第4話 捨てる家、残る街
雪は降っていなかった。
だが寒さは、むしろ増している。晴れた日の冷え込みは、雪国では危険信号だ。
工事区画の周囲に、柵が立てられた。杭は打ち込まれ、掘り返された地面は凍り、盛り上がっている。見た目は固い。だが中身は、壊れやすい。
カイルは領主邸に呼ばれた。
「例の案だ」
領主は地図を机に広げ、指で円を描いた。
「“暖めない区画”。ここを無人にし、冷却帯にする」
地図の円は、街の中心に近い。人が多く住み、店も集まる場所だ。
「ここに住む者は、どうなる」
「移設だ」
領主は短く言った。
「代替地は、北の丘に用意する。不便だが、安全だ」
不便、という言葉に、重みはない。
丘は風が強く、雪が溜まり、街道からも遠い。
「全員は納得しません」
カイルは言った。
「分かっている」
領主の声は低かった。
「だが、このまま建て替えれば、街全体が歪む。それだけは、避けたい」
彼は選んだのだ。建てない判断を。
その日、集会が開かれた。
無人化対象の住民が集められ、地図が示された。
「なぜ、俺たちなんだ」
最初に声を上げたのは、老人だった。背中の曲がった男だ。
壁に寄りかかり、立っているだけで精一杯に見える。
「ここは、祖父の代からの家だ」
領主が説明する。
地形、凍結、融解、歪み。正しい言葉が、丁寧に並べられる。
だが老人は首を振った。
「難しい話はいらん。ここで死ぬ。それだけだ」
ざわめきが広がる。
若い母親が声を上げた。
「丘に行けと言うけど、子どもはどうするの。学校も、医者も遠い」
商人が続く。
「店は?ここで商売してきたんだ」
カイルは黙って聞いていた。説得はしないと決めている。説得は、勝ち負けを生む。
代わりに、彼は木箱を持ち出した。中に、土と氷、水を入れる。
「見てください」
彼は暖炉の近くに箱を置いた。氷が溶け、水が土に染みる。しばらくして、外へ運ぶ。夜気に晒す。やがて、水は凍り、土が盛り上がる。
「これが、皆さんの家の下で起きていることです」
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
「ここを捨てるのは、皆さんの人生を否定することではありません」
カイルは続けた。
「この街を、次の世代に残すための判断です」
子どもが、一人前に出た。あの家の娘だ。
ベルナで見た顔とは違う。雪国の子どもの、静かな目。
「うち、どこに行くの」
母親が肩を抱く。カイルは少し屈み、目線を合わせた。
「風の強い丘だ。寒い」
正直に言った。
「でも、床は動かない」
娘は考え、そして言った。
「走れる?」
「走れる」
「転ばない?」
「……今よりは」
娘は小さく頷いた。それが、最初の同意だった。
全員が納得したわけではない。泣く者も、怒鳴る者もいた。
夜の集会は、重く終わった。翌日から、移設が始まった。
家は壊されない。使える部材は外され、運ばれる。
雪に埋もれた通りに、空き家が増えていく。見た目は、衰退だった。
カイルは無人区画に立ち、息を吐いた。風が冷たい。
だが地面は、静かだ。
――これでいいのか。
自問は、消えない。だが、建て替え工事の区画を見ると、基礎の石がわずかにずれているのが分かる。選ばなければ、全部失っていた。
その夜、気温がさらに下がった。凍結は進み、街は軋む。
だが――
無人区画は、沈まなかった。捨てた家が、街を守っている。カイルは外套を握りしめた。
建てない判断は、いつも冷たい。
そして、それでも残るものがある。




