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第75話 独りぼっちの

 自分で導き出した答えに、レイは自分で震え上がった。知らず足が止まる。


(王証があれば……それも複数あれば、魔王を蘇らせることができる?)


 言葉だけ聞けば夢物語のように現実味がないのに、旅の始まりに聞かされたセレニエルやヴァルの説明のせいで、どうしても不可能だとは一蹴できない。

 魔王は神気ディーオを奪われて封印され、今もなお王証と斎王の力をもって魔王を抑えていると、祖母セレニエルは言っていた。その王証が奪われれば、魔王を抑えられなくなる。


(もし……もし魔王が復活したら……)


 世界は、どうなってしまうのだろう。

 魔王は今度こそ世界を壊すだろうか。


(いや……そうじゃない)


 魔王は、ジオを求めて地上に降りたのだ。そしてライルード伯爵家の娘という対を得た、はずだ。


(対を得て、魔王の望みは叶った……んだよね?)


 仮に今の時代に魔王が蘇っても、五百年前の喪失感は薄れているはずだと信じたい。

 けれど、魔王を物理的に封じているという最後の聖砦(エスカトン・フルリオ)は、破壊される可能性が高い。そして魔王を封印した神々の子孫もまた、復讐の標的になる恐れがある。

 魔王と呼ばれるくらいの荒ぶる神だ。自分を閉じ込めた者が、その子孫が繁栄を築いていると知れば、赦しはしないだろう。

 プレブラント聖国は、滅びる。

 導きだされた結論に、レイは恐怖を堪えきれず叫んでいた。


「そんなのダメだよ!」

「え? そんなことするわけないじゃん」

「…………」


 あっけらかんと笑われた。

 とてつもない羞恥がレイを襲った。


(穴があったら入りたい……)


 なんなら今すぐ陥穽かんせいの神法で落とし穴を開けてすすんで入ってもいい。それくらい、自分の発言の短絡さに恥じ入った。

 魔王を蘇らせるなど、冷静に考えれば英雄になりたい年頃の子供特有の痛々しい発想と程度が同じではないか。

 レイは込み上げる恥ずかしさを誤魔化すように、再び丘を下りだした。


「そ、そうだよね? 魔王なんて、非現実的にも程があるよね?」

「本当だよ。蘇らせて何するの? 用もないのに」


 にこにこと笑うハルウがあまりに無邪気で、レイは益々自分の視野が狭くなっていたことを実感した。ここにヴァルかリォーがいれば、労わりのない冷ややかな眼差しを向けてきたことだろう。


(ある意味いなくて良かった……じゃなくて!)


 レイはすぐに逃げようとする思考を振り払って、話を元に戻した。


「じゃあ、王証を二つも揃えて、何をするつもりなの?」


 カーラを人質に取ってまで、リォーから奪った王証。だがこれに、ハルウは笑って応えなかった。代わりのように、ハルウの白く長い指が、レイの胸元に触れる。

 刹那、目の前で何の躊躇もなく切り落とされた腕が過ぎって、レイは身を固くした。


「っ?」


 だが、何も起きなかった。


御守り(コレ)が本当は何なのか、知ってる?」


 服の上から黒泪の首飾りを押さえて、ハルウが上目遣いにレイを見る。それに色んな意味で動悸を速めながら、レイは記憶を掘り起こした。

 最後の聖砦には、聖拝堂がない代わりに、祭室がある。建物の最奥に位置し、数段上がった場所に作られた祭壇を起点に扇型に広がる部屋だ。窓はなく、蠟燭に火を灯せば、泪型をした漆黒の宝石がぼんやりと浮かび上がる。

 子供の頃は、その様子が怖くて、でも何だか寂しそうで、いつもちらちらと盗み見ていた。セレニエルからは決して近付いてはならないと言われていたから、祭室に入ったことはないけれど。


「何って……聖砦にある宝玉の模造品レプリカ、でしょ?」

「あの女はそう言ってたね」


 あの女、とハルウはセレニエルのことを呼ぶ。何十歳も年上のはずの、国でも一、二を争うな高貴な女性を。


「でも赤子の御守りにあんなものを模すなんて、趣味が悪いにもほどがあるよね」

「そう、かな? 考えたこともなかったけど」

「そもそも、あんな綺麗でもない宝石が祀られているなんて、変だと思わない?」


 同意を求めるハルウの言に、レイはむむと首を捻る。

 元々、宮中の華やかな文化とは無縁で育った上、性格的にも宝飾品に興味が向く方ではなかった。ゆえに貴重品の審美も真贋も一切できない。決して、猿山の子猿のように駆け回っていたせいではない。


「確かに、キラキラはしてないけど。でも、貴重なものだって……」


 聖砦の宝玉は、無退石メランダクリという水晶を雫型に加工したものだ。神法の適性があるかどうかを調べる法具にも使われる宝石だが、あそこまで大きな物は他にないと聞いたことがある。

 だが言いながらも、レイ自身その違和感に既に気付いていた。


(貴重な宝物だから、祀られてる?)


 それは、言葉にすればあまりに陳腐で不自然だった。

 レテ宮殿を見た後だからこそ余計感じるが、聖砦には貴重品や財宝の類は一切ない。建物自体の装飾も最低限しかないような場所だ。

 そしてその建物の存在理由は、神気ディーンを奪った魔王の封印。そこで斎王が日々祈りを捧げるものが、大きいだけの宝石。


(そんなわけ、ない)


 セレニエルは自身の力と、残された王証――神弓トクソの欠片によって、魔王の封印を維持していると言っていた。祈ったり祀ったりするならば、神弓こそを対象とするのではないか。

 しかし、レイはそれを見たことがない。それが何故かも分からない。

 代わりに、先程ハルウから聞かされたばかりの言葉が頭を巡った。


(魔王の、王証)


 それは、一体どこにあるのか。

 その問いはけれど、口に出ることはなかった。


「あれが、魔王の神気だよ」

「そんな……」


 瞠目するレイに応えるように、ハルウが先んじてそう言った。

 そしてそれは、考えれば当然のことのように思えた。

 奪った神気を消滅させていないのならば、どこかに存在しているはずだ。そしてそれは、聖国にとって最重要機密にあたる。そんなものを、手の届かない場所に置くはずがない。


「じゃあ、あれは……祈りを捧げてたんじゃなくて、監視してたってこと?」


 斎王は、毎朝祭室に入って祈りを捧げるのが日課だ。だが他にも何か問題が起きれば、セレニエルは祈りを捧げると言って一人祭室に籠った。

 その後ろ姿を見ると、レイはいつも思っていた。会話をしているみたいだ、と。

 だから何か問題が起きたり、レイが泣いたり怒られたりする度に祭室に入る祖母を、相談しにいっているのだと、つい最近まで本気で思っていた。

 けれど実際には、そんな幼稚な想像とは正反対の、無味乾燥な行為だったのか。

 しかしこれにも、やはりハルウは興味なさげに「さぁ?」と笑う。そして衝撃的な単語を続けた。


「そんなことはどうでもいいんだよ。だって、あれも偽物だから」

「……えぇっ!?」


 あまりに簡単に言われ、レイは一瞬理解が追いつかなかった。そして次には、右手に握り締めたままの神弓の例を思い出す。


「偽物って……まさか、魔王の王証も行方不明なの?」


 それこそ一大事ではないかと顔を青くするレイだったが、やはりハルウはあっさりと否定した。


「いいや。行方は分かってる」


 そして、おもむろにレイの襟元に手を突っ込んだ。


「ちょっ!?」

「これだよ」


 突然の狼藉に赤面するレイの前に引き出されたのは、先程からハルウが押さえていた黒泪の首飾りだった。

 勘違いした恥ずかしさにまた頬を赤くしながら、ぱちくりと目を瞬く。


「これ……が、なに?」

「魔王の王証。昔は、黒泪ダクリュオンとか呼んでたかな」


 返された答えに、けれどレイは首を傾げるばかりだった。

 神気に質量を与えたとして、その大きさがどのように決まるかは皆目見当もつかないが、右手の中の神弓と比べても、首飾りはあまりに小さい。

 何せ、片手で握り込めてしまえる程しかないのだから。


「でも……王証に比べて、小さいよ?」

「そりゃそうだ。二つに分けたんだもの」

「えっ、王証って分けられるの?」


 当然のように答えたハルウに、レイは三度驚愕した。次から次へと知らない事実が出てきて、そろそろ知恵熱が出そうな気分だ。


「王証は神気で出来てる。同等の力を持つ神気であれば、破壊できる。……神弓でも使ったんじゃない?」


 そう言えばヴァルも、王証を傷付けられるのは、唯一王証だけだと言っていた。神気で出来ているものを傷付けるということは、すなわち神を傷付けるのと同義なのかもしれない。


「でもそれって、なんだかすごく……畏れ多いこと、じゃないのかな?」


 魔王の王証――黒泪は王の証ではないから不敬ではないともとれるが、それ自体が神に等しい存在だと思えば、実行できる手段があったとしても、とてもしたいとは思えない。

 しかし、セレニエルは実行した。


「誰かが入れ知恵したんじゃない? そこら辺の、さかしらな老猫とかが」

「老猫って」


 どれだけヴァルのことが嫌いなのかと零れた苦笑は、けれどすぐに消えた。


「どちらにしろ、そうしなければならない程の理由があったってことだよ」

「理由って……?」

「君が、孤独だからだよ」

「――こ、どく」


 出し抜けに突き付けられた単語に、レイは息の仕方も間違える程戸惑った。

 レイには、ジオがいない。

 人にも植物にさえも、この世に生を受けた瞬間から対を持つと言われる中、レイにはそれが分からず、ずっと言い知れぬ不安を感じていた。

 子供の頃には、対があることで不完全な命が完全に近付くと説く神識典ヴィヴロスを読む度に、自分は不完全なのだと落ち込んだ。そのせいで、母に捨てられたのだと。

 実際には、双聖神や他の種族のように生まれながらに対を感知するということは、血の薄れた人間種ピリトスには難しいということは、今は分かっている。対とはただの概念で、現実的には何の効力もないと唱える者さえいる。

 セレニエルが対がいると言ったのも、説教に説得力をつけるための方便で、夫を対と「信じている」に過ぎない、はずだ。

 それでも、レイは不安を振り払えなかった。死んでしまった双子の妹のことがあるから。


 双聖神教では、双子というのは特別だ。

 血の薄れた人間種において、この世に生を受ける前から繋がりを持つ存在は、天上に近しい者と考えられる。特に前世で徳が高く、神の恩寵厚い者がなると信じられる一方、早くにその片割れを失うことは不吉とされた。


(ユフィール……)


 一度も呼ぶことのなかった妹の名前を、心の中で呼ぶ。彼女が、レイの生まれながらの対だった。十月十日ともにいて、そして分かたれた。

 難産の末に生まれた双子は、ともに虫の息だった。だが妹の方が、少しだけ多く泣いた。だから妹が母の手元に残された。

 弱々しい赤子を見て痛嘆する母親の前で、むざむざ死んでいく姉を見せたくなかったのだろうと、ヴァルは言った。

 それは、きっと正しいことだ。母の心を守るため、そして助かる確率の高い方に望みを繋ぐ。

 だから、見捨てられたなどと考えるのは独善的なことなのだ。レイ以外の全員が、最良で善良な判断をしただけなのだから。

 けれど、声が出なかった。

 違う、とは。


「酷いよね」


 首飾りを持つのとは反対の手をレイの背中に回し、ハルウが優しく抱き寄せる。青々しい、新緑の匂いが鼻腔をくすぐる。


「御守りだとか、祝福だとか加護だとか。言いたくないことを、綺麗に聞こえるように誤魔化してさ。でも、そんなの嘘っぱちだよ」

「……うそ」

「孤独な者は、常にウーデンに狙われる。その目を誤魔化すために、君に同じ孤独者を持たせたに過ぎない。決して手放すなと教えたのは、そのためさ」

「手放したら……どうなるの?」


 耳元で囁く声に、レイは導かれるように言葉を紡ぐ。考えなければならないはずなのに、頭が酷く重くて、少しも纏まらない。

 ただ、ハルウの声が甘くいざなう。


「こんな話を知ってる?」


 耳朶じだに触れる寸前まで近付けられた唇が、吐息をこぼして笑う。


「魔王は、孤独だったせいでいつも無に狙われていた。その身を守っていたのは、四双神が授けた偽物の対だったそうだよ。けれど魔王は、地上に降りて本物の対を見付けた――見付けたと思った。だから、偽物を手放した。そのせいで、世界は闇に包まれた」

「闇に……」


 夜の闇は、無が伸ばす手だと、神識典にはある。

 孤独な無は、神々が天上に昇ったあとも常に対を求めて抗い、太陽のいない隙をついて地上に手を伸ばそうとしている――それが夜なのだと、プレブラント聖国の子供は教えられる。

 風が生まれて火が生まれて、水が生まれて土が生まれても、ずっと対にはなれなかった無。

 独りぼっちの無。


「無はね」


 と、ハルウが囁く。


「生まれたその瞬間から今この時も、ずっと孤独に狂ってるんだよ」



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