第3話 建て替えは、最悪の対策
雪が一度、緩んだ。
昼の気温がわずかに上がり、屋根から水が落ち始める。
街の人々はそれを「春の兆し」と呼ぶ。だがカイルには、別の言葉しか浮かばなかった。
――合図だ。
広場の一角で、木杭が打ち込まれていた。赤い布が結ばれ、区画が示されている。
集会所の前には人が集まり、ざわめきが雪に吸われず残っていた。
「始まるぞ」
誰かが言った。
領主の計画は早かった。老朽化した家屋を一斉に建て替える。断熱材を厚くし、魔法暖房を組み込み、基礎を強化する。雪国の“最新”を詰め込んだ工事だ。
「壊れる前に、壊して作り直す」
それが、領主の答えだった。
カイルは人混みの外から、杭の位置を見た。街の中心に近い。低い。水と冷気が集まる場所だ。
「そこを触るな」
思わず口を出していた。
作業員が振り返り、訝しげな顔をする。
「何だあんた。工事の邪魔だ」
「建て替えは、ここでは最悪の選択です」
その言葉で、空気が張り詰めた。周囲から視線が集まる。怒りより先に、不安が走る。
「最悪?」
若い男が前に出た。
「俺たちは、冬を越すために建て替える。
古い家は寒い。危ない。
あんたは、それを我慢しろと言うのか」
「我慢しろとは言いません」
カイルは答えた。
「ただ――ここを建て替えれば、この街はもっと歪みます」
ざわめきが強まる。
「新しい基礎は、古い地面より硬い。凍結と融解の力は、弱い方ではなく、強い方を壊します」
誰かが吐き捨てた。
「難しい話だ。要するに、何もしないってことだろ」
「違います」
カイルは雪を踏み、杭の根元にしゃがんだ。溶けた水が、靴底に滲む。
「“建て替えない”だけです。
代わりに、配置を変える」
「配置?」
「暖める場所を減らす。冷たい場所を残す。そうしないと、この街は持ちません」
沈黙のあと、怒号が飛んだ。
「ふざけるな!」
「ここに住むなと言うのか!」
「出て行けってことか!」
正しい反応だった。
雪国では、家は命だ。暖かさは、生存条件だ。
領主が現れ、手を上げた。
「静まれ。判断は私がする」
視線が集まる。カイルは領主を見た。若い顔に、疲れが滲んでいる。
「あなたの案は、街を止める」
領主は言った。
「交易は続けねばならない。人は減らせない。だから、強くする」
「強くすると、壊れます」
「それでもだ」
領主は言い切った。
「壊れるかもしれない未来より、寒さで死ぬ今の方が怖い」
その言葉に、誰も反論できなかった。
工事は続行された。杭が打たれ、地面が掘り返される。溶けた雪が滲み出し、作業員の足元を濡らす。
カイルは一歩下がった。止められないと悟ったからではない。
止めれば、別の場所で壊れる。それが、この街の構造だった。
その夜、気温が下がった。昼に溶けた水が、音もなく凍る。
カイルは宿の窓から、工事区画を見下ろした。
地面が、わずかに盛り上がっている。
――持ち上げられている。
春は、まだ来ていない。だが、壊れる準備は整っていた。
カイルは図面を広げ、線を引き直す。建てる場所ではない。捨てる覚悟が要る場所。
ペンを置いた手が、わずかに震えた。これは、ベルナとは違う。
正しくても、嫌われる判断だ。
そして――
誰かを、必ず寒さに追いやる判断だ。
外では、氷が鳴っていた。壊れる音ではない。
壊れ始める音だ。




