小話 三郎②
「藤吉郎に見られるとはな…」
馬を走らせながら苦笑する。
今朝は誰にも見られずに城を出たかった。その為にわざわざ人の目の無い早朝に出発したというのに。
しかもよりによって那古野に向かうとは。まあ、アイツは徒歩だ、恐らく稲生の渡しから行くのであろう。かち合うことは無いと思うが…。
そんなことを考えつつ、萱津の渡しへ向けて馬を走らせる。
萱津の渡しに着くとまだ早い時間であるせいか、人影はまばらであった。向こう岸では馬は使わないだろうと思い、舟に乗る前に馬屋を持つ旅籠に馬を預ける。
先頭に多目に渡し賃を握らせ、すぐに舟を出すように伝える。
「へ?こんなに?」
先頭は少し驚いた顔をしつつも、喜んですぐに舟を出した。
穏やかに流れる川を渡り、岸に着くやすぐに舟を降りる。
・・・降りた渡し場の先には智が立っていた。
「お待ちしておりました。上総介様」
智の丁寧な物言いに、棘を感じる…。
「智…。二人の時はいつも通りで良い。お前にそんな言葉遣いをされると窮屈でかなわん」
ふー、と智が溜め息をつく。
「そう。…で、今日わざわざこんなところに呼び出したのは何の用なの?三郎?」
単刀直入だな…。相変わらずの智の様子にニヤリと笑みがこぼれる。まったくこの姉弟は、見ていて飽きん。
「用事なら、鳥に持たせてくれればいいのに…」
「鳥には任せられぬ、重要な話があるのだ」
智の言葉に被せるように話す。瞬間、智がハッと厳しい顔をする。
「…まさか、藤吉郎に何かあったの?」
「藤吉郎?ああ、あやつのことではない。アレはまた面白い事を言っておったのでその仕事をさせている」
智は藤吉郎の話ではないと分かるとすこしホッとした顔をした。
「では、重要な話って…?」
「うむ。まずは落ち着いて話せる場所へ行く」
そう言って、渡し場を後にする。
向かったのは、この近くの神社だった。元服前によく川狩りに来た時に休憩所として使っていた神社だ。
神主は俺が突然訪ねて来たことに驚いていたが、部屋を借りたいと話すと何も聞かずに、奥の部屋を案内してくれた。手伝いの者が茶と菓子を運んで来たが、すぐに立ち去る。
智が手伝いの者に礼を言う姿を見ながら、ふと思う。・・・コイツも男に生まれておれば、藤吉郎のような良い武士になったかもしれんな。
…いや、そんなことを言っても詮無いことか。
「で、重要な話って何かしら?新しい任務?」
手伝いの者が立ち去ったのを見計らって、智がこちらへ向き直りさっそく聞いてくる。
任務…か。ある意味、そう言ってもいいか。
「…智。お前、俺の側室になる気はないか?」
智は一瞬意味が分からなかったのか、小首を傾げてきょとんとした顔をする。こういう仕草も愛らしいと思う。
「もう一度言った方が良いか?…俺の側室にならぬか?と聞いておる」
ようやく理解したようで、智は途端に美しい顔を上気させ俯いた。ほほぅ。こいつのこんな初な反応を見られるとはな…。予想外の収穫に心が躍る。
「そ、それが…今日の話なの?」
「ああ、そうだが」
しばし沈黙が流れる。
「そ…側室と言うのは…その…三郎と…その…あの…夫婦になるってことかしら…?」
「それ以外に何がある?」
智は上気した顔を上げる。
「む、無理よ!私はそんなに立派な家の娘でも無いし…」
「家柄なぞは関係ない」
「そ、それに、母さんと弟達を置いてはいけないし…」
「ふむ。家族も清洲に呼び寄せて良いぞ。藤吉郎もいることだしな。安心であろう?」
智の顔が更に真っ赤になった…。
「と、とにかく!!…しばらく考えさせて…」
そう言うと、智は有無を言わさず部屋から出て行く。ぱしん!と襖が勢い良く閉まった…と思ったら、再度襖が開いた。
「…返事は後日、鳥に持たせるわ」
そう言って、また、ぱしん!と襖を閉めた。
昔の俺なら無礼な態度だと怒っていた所だな…と、冷静に考えるくらいの余裕は、この時まではまだあった。
しかし。
よもや断られることはあるまいな…?と思い至った瞬間、急に焦りに似た気持ちが湧きあがってきた。…少し事を急いてしまったか?
「智め。俺を焦らしよるとはな」
思わず独り言つ。
まさか保留にされるとは考えもしなかったので、先ほどまでの余裕の気持ちは失われていた。
・・・本当にあの姉弟は、予想がつかん。




