小話 元康
織田信長との会談が終わり、三河と尾張は同盟を結ぶことになった。これで、しばらくは今川家との戦いに集中できるだろう……。
一つ懸念事項が減り、少し心が軽くなった。
「蔵人佐殿。この後に茶会を準備している。ぜひ、参加いただきたいのだが?」
織田信長が楽しそうにそう言った。……茶会? まあ、断る訳にもいかないだろう。
「お心遣いありがとうございます。もちろん参加させていただきます」
こうして私は信長主催の茶会に参加することになった。
・・・・・・・・
茶会は城の庭園を使った野点で、想像していたものよりもずっと盛大だった。
「松平蔵人佐様。お初にお目にかかります。智と申します」
織田信長が連れてきた美しい女性が丁寧に頭を下げた。信長の側室だそうだが、独特の存在感を持つ女性だった。さすがは信長が見初めた女性だ、と妙に納得する。
挨拶を返そうと思った瞬間。……『智の方』の少し後ろに控えている若い女性に目を奪われた。
『智の方』に似ているのだが、少し気恥ずかしげに俯いた姿がまた少し違った雰囲気を醸し出している女性だった。
「……三河の松平蔵人佐です。」
一瞬の間をおいて、挨拶を返す。下げた頭を上げると、信長がニヤリと笑って言った。
「智。旭も紹介せよ」
『智の方』と『旭』と呼ばれた女性は、一瞬「え?」と言う顔をしたが、智の方は頷いて後ろの女性を紹介してくれた。
「こちらの娘は私の妹で『旭』と申します。行儀見習い中で、茶会は本日が初めてですので、何か粗相がありましたら申し訳ございません……」
「旭と申します……」
旭と呼ばれた女性は小さな声でそう言うとゆっくりと頭を下げた。
美しい女性にはもちろんこれまでも何度か会ったことはあったが、なぜか居丈高なふるまいの女性が多かった。 これほどまでにたおやかで美しい人がいるとは……。
「三河の松平蔵人佐です。お見知りおき下さい」
高鳴る鼓動を抑えつつ、名乗る。この方は私の名を心に留めてくれるだろうか……。
「蔵人佐殿、この茶会はいかがかな?」
信長がまた楽しそうに聞いてくる。
「はい。紅葉を見ながらの野点とは、たいへん風流で素晴らしいですね」
「そうだろう!」
少し持ち上げるように感想を述べると、信長は満足げに頷く。
「して、上ノ郷城落城の立役者の石川とはどの者なのだ? その時の様子を詳しく聞いてみたいのだが」
急に信長は話題を変えた。
先ほどの会談の際、信長は『上ノ郷城の落城』に非常に興味を持っていた。堅城で名高い上ノ郷城だ。その作戦を知りたいと思うのは当然だろう。
将来的に敵となる可能性もある相手にあまり話したくはない内容だが、同盟を結んだ直後に聞かれれば断る訳にもいくまい。これも信長の作戦か……。
変に誤魔化しても不信感を募らせるだけだと考え、少し離れた場所で誰かと話している石川与七郎にこちらへ来るように合図を送った。
石川与七郎は私が幼い頃からずっと仕えてきた近習だ。たとえ私から離れていても、いつ呼ばれても良いように私から目を離さない。
すぐに私の下へやってきた石川与七郎を織田信長に紹介する。
「こちらが石川与七郎です。与七郎、上総介殿が上ノ郷城を攻めた時の詳細を聞きたいそうだ。話して貰えるか」
与七郎は目線で『良いのですか?』と聞いてくる。俺は軽く頷いた。
――信長は与七郎の話を興味深そうに聞いていた。
話が終わると、最後の締めくくりに与七郎はこう言った。
「しかしこの作戦も、『木下藤吉郎殿』が人質交換の策を思いつかなければ実行はいたしませんでしたので、藤吉郎殿には非常に感謝をしております」
「ほう! 藤吉郎か」
藤吉郎と言う者の名が出ると、信長がまたニヤリと笑った。智の方と旭殿も何やら顔を見合わせている。事前に与七郎に聞いていた名ではあったが、『木下藤吉郎』とは一体何者なのだろうか?
「私も与七郎に聞いておりましたが、藤吉郎殿とはどなたでしょうか?」
私がそう尋ねると、信長は辺りを見回した。
「む? 藤吉郎はどこへ行った?」
「おや? 先ほどまであちらにいらしたのですが……」
与七郎も周りを見回しながら言う。
「まあ、良い。もうすぐ暗くなる。今日の茶会はそろそろ終いじゃ」
信長のその一言で盛大な茶会は終幕となった。
茶会の終了を告げられると、少し名残惜しい気持ちになった。……旭殿にまたお会いできる機会はあるのだろうか。
この美しい女性の姿を少しでも心に残しておきたいと思い、ちらりと旭殿の方へ目線を移したとたんに旭殿と目が合ってしまう……。
旭殿の美しい顔が朱を注いだように赤くなった。……いや、恐らく私も同様だったかもしれない。
「……藤吉郎はまたすぐに紹介することになるだろうからな」
最後に信長は意味深な言葉を呟いたが、その時の私にはその言葉に込められた意味は分からなかった――。




