86話 子供とは
又左衞門の初陣の話が終わると、子供達は目をキラキラさせながら「父上すごい!」と感嘆の嵐だった。
特に犬千代は、又左衞門がまだ犬千代と呼ばれていた時代の話だったということもあり、親近感と憧れが混じり合って、幼いながらも感銘を受けたようだった。
「僕も父上の様な立派なお侍になる!!」
と食事中も興奮冷めやらぬ様子で何度も口走っていた。帰り際にもまた今度、又左衞門の話を聞かせて欲しいと俺にねだるほどだった。俺に対する警戒心もすっかり解けたようだ。
食事が終わって、台風の様な前田家の子供達が帰ってしまうと、いつも以上に我が家が静かに感じられてしまった。
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事件が起きたのは、その日の夜だった。
「いやー、やっぱり子供が居ると賑やかで楽しいなー」
俺が寝室で何の気なしにそう呟いたのが発端だった。
その言葉を聞いた瞬間、夜着を整えていた寧々の手がピタリと止まった。
「藤吉郎様……」
突然だった。
本当に突然、寧々が普段見ないような厳しい顔をしたかと思うと、正座をして深々と頭を下げた。
え? え? 何々? どうしたの?? 状況が理解できず、俺は動揺した。
「ずっとお話しようと思っておりました……」
「ね、寧々?」
寧々は顔を上げることなく、そのまましゃべり続ける。
「わたくしが藤吉郎様に嫁いでから五年経ちました。それなのに未だに跡継ぎを産むことが出来ず、嫁としてのお役目を果たすことが出来ておりません……。おそらく、わたくしは石女なのでしょう……。これ以上、藤吉郎様のお側には居られないことは重々承知しております……。どうぞ、わたくしを離縁なさってください」
震える声で一気にそう述べた寧々の言葉を聞いて、ようやく俺は自分が無意識にとてもデリカシーの無いことを言ってしまった事に気が付いた。
そして、子供ができないことを、こんなにも寧々が悩んでいたということに気付いてあげられなかった自分の無能さにも気が付いてしまった。
「寧々……。ごめん。俺、寧々がそんなに悩んでいたなんて思ってなかった……」
慌てて謝ってみるも、寧々は顔を上げてくれなかった。
怒っているのかもしれない……。胸の奥がチクリと痛んだ。
大好きな寧々をこんなに悲しませていたことに気付かないなんて……俺はなんてアホなんだ……
どうしたら良いんだろう……。
この時代の女の人にとって、跡継ぎを生めないということがどんなに辛いことなのかを改めて突き付けられて、どうしたら良いのかすぐに答えが出せなかった。
「寧々……」
俺の言葉を遮って、再度寧々が口を開いた。
「覚悟は出来ております。どうぞ、離縁なさってください。」
そう言った寧々の肩が震えているのを見て、自分の不甲斐なさに腹が立ってきた。
考えて立ってしょーがねーだろ! 思っていることをちゃんと伝えなきゃ!!
「寧々さん。顔を上げてください」
俺は寧々の肩を抱いて、務めて明るく言った。
寧々はようやく顔を上げた。
怒っていたのではなく……泣いていた。
涙でぐしょぐしょになった寧々の顔をみたら、愛おしさが込み上げてきて思わずギュッと抱きしめた。
「俺は子供が好きです……。けど、それ以上に寧々さんのことが大好きなんです。寧々さんとずーっと仲良く一緒に暮らして、その途中で子供が生まれたらもちろん嬉しいけど、子供が生まれなくても、寧々さんが近くに居てくれればそれでとても幸せなんです」
寧々の耳元でそう呟くと、寧々が小さな声で予想外の言葉を返してきた。
「……では、側室をお迎えください」
これには少し驚いて、顔を上げて寧々を見つめた。
寧々の瞳には決意の光が宿っていた。……どうやら冗談ではないらしい。
「もし私をお気遣い頂いているのならば……構いませんので、是非側室を迎えて跡継ぎを生んで頂いてください」
改めて驚きだった。こんなに跡継ぎを重要視しているとは……。
「寧々さん。何度も言いますが、俺は子供が居なくても、寧々さんが近くに居てくれればそれで幸せなんです」
「でも、子供が居なければ木下家を継ぐ者が……」
「居なくても構わないと思ってます」
「え?」
寧々は理解できないといった顔をして、俺の目を見つめてきた。
ああ、ここが認識の違いだったみたいだ。
うん、何度でも言ってあげよう。
「別に跡継ぎは居なくても構いません。必死に継ぐほどの家でも無いし」
「で、でも、木下家の血を途絶えさせることに……」
「まあ、途絶えても良いんじゃないですか? 仕方無いし」
「え?」
寧々は今度は信じられないという顔をして、俺の目を見つめてきた。
「もう一度言っても良いですか?」
俺は寧々の目を見つめ返して言った。
「……はい」
寧々がこくんと頷くのを見て、またさっきと同じセリフを繰り返した。
「俺は子供が居なくても、寧々さんが近くに居てくれればそれで幸せなんです」
途端に寧々の目からまた大粒の涙が溢れ出してきた。
「藤吉郎様ぁ……」
掠れるような声で俺の名前を呼ぶと、寧々が初めて自分から俺の胸に飛び込んできた。
寧々は俺の胸の中で、ずっと泣き続けていた。
俺はそんな寧々の髪をずっと撫で続けていた。
静かな、けれども俺達夫婦にとっては重要な夜がゆっくりと更けていった――。




