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第15話 少しだけ、和解

 子供の頃から、フェルゼリォンは何もかもが嫌で嫌で仕方がなかった。

 宮殿も社交界も全学校スコーリオも、貴族も神職者も平民も、どこに行っても居場所はなく、味方もいなくて、いつも何かから拒絶されている気がしてならなかった。

 特に今日の和平記念式典のような、国中の貴族が集まるような大きな行事などは最悪だ。誰も彼もがフェルゼリォンの髪と瞳を、物珍しげに見てくる。

 見事な先祖返りだ。

 誰よりも青帝サトゥヌスの血が濃い。

 父祖の寵愛が最も強い証だ。

 未来の皇帝だ、宗祚そうそだ。

 そう、実に無責任に。

 だがそう並べ立てる者たちの目に浮かぶのが言葉通りのものでないことに、フェルゼリォンはもう何年も前から気付いていた。好奇、嫉妬、憐憫、忌避……心からこの青色を喜ぶ者など、誰一人としていない。

 現に先程も、式典の合間に年の近い貴族の子弟に揶揄されたばかりだった。


『げぇ、ほんとに青いぞ! 変な色の髪』

『泣き出した! 男のくせに、女々しいやつ』

『泣けば助けてもらえるとでも思ってんだろ。青の王子サマは』


 複数人で囲まれ、傷付けるためだけの言葉を浴びせられるのはいつものことだ。だから、それだけなら我慢もできた。

 だが今日は、誕生祝いに渡されてからずっと肌身離さず持っていた物を奪われてしまった。

 普段は隠しているのだが、今日は贈り主が来るからと、首から見えるようにかけていたのがいけなかった。


(手放しちゃだめって、いわれてたのに)


 これは御守りだからと、物心つく前から持たされていたものだったのに。


(きらいだ……みんな、きらいだ)


 もう一人の英雄神の子孫と会えると聞いて、ずっと浮足立っていた気持ちが、みるみる沈んでいく。


「泣いてるの?」

「ッ」


 突然声がして、フェルゼリォンはびくりと体を震わせた。咄嗟に顔を上げることもできず、抱えていた両膝をさらにぎゅっと抱きしめる。

 すると今度は、更に近い所から声が聞こえた。


「あ、血が出てる」


 ひどく無遠慮な声だった。子供の、少女の声だ。

 宮中で常に他人の顔色を窺って生きてきたフェルゼリォンには、その声が好奇より心配の色があることも分かった。けれど自分の喉から出たのは、ぶすくれた拒絶だった。


「……ぼくの血は、青くなんてない」


 膝の間に吐き出した、いじけた声。頭の中では、先程の連中の声が繰り返し流れていた。


『気持ち悪いんだよ。もしかして血も青いんじゃないの?』


 そんなわけない。

 けれどどんなに否定しても、この声は誰にも届きはしないのだ。彼らはフェルゼリォンの瞳と髪の色しか見ていない。フェルゼリォンのことなど見ていない。その証拠に、午前中に挨拶に来た貴族たちの誰とも目は合わなかった。

 だから。


「? うん。赤いね?」


 不思議そうにそう返されて、フェルゼリォンはひどく驚いてしまった。

 そんなの知ってるけど、と言わんばかりの声だった。その至って普通の返答に、強張っていた体から拍子抜けしたように力が抜け、やっと顔を上げる。

 母が身に着ける宝石よりもずっと綺麗な翠色の瞳が、フェルゼリォンを覗き込んでいた。ぱちくりと瞬きするたびに、長い睫毛が踊って光が散る。

 それはきつく目を閉じていたせいで闇に慣れたフェルゼリォンの視界に、少女の髪や瞳に反射した陽光が眩しく映っただけのことだったろう。けれどフェルゼリォンには、まるで少女自身が光を放っているように見えて。


「……こわく、ないの? 髪も目も、へんなのに」


 思わず、聞いてしまった。

 青の王子を知る者になら、こんな問いは実に無意味だったろう。

 けれど少女は、大きな瞳をぱちぱちと瞬いてから、えへへっ、と笑み崩れた。まるで、自分だけしか知らない特別な秘密を教えるように、得意気に。


「血はね、みんないっしょなのよ。髪も目もちがっても、血の色はみんないっしょなの。だって血はいのちだから。だから、おんなじなのよ?」


 それは幾分お姉さんぶった口振りで、十中八九誰かからの受け売りだと分かった。もしかしたら、少女もそうやって諭されたことがあったのかもしれない。

 だから、


「だから、だいじょーぶ」


 続く言葉はまるで質問の答えになっていなかったのに、気持ちは不思議と安らいだ。




       ◆




 泣くのかと思った。

 フェルゼリォンの中で、今のレイフィールは世間知らずで感情任せの短慮なだけの女だったから。けれど憎々しげにフェルゼリォンを睨むその瞳は、むしろ乾いていた。


(なんか、全然違うな)


 プレブラント聖国の第二王女について、情報は少ない。

 そもそも聖国の王家は積極的に外交をしないが、それでも姉である女王位継承権第一位の第一王女や、妹の第三王女の絵姿くらいは出回っている。しかし第二王女にはそれもない。

 橄欖石ペリドットのような透明度を持つ、美しい翠色の瞳の王女のことを教えてと言っても、誰も答えてくれなかった。最初は意地悪をされているのかと思ったが、後にそうではないことを知った。

 情報が全くないのは、難産だった上に病弱で、生まれてすぐ最後の聖砦(エスカトン・フルリオ)で育てられたからだった。

 だからずっと、あの日見た慈母のような無垢な心と、それに見合う可愛らしくも淑やかな、深窓の令嬢のような女性を思い描いていたのに。


(初対面でひとを女と間違えるし、猿みたいだし)


 かと思えば、今のように諦念じみた拒絶をする。

 会うたびに印象が変わるせいで、いまだにその本質を掴みきれない。

 だが一つ、分かったことはある。


(英雄の子孫なんか、ろくなもんじゃない)


 フェルゼリォンがこの髪色をずっと嫌っているように、目の前の第二王女もまた、ままならぬことに苦しんでいる。

 だがそうと分かっても、フェルゼリォンに謝る気は毫もなかった。どう言い繕っても、本心には変わりがないのだから。


「……俺は」


 と、口を開く。その矢先だった。


「奇遇だな。あたいもだ」


 真下から、中性的な濁声がそう言った。黒猫だ。


(いや、猫じゃないよな、絶対)


 猫よりも一回りは大きな体躯、そよぐほどに長い三角耳、紅玉のような瞳に、耳の先についた同色の耳環。何より、喋る。


(魔獣……というには、少し気配が違うんだよな)


 となると他には……と考える間にも、黒猫は器用に獣の口を動かして人語を操る。だが続いた言葉は、どうにも様子の違うものだった。


「サトゥヌスも、神経質で粘着質で生真面目で口煩かった。いっつも済んだことをねちねちと厭味ったらしく蒸し返して」

「はぁ? おい」

「よくユノーを怒らせてた。まぁ、楽天的なユノーのジオなんだから、それを補うように陰険になっちまったんだろうがな」

「おい、さっきから何のことだ」


 まるで二人を知己のように語る黒猫に、フェルゼリォンは警戒よりも困惑が上回った。

 人間種ピリトス以外の血が入ってる者は、外見から年齢を推し量ることが難しい。特に長命種マクロンなどは自分で大人になる時期を選べると言われ、幼子の外見でも百歳を軽く過ぎている場合がある。

 もしやこの黒猫も、という思考はしかし、次の一言で吹き飛んだ。


「だがあいつは、最後には謝った」

「!」


 ちらりと紅眼に睨まれ、フェルゼリォンは無言で唸った。

 諭すかと思えば妙な人物語りが始まったから何かと思ったが、全てはフェルゼリォンの劣等感に付け込んだ謝罪の要求だったらしい。実に迂遠で嫌味な前振りだ。

 しかしフェルゼリォンが文句を言うよりも先に、黒猫は言いたいことは言ったとばかりに毛並みを舐めだした。

 釈然としないまま、レイフィールを横目で盗み見る。

 ここぞとばかりに同調してくるかと思ったが、意外なことに驚いていた。先程までの敵意も消えている。しかも。


「え、尻に敷かれてたの?」


 台無しな感想を述べた。


「どう見てもな」


 ペロペロと肉球の間の毛並みを舐めながら、黒猫が同意する。その言い方が大袈裟でない分、妙な真実味があって頬が引きつった。

 双聖神教が広く布教されユノーシェルがより崇められる中でも、エングレンデル帝国においての信仰の対象といえば神帝サトゥヌスであった。

 農耕の男神である祖王は祖国に繁栄と豊穣をもたらし、最強の帝国軍を作り、次々と周辺諸国を併吞していった。

 その残虐ながらも雄々しい姿は絵本にもなっており、小さな子供にも広く親しまれている。英雄といえばサトゥヌスを指し、帝国男児が一度は憧れる一人と言える。

 それが、たとえ真実でなくともこんな風に言われるとは。

 サトゥヌスをあまり好きではないフェルゼリォンでさえ、心中は複雑であった。


「……さっきは、悪かった」


 フェルゼリォンは、渋々ながら謝罪を口にした。

 レイフィールがハッと振り向いて、それから首を横に振る。


「……ううん。私も、無神経だった」


 一時、互いに見つめ合う。

 苦いものが残るのは否めなかったが、ここで袂を分かつわけにもいかない。兄を見付けるまで、レイフィールは今のところ唯一の証言者なのだ。


「早くしな。あたいは走るのは嫌だよ」


 気まずい空気を呼んでか読まずか、黒猫がせっつくように口を挟む。子供の喧嘩など、毛繕いと体力の無駄遣いの更に下とでも言わんばかりである。

 それがどうにも可笑しかったらしく、レイフィールはそれまで悲しげだった瞳を柔らかく細め、くしゃりと笑った。


「もう。おばあちゃんはこれだから」

「誰がババアだい!」




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