7.反撃
「彼女は大丈夫よ、落ち着いているわ。念のためキャサリン達に一緒にいてもらうことにしたわ。」
ヨーコがビルとヘンリーに言う。船長が亡くなり、幹部会を3人で行っている。
「お思いがけないことばかり起きて、彼女も精神が追い詰められてしまったんだろう。」
「若い女性にはつらいことが多すぎた。それにしてもヨーコがあんなことをするとは思わなかった。」ヘンリーがヨーコを茶化すように言う。
「ええ、やりすぎたとは思うけど、人前でヒステリーを曝し続けることは若い女性にとって、恥ずかしい事よ。少し過激だったけど彼女を正気に戻すにはあれしか思いつかなかったわ。」
「私がああなったら、少し手加減してください」
「もう、冷やかさないでよ。それよりもロブが言った言葉の意味が分かった気がする。」
「え、何が」「何が分かったのです。」
「ロブは私たちに“生き残りなさい”と言った。あれはその通りの意味だった。ここで生き残るのは文字通り難しいと言うことよ」
「つまり、我々には生存不可能な苦難が待ち受けていると?」
「ええ、そういうこと。でもこのことは私の推測だから、確かとは言えない。皆には話さない方がいいでしょう」
「そうですね。今は不安を広めるだけですね。」
その後も今後の方針を確認し合った。
一方、他のメンバーにも動きがある。
イワンを前の操縦席側、ドクターを後部に引き離し頭を冷やさせていた。お互いに感情が高ぶっていたと反省はしていたが、両者を近づけるのはまだ早いと言う判断だ。
そのもめ事により感情を揺るがしたのが何人もおり、マリアもその一人だ。声もなく船内の隅で涙をためていた。誰にも気づかれぬよう、壁に顔をそむけていたが、仲のよいキャサリンに気づかれてしまう。
「マリア、泣いてるの?」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと船長さんのことで感情が高ぶったの。大丈夫よ」
「やはりショックを受けたのね。口に出したほうが、気が楽になるわ、話してちょうだい。」
少し間をおいてから口が開く。
「私があの時転びさえしなければ、・・・」そこからまた嗚咽が続き、言葉が出ない。船長が死んだのは、自分が転んでしまったからだと彼女は自責を感じていた。
「あなたのせいじゃないわよ」キャサリンはただ慰めるしかない。
もう一つ別の片隅では、ドクタージュリアがいたる。
「どうしたんですか。ドクターがあんなに興奮するなんてびっくりです。」ジュリアが心配げに問いかける。
「御免、心配かけてしまったね。」
「ううん、いいです。でも良かったら、訳を話してくれません?」
少し考え込むが、ゆっくりと口を開く。
「私はインドの貧しい家に生まれ、幼い時にアメリカの金持ち夫婦に引き取られたんだよ。子供の教育に理解ある親で高等教育まで出してくれた。勿論私も期待に応えようと一生懸命勉強をした。」ぽつりぽつり話し出す。
「そして結構有名な医科大学に入学できた。親は大学の学費も出してくれると言ってくれたが、私は少しでも早く自立したかったし、もう親に負担はかけたくなかった。バイトして学校に行った。バイトだけでやっていけると思ったが、医師への道は中途半端ではやっていけない。学寮に追われ、バイトする時間もなく、私は食事に困るほどで、あの時の生活は苦しかった」懐かしむ口ぶりに変わった。
「でも何とか学校は続けられた。そんな私にも春が来た。インターンの時だった、インドからの女子留学生と知り合い、恋をした。同属のインド人と言うこともあるが、彼女のさわやかな感じと、美しさにここ心を奪われたんだ。彼女も私が医師の卵であり、優秀なことを認めてくれた。ようやくこれまでの苦労も報われた気がしたものだよ。彼女といると周りの景色がなんでもよく見え、苦しい生活も嘘のようにはれていた。私は思い切って、彼女の兄に結婚の承諾を求めたんだ。ところが、彼は私の生まれを調査してこういった。“お前は下層階級の出身者ではないか。我が家は上級のバラモンの家系だぞ。おまえなんかに妹はやれない”と言われてしまった。なんでも私が生まれた場所まで行って、戸籍を確認したというんだ。あきれ返ったよ。」苦々し気に言う。
「私は自分のルーツなどにそれまで、気にもしたことはなかった。養父母が本当の親だと思っていたし、全くインド系だということにも自覚はなかった。子供のころ肌の黒いことでからかわれたことはあっても、義親に相談したり悩んだこともなかった。
別にお兄さんと結婚するわけじゃない。僕は彼女と一緒に入られればよかった。あきらめきれなくて彼女に会いに行ったんだ。彼女ならきっと僕と一緒になってくれると思ったんだ。お兄さんに断られても、彼女なら受け入れてくれると思った。
ところがね、彼女は会いたがらなかった。何とかストーカーのようにして彼女と二人きりに成れたが、彼女の僕を見る目はもう違っていた。さも私を汚物でも見るような目をしてた。少し前まで笑顔を見せていたのに別人の目だったよ。下層階級の僕を見下す目だった。
月に行く時代だというのにカーストも、身分もないだろ。呆れかえって彼女とはそれきりだ。月面基地の募集に応じたのも、新天地で公平な社会を目指したかったからだ。それが、あのイワンは、婚約者の冷酷な声とまるで一緒だ。誰だってヨーコが素晴らしい指導者であることは分かっていることじゃないか。彼の有色人への差別意識はひどすぎる。差別には我慢ができなかった」あきらめと怒りが入り混じって、興奮はなかなか収まってないようだった。
「分かったわ、イタル。あなたの気持ちはわかる。イワンも船長が死んだ直後で取り乱していたのよ」
一方、ヨーコは新たな行動を起こそうとしていた。外が暗くなって、静まり返ってしまった船内で、やがてヨーコが立ち上がった。
「ジョー、宇宙服を出して。」
「いいけど、何するんですか?ヨーコ。」
「船長の仇を討ちに外に出るのよ。あなたも船長の仇を討ちたいでしょう。このままじっとしてなんかいられないでしょう」ヨーコが思いがけないことを言い出した。
ヘンリーなどが集まり、宇宙服の点検や準備を始める。
「ヨーコ。このスプレーは何するんだ?よくこんなものがあったな。」10本ほど集まったスプレー缶を指して、ヘンリーが聞く。
「女性はおしゃれを忘れないわよ。月に行くときだって、皆、スプレー缶ぐらいは用意しているわ。その使い方は現地に行けば分かる。」と笑みを浮かべる。
そして、ヨーコは立ち上がり船の全員に聞こえるように言う。
「宇宙服を着れば虫にさされないですむ。あの鹿が虫を使って私たちを襲わせたのはほぼ間違いないでしょう。あの鹿を退治するのよ。外の虫も夕暮れになってから、静かになっている。昨夜も暗くなると大人しくなっていたから多分夜行性ではないでしょう。暗くて行動が鈍っている今がチャンスよ。私と一緒に外に行って船長の仇を討ちたい人は立ちなさい」
このヨーコの檄は効いた。
「よし、分った。ヨーコ。虫たちをやっつけよう。船長の仇打ちだ。」まっさきにマルコスが立ち上がった。
(こんな状況でじっとなんか、してられない。)と思っていたやさきだ。(ヨーコに先に言い出されてしまった)それにつられほとんどの男が、そして女性の何人かが立ちあがる。やはり、だれもがこのままではいけないと思っていたのだ。
「俺も行く。女のスカートの影で怯えてなどいられるものか。」イワンまでもが立ち上がっていた。さすがにヨーコを侮辱したことを気にしてか、いつもより控えめだった。
「あまり大勢で行っても鹿に気づかれるだけだわ。ヘンリー、ジョー、ジェフ、マルコス、イワン一緒に来て」それでもヨーコはイワンを中に加えた。技術集団の中でイワンとマルコは野外活動の経験は豊富だった。またジョーとジェフは船長との付き合いは深い。それが5人を選んだ理由だ。
6人は宇宙服に槍という奇妙なスタイルとなった。それぞれスプレー缶を携えている。森の中を進む。
「あの高い木のあたりにいるようだわ。気を強く持って、行くわよ。」
月明かりで、空き地の端に蹲る鹿のシルエットを浮かびだしていた。蜂はほとんど活動してないようだ。
「このまま、静かに鹿を囲むのよ」宇宙服の無線機で声がもれないのは好都合だった。
鹿は全く安心しきって寝ており、案外と簡単に近づき、取り囲むことができた。夜行性のはずだが、寝ているのはやはり、この鹿は普通のものではなかった。
ただ、背後に回ったマルコスが枯れ枝を踏みつけてしまい、パチンとした音をたててしまい、気づかれてしまった。
ぐっすり寝ていたはずだったが、鹿はがばっと立ち上がり、走り掛ける。
そこにヨーコがライターの火をつけ、持っていたスプレー缶の噴射口に近づける。一気に、火炎放射が、鹿に注いだ。これに男たちも続き、炎が鹿に取り囲む。
炎の恐怖に駆られて硬直してしまった。
そこに思い切って、マルコスが近づき火炎を鹿の顔に走らせた。
「けーん」たまらず鹿は、身を変え、逃げ出す。だが目がくらみ、すぐ後ろにいたヘンリーたちが槍を構えようとしていた。これに鹿は全く気付かない。
わき目も振らずジョーの構えていた槍に突っ込んだ。自ら突っ込み、首に槍の先が突き刺さる形だ。
ドサッという音とともに鹿が横倒しに倒れた。
すると、倒れた鹿の首から、白いコブが離れ、もぞもぞと地面を這い出した。
「イワン、そいつを突き殺して!」
「おう。」すばやくイワンがコブに槍を突き刺す。
その瞬間そいつから異様な感情が、人間達の頭に直接入って来た。殺意、怒り、恨み、恐怖などの入り混じった感情が人間達に襲いかかったのだ。
全員、吐き気をもたらすような嫌な感覚を受けた。耳鳴りにも似ているが、不愉快さが格段に違う。
何人もが顔を顰め、うめき声を上げ、そして片膝をついた。
数分の後、その感覚もようやく鎮まり、辺りは月明りだけ光っていた。
「ヨーコ。日本の女の子はそんな火遊びをしているのか」その嫌な感覚を冗談で紛らしたかったのかヘンリーがからかう。
「ええ、そうよ。大和なでしこに、うっかり言い寄ると火傷をするわよ」軽くヨーコも応じる。
「なんで、スプレー缶を火炎放射器にするなんて考えたんだ」
「昔国連からアフリカに派遣された時、子供たちが捨てられたスプレー缶で遊んでいたのよ。子供たちは戦争ごっことして、スプレー缶に火を点けて爆発をさせて面白がっていた。その中で、さっきのように炎を出して缶もあったことを思い出したのよ。火を見ると野生の動物は驚いて逃げ出すからあの鹿にも効くと思ったのよ。ほんと、意外と効いたわね」
「これから参考にするよ。それにしてもヨーコはタフだな。あんな嫌な感覚を受けてなんともないのか?」
「いえ。相当こたえたわ。あの悲鳴のような声が、あまりに脳に強く響いてしまい頭が割れそうになった。あれが鹿や虫達も操っていたんじゃないかしら?」これはヨーコの直観だったが、後で正解だと分かってくる。
「そうだろうな。あれを刺そうと時、叫び声が頭に響いたよ。実際には声をなかったはずなのに」イワンもげんなりした様子でいた。
「一昨日この森に入ったけれど、こんな化け物がいたらすぐ気づいたはずだ。鹿を使って、移動して来たのかな」マルコスが気になったことを口にした。
「多分、そうかもしれない。帰ってから詳しく調べましょう。」
「それにしても鹿に乗って虫を操るなんて厄介な奴だな。でもなんとか、片付けたから、帰りましょうか?」
「いえ、まだ仕事が残っている。この仲間がまだいるかもしれないから、付近を調べましょう。それから鹿とこれがどういうつながりがあるか調べないといけない」
「さすがは、ジャンヌ・ダルクだよ、まだやる気だよ」男たちはあきれ顔で見合わせていた。
念入りに付近を探したがもう他に怪しい獣も、あのいやな脅迫観念もなく、ヨーコは船に戻ることにした。
怪しげなコブとの格闘、随分時間がかかったように思ったが、まだ1時間も経過していない。それだけ精神的にダメージは大きかったのだ。
その証拠に、出迎えられ簡単に結果を話しただけで、遠征隊の全員はすぐに眠りに落ちた。
翌朝ビルがヨーコに確認してくる。「昨日、イワンは別に問題を起こさなかった?」
「今日のイワンを見れば判ったでしょう。自分の発言に相当後悔しているわ」簡単に答えるが、話はそれで終わらなかった。
そんなイワンが、思い切った行動にでた。なんとヨーコに謝罪しに来たのだ。
「ヨーコ、昨日は言い過ぎた。済まなかった。許してくれ」皆のいる前で大声で言って頭を下げた。
「ええ、もう、気にしてないわ」ヨーコも少したじろぐくらいだ。
「俺は、ヨーコをリーダーとして今後は従う」その後、彼は行動でこれを示していくことになる。
夕方、皆で火を囲んでいると、鹿とコブの検視の状況をマリアとキャサリンが報告する。
「鹿に取り着いていたコブのようなものは、鹿とは全く異なる生き物です。DNAまでは調べてませんが、コブの細胞そのものが鹿とは全く異質のもので、地球の生物には見られない構造です。背中は固い皮膚で覆われ、腹の側は柔らかい肉質で吸盤になっていて鹿の首に吸いつくようになってます。手足はなく体全体をぜん動させて移動していると思います。口や腸などの消化器官はなく鹿の血管から養分を吸収して生きていたと思われます。
呼吸器もほとんど発達しておらず代わりに、脳が大部分を占め、記憶、思考、感覚に相当する分野が発達していた。目や耳、鼻などは全く見当たりません。先ほども言ったように、地球上の生物とは全く異なる生き物です。代謝が異なるはずなのにどのようにして鹿の栄養分を取り込めるかまでは分かりませんが、血を吸って生きていたのは間違いないです。
鹿の頸部に細い触手が刺さり、脊髄から脳の神経まで伸びていました。鹿はこぶ状の生物により行動を支配されていたと考えられます。」マリアの見解だった。
「鹿の意識を乗っ取っていたということでいいのかな?」ビルが念を押す。
「間違いないと思います」解剖に立ち会ったドクターもその考えだった。
「吸血鬼で精神を乗っ取る生物か、なんとも気持ち悪いな。このヴルムの生物だと思うのか?」
「それは、断定はできません」マリアもキャサリンもその疑いを持っていてもまだ言い切れない。
彼女たちの報告はショッキングなものだ。他の生物に精神を乗っ取る道の生物が、この世界にいる。船長が亡くなった原因もこの未知の生物の所為だ。一同は言い知れぬ恐ろしさを感じた。
「どこから来たのかはともかく、この世界には精神寄生体がいるのは確かですね。地球から連れて来られた野生動物や人間も警戒するほかに、もっと厄介な生物をこれから警戒しなくてはならなくなった。」ヨーコが皆の意見をまとめた。
「たとえどのような苦難が待ち受けても、私たちは克服し、生き延びるのです。それが船長の意思を引き継ぐたった一つの道です。今は小屋暮らしで不便な生活ですが、もっと便利な道具を拵え、もっと良い家を作ることを私達ならできます。ここで、文明社会を築き上げるのです。」
ヨーコの声は力強かった。




