻しかねない。急がなければ、急がなければ……でも周囲に広がるのは赤黒い世界のみ。どうすれば助手を見つけ出せる?
清はいい加減、焦りを感じ始めた……すると、その時だった。
「…………ん……ぇ……」
聞き覚えのある声が、聞こえた。
清はハッとして、声のした方へと移動を始めた。
その場所は、すぐに見つかった。
そしてそこで彼は、葉子が赤黒い奔流に蹂躙されているのを目撃した。
咄嗟に清は「鋭ッ」と術を使う。
すぐに怨嗟の念は葉子の周囲から散った。
残された彼女は、虚ろな目つきをしていた。
まさか手遅れだったのか。
助手のあまりに無残な有様を見た衝撃で、清は頽れそうになった。
すると、次の瞬間。
葉子は奇跡的に、清の方へと視線を向けた。
さらに彼女は、視界に清を収めた瞬間、すぐに彼の存在に気づき、涙目で「せんせぇ~~!!」と、先ほどまでのヒ○ピンでレ○プ目な状態など知った事ではないと言いたげな勢いで彼に抱きつこうとして――。
――アイアンクローを受けた。
「い、イダダダダダダァァァァァァ――――――――ッッッッ!?!?!?!? ちょ、せんせぇッ!?!? な、なじぇぇぇぇぇ――――ッッッッ!?!?!?」
葉子が、悲鳴を上げる。
明らかに、葉子のモノではない悲鳴を。
「久しぶりだな。俺が騙されたフリする役なのは。師匠の下で修行した時以来だ」
しかし清はそんな事など知った事ではないと言わんばかりに、しみじみと過去を振り返った。
「あいつの思考回路とかを模倣したつもりだろうが、俺のアイアンクローを快感に変えられるのは世界であいつぐらいだ。模倣するなら、そこんトコもちゃんと再現しろ。中途半端だぞ。しかもここに至るまで、あまりにも……三流以下と言っても過言じゃないシナリオだぞ? どこぞの誰か」
しかし時間がないのを思い出し、彼はすぐに話を進める。
「お前が現在支配しているあいつの精神世界で、こんなに都合良く……俺が助手を見つけ出せるワケないだろ? もしもそんなご都合主義な事象が起きたら、罠だと思うのが自然だ。というワケで、とりあえずお前は寝て――」
「ま゛、で……」
トドメを刺そうとしたその瞬間。
葉子の顔をした何者かが、清へと言う。
「ず、でに……あ゛の゛む゛ずめ゛の゛い゛じぎば……も゛ら゛っだ……わ゛だじを゛げぜば……あ゛の゛む゛ずめ゛も゛……ぞれ゛に゛、わ゛だじを゛い゛がぜば……む゛ずめ゛を゛……プラ゛ジーボごう゛がの゛、お゛う゛よ゛う゛で……お゛ま゛え゛の゛お゛も゛う゛がま゛ま゛の゛……よ゛う゛じに゛――」
「鋭ッ★」
清は容赦なく、相手に霊力を浴びせた。
「ぐゃッ」という変な悲鳴を上げて、葉子の顔をした何者かは気絶し……周囲の怨嗟の渦へと還元されていった。
「他人の容姿をとやかく言う前に、まずお前の見た目をどうにかしろ。キモいんだよ。それに、人の知り合いを過小評価すんな。あいつはそこまで脆くはない。ヤワではあるが、だからこそあいつは……これまで生き残ってこれたんだからな」
――ッ!! ――??
怨嗟の念の渦が、怒りと同時に疑問を覚える。
「分からないなら、考えろ。少しは自分の頭でな」
しかし清は、答えを出さず。
怨嗟の念の渦との追いかけっこを再開した。




