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ヴルムの世界  作者: 寿和丸


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10/10

10.崖

地球人は早朝まだ薄暗い中を川の上流を目指して歩き始めた。

初日はバギー車に大きな荷物を載せ、緩やかな流れに広がる河原歩きで楽だった。

だが二日目になると、河原が少なく軽量のバギー車を置いておくしかなく、荷物を手分けして持つようになる。しかも大きな岩、藪などもあって、進行はより遅くなる。

残念ながら当初もくろんでいた2日での行程は延び、二夜河原での野営を余儀なくなった。

3日目になると流れが急になり月面用に造られたキャタピラでも困難となった。車を木陰に隠し皆で手分けして荷物を背負うことになり、更に速度は落ちた。

人間達は上流まで逃げ込めば、水位が減り蛸は川面から体を出さなければならなくなり、あきらめるのではと期待していた。しかし後ろで見張っていたイワンからは怪物が諦めた様子はないと残念な情報が入る。

「一体どうして、蛸が陸地を歩けるんだ?」

「船に吊り上げられた蛸は、多少の時間なら船上を歩き回れる。でも何日も水から上がるのは不可能なはず、あの蛸は謎だらけです。」

「それを言うなら、あの蛸が巨体を維持できることだけでも不思議よ。地球より重力が若干だが小さいけど、ここであの巨体は維持できないはず。」

キャサリンやマリア達が論じ合う。とにかく、巨大蛸そのものが謎過ぎた。

「全く、意味が分からない存在ね」


そんな論じ合いをしながらも、地球人たちは歩みを止め酢、どうにか3日目の昼前に目指す場所に着くことができた。

「この場所ですね」ジョーが上空からの写真で見つけた場所だ。目の前には高さ60mの崖が川の両岸7キロも続く渓谷が続いている。

「ここなら巨大蛸でも上がって来れそうにない。」この上に登れば安全を確保できそうだった。

ただ、ここをどうやって登るかが次の問題だったが、一人の男が簡単に解決する。

「俺に任してくれ」ラキッチがほぼ垂直の岩肌を昇りだした。

巧みにルートを見つけ、岩こぶや割れ目に手をかけて登りあげていく。素人目にも彼が岩肌を巧みに利用して上っていくのが分かる。

下にいて彼のサポートに回った男たちもその手際の良さに感心していた。

「ラキッチの奴。崖上りのプロだな」

「ああ、あれなら、ロッククライミングで食っていける」

「あいつどうして、月面基地に行こうとしたんだ。アマゾンやヒマラヤに行った方が良かったじゃないか」

そんな感心とも冷やかしとも声をよそに、ラキッチは順調に崖を上っていく。

岩の割れ目や凸凹を足場や持ち手にして体を支え、じわりじわりと這い上がった。

途中で平場を見つけ、ビバーク。少し一休みしてから、ロープを垂らし、下で待っている男たちを引き上げた。

男たちは、崖に楔を打ち込み、穴を開けて後に続く者達のために、上りやすくしていく。


クライミングとビバークを何度か行って、ようやくラキッチは崖の上に這い上がれた。

崖の上は予想以上に平地が広がっている。これなら地球人全員が余裕をもって、宿営できそうだ。

ロープを下ろし、下にいる者達を引き上げていく。

仲間の男たちが上がってくると、後は順調だった。男たちは上がってくる段階で、足場を作り、ロープを伝わしておいたから、腕の力が弱い者でも登って来れた。

ヨーコは山登りの経験もなく、まして崖の上に立ったこともない。それでも体にロープを巻き付け、ほとんど引っ張り上げられる状態で崖の上に立てた。

「本当によくこんな所まで登れたわ。」崖から下を見下ろし、景色に感嘆して言う。

「ラキッチ、よくロープがなくて崖を上れたものね」眩暈がするような崖の上で、素手だけで登り切ったラキッチに感心する。

「この崖はもろい所がないし、オーバーハングもなかったので登りやすいですよ」ラキッチは自慢のそぶりも見せずに言う。

地球人全員が崖の上に引っ張り上がれるのに2時間もかかる。崖の下に着いたのは昼前だったが、もう空は赤みが増している。

それだけ崖は高かった。

「とにかく、なんとかたどり着けた。ここでタコをやっつけるのよ。今夜ここで宿営して、明日から準備に取り掛かるのよ。」ヨーコの声に皆が頷いた。


ヨーコの立てた作戦は巨大タコを崖の下におびき寄せ、上から岩を落として、潰してしまうことだった。武器になるものがない人間たちにとって、これが唯一巨大蛸を殺せる方法と考えられた。

だから蛸が来る前に出来る限り、岩や石を集め、用意しなければならない。

全員で、蛸に打撃を与えそうな石や木材を集め回る。

「マルコ。この岩を落とせないかな」シンプソンが示した物は、大人の背丈よりも大きい岩だった。

「崖の所まで持って行けるが、問題はその下に蛸をおびき寄せることだな。」

「確かにそれが問題だが、当てられたら、蛸に相当なダメージを与えられる。」

「とにかく、崖の方にこいつを運ぼう」

地球人たちは運べそうな岩を、次々と一か所に積み上げていった。

「トンプソン、蛸の様子はどう?」彼は、ドローンを使って蛸の行動を探っていた。

蛸は陸に上がってからも地球人を追いかけ続けている。もしかしたらシャトル船の方に行くかと期待もしたが、人間達の後を忠実に追いかけていた。

「蛸の野郎、全くなんでこうも俺たちの足取りがわかるんだ」トンプソンの仲間がぼやく。

「きっとあいつの所為だ」指さした空には鷲が悠然と輪を描いていた。

「ともかく蛸は俺たちを逃さないときめたようだ。油断なくあいつを見張るぞ」トンプソンの声には必死さが滲んでいる。

崖上で宿営して二日目。彼らは結論を出す。

「ヨーコ、蛸は明日の昼過ぎに崖の下にたどり着くぞ。」


トンプソンの予想通りの時間になって、巨大蛸が崖の下に現れた。間近で見る蛸の巨大さに改めて驚く。足を広げれば広大な谷をほぼ塞ぐほどであり、足を目一杯伸ばすと崖の中腹に届きそうだった。

蛸は少し崖や地球人たちを窺った後、人間達が上って来たルートを忠実に登ろうと決めたようだ。8本の足を広げ、崖の斜面にかじりつく。吸盤をうまく使って、ほぼ垂直に近い崖も障害にならない。

何事もないかのようにずるりずるりと上って来る。2本の長い腕はもう崖の半分くらいまで伸びている。

「石を投げつけて」ヨーコの声で一斉に石を蛸めがけ投げつけた。棒の先端を尖らせて作った槍も投げた。

地球人の投擲は正確だった。ほぼすべてが蛸に当たった。

だが、大人な頭ほどの石が当たっても、蛸にとっては小石にもならないもので、ほとんど傷さえつけられない。槍のほとんどは強靭な筋肉に撥ね返され、数本刺さったものは蛸にとってマッチ棒程度であり、血も流れなかった。

「もっと右側から投げて」ヨーコは蛸をもう少し片方に寄せようとした。

左側には崖が滝のように窪んでいて、上から落とせば、窪地にそって石は直撃するはずだった。男も女も、蛸の右側に石や槍を当てる。

この程度の物なら蛸にとり、無外なのだが、次々当たると、うっとうしい。避けようとして体を左に寄せた。

「いまだ。」ヘンリーが声を上げる。何人もの男たちが4本の丸太を梃子にして、岩を動かす。

「それ!」2mの岩に取りついた男たちが全員声を合わせた。

巨岩はごろんと崖から転がり落ちた。

「ズズズー」砂煙を上げ、岩はまっすぐに崖を落下。そして蛸に直撃。

中腹近くまで上ってきた蛸も、これには抵抗できない。岩と一緒に崖からずり落ちた。

土煙が晴れると、崖の下に、巨岩と蛸と周りに大きな石散乱している。あの大きな足も2本ほど、切断され落ちていた。


「やった」岩が蛸に当った瞬間だれもが成功を信じた。あれだけの岩が当たれば、どんな生物でも耐えられないはずだ。誰もが作戦成功を信じた。

だが、その後、人間達は信じられない光景を見ることになる。

蛸が岩を押しのけもぞもぞと動き出したのだ。そして、落ちていた足を食べ始める。自分で自分の足を食べる。そのえげつない光景に人間たちは気持ち悪さを感じた。

やっと、どうにか巨岩を動かし、ぶち当てたのに、蛸には効果がなかった。何よりももう、崖の上には人間が運べるほどの大きさの岩はもうない。

ヨーコ、ビル、ヘンリーが頭をひねった。

「ヨーコ。いずれ、蛸は復活する。もうここには手ごろな岩がもう残ってないぞ」ヘンリーが絞り出すように言う。

「山の方へ逃げるわ」ヨーコの決断は早かった。


「ドローンを飛ばして確認したが、このまま進み、やせ尾根を抜けると平場にでる。そこでキャンプを張るわ。」

確かに30分ほど、断崖から5キロ歩いたところに痩せた尾根があった。

『馬の背』と地球なら呼ばれるような人が一人通るのがやっとの尾根に出た。

左右は断崖絶壁で眼下200mはあろうかという目のくらむ場所だった。ここで足を滑らしたら、無事ではいられない。

しかも『馬の背』は50mも続いている。

そこを抜けると尾根と尾根とが合流する広い平場に変わるのだが、まずはこの先をどう渡るかが問題だ。

高所恐怖症の者にとり、地獄の様相で、近づくだけで青ざめてしまう。

「私が先に渡りましょう」またもやラキッチが先頭を買って出る。

ロープを伸ばしながら慎重に歩む。急ぎもしないが、遅すぎもしない。確かな足取りで渡り切った。

ロープを地面に打ち立て、次に続く者をサポートする。

山に慣れたものなら別にロープを張らなくてもよいが、ヨーコを始めほとんどが、初心者だ。ラキッチはそれを見越して、少しでも危険をなくす方法をとってくれた。


そのヨーコが女性で真っ先に渡った。

「ヨーコ、よく怖れもしないで渡りましたね」

渡り切ったヨーコにラキッチが賛辞を贈る。

「やっぱり怖かったわよ、でもそんなこと言っていられないもの」出来る限り平然とした顔をして渡ったが、ヨーコの声は本音だった。

おかげで他の女性陣も勇気を出して続いてくれる。

高所恐怖症の者も、ヨーコや女性が渡るのを見てしり込みしてられない。覚悟を決め、下を向かず、まっすぐこっちを見ながら渡ってくれた。

「もうこんな所を渡りたくないです」流石に渡ったところで、地べたに座り、顔は青ざめていた。

渡り終えれば平場に辿り着け、ようやく一休みになった。


野営地はなだらかな平場だった。皆、ぐったりして話し声も聞こえない。疲れたのも大きかったが、怪物をやっつけられなかったのが落胆につながっていた。

そこでイワンから提案が上がる。

「ヨーコ、『馬の背』に火薬を仕掛け、蛸がやってきたところで爆破させよう。タイミングさえ合えば、谷底にあいつをつき落とせる」

「イワン、それは判らないぞ。あれだけの岩をぶつけてもあいつは平気だった。『馬の背』から落ちても致命傷になるか疑問だな」チャンが反論する。

確かにチャンの言う通り、蛸の体力は計り知れない。怪物を崖から落としただけで倒せるとは思えない。ただ、イワンの提案は時間稼ぎには十分だった。

「イワン、あなた達で作業はできる?」

「勿論です。殿しんがりは本体を逃がすのが役目ですよ」イワンとしても、崖から落としただけで怪物がくたばるとは思ってなかったが、体力のないヨーコなどの身を案じての提案だった。

ここからの道は難所だらけで、女性陣、特に最年長で体の小さいヨーコには相当な負担になるはず。それならここで怪物を仕留められなくても、時間稼ぎはしておきたいという考えだ。

「本体はあの山を目指しましょう。」ヨーコがきっぱり言った。「イワン隊は残って火薬を仕掛けなさい。ただし火薬を爆破させたら、蛸のことは構わず、本体に追いついて頂戴。まだ、あなた達にはやってもらいたいことがいっぱいあるのだから」


翌朝早速イワン達は火薬を『馬の背』に仕掛ける。

「これでうまく行って呉れればよいが」

見はりについてから3時間後、馬の背に蛸が現れた。

巨体には尾根は狭くかつもろくて、人間の体重には何とか耐えた尾根も、蛸の巨体には耐えられるものでない。蛸が足を置くそばから尾根のあちこちにひび割れが走り、斜面の上端が崩れていく。

そこを見図ってイワンが火薬の導火線に火をつけた。

数秒後、火薬が小さく大きな爆発にならなかったが、やせ尾根を破壊するには十分だった。

蛸は崩れる尾根とともに一緒に落ちて行った。

「やったー、あいつが落ちたぞ」男たちに喜びが顔だ。

しかし、蛸は巨大な足を斜面に広げ、滑落する速度を緩めてしまう。それから10分もたたない間に蛸の足が斜面をしっかりとらえ、またじわりじわりと登りだしてくるのが見えた。。

「駄目か、あいつは斜面に這いつくばって簡単には谷底に落ちないな。」イワンはあきらめて、ヨーコ達の後を追うことにした。


ヨーコたち本体は森林の続く尾根を歩いていた。

見晴らし良い所で一休みをして、イワン達の様子をドローンで窺う。馬の背そのはるか下の方にあの怪物が這い上がるのが見えた。

「どうやら、倒せなかったわね」

「またどうしてあの怪物は俺達を執拗に狙ってくるのかな。」ビルがうんざりした顔で言った。

彼は集団の中でヨーコに次いで高齢で、山登りの素人。疲労感はありありと見える。

「分からないわ、蛸の考えることは」

ただそれでも、急斜面をよじ登るのは蛸にとっても時間がかかるのが分かる。予測では半日程度の余裕ができたはずだ。


「何だって蛸の奴、俺たちの後を簡単につけてこれるんだ」ポールがカメラを構えながらつぶやく。

「多分、あの鳥よ」ジュリアが指差した空には、鷲がゆっくり旋回していた。

「全く憎らしい奴だよな。ライフルでもあれば撃ち落としてやれるのに」

「ないものねだりはしないことよ、体を休ませることだけ考えて」現実的なジュリアは甘い幻想など抱かなかった。自分も相当疲れているが、他の者の疲労具合も見るようになったのも、看護婦の責任感でもあった。


******


「虫けら供め。なめた真似をして、許さん」

そいつは崖の下で傷を回復していた。

幾つか深い傷を負ったが、もうすでに傷口は塞がっている。

2本欠けた足も、根元から再生の芽が伸び始め、明日になれば元通りになる。

だが、一杯喰わされた思いは拭えない。

あんな小さな奴らに、まんまと罠にはまった。

この世界の王者にとって消し難い恥辱であった。

「虫けら供を消し去る」

それも、どれだけ残忍な方法で殺すか。

そいつは残虐な処分計画を練り始めるのだった。


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