アーデライト=レティシンティア
一年前。
「━━━以上が、我々の報告となります」
【白龍の森】での敗北を経て、私たちは王都に戻り、レティシンティア王国の王宮にて報告を終えた。
「……そう」
高殿の奥、黄金の玉座に座す彼女は、腰まで流れる金糸の髪を風に揺らし、淡い青の瞳を伏せる。その瞳には、言葉にならない憂いが静かに宿っていた。
アーデライト=レティシンティア。
私たち【星屑の集い】が守るべき主であり、レティシンティア王国最強の王女。
病に伏せた王に代わり、政を一手に担い、国の命運を背負う者。
気高く、静謐に、そして凛とした雰囲気を纏っていた。
だが、次の瞬間、彼女はふわりと花咲くような笑顔を浮かべた。
「まずはご苦労様。三人が無事で、本当によかったわ」
柔らかな笑顔が咲いた瞬間、胸の奥が締め付けられた。
「ッ……!私たちのことはどうでもいいの……!それより、アーデ!マイスが……ッ!」
熱がこもり、思わず学院時代の名残で「アーデ」と口にしてしまう。ここは王宮。衛兵にでも聞かれたら、その場で卒倒されかねない無礼だった。
「アーデ様……お願いします!私たちの、マイス先輩を助けてください!」
「すぐに軍を編成すれば、間に合います!アーデライト様、ご決断を!」
声が震える、口にするたびに、喉が焼けるように痛む。今この瞬間にも、マイスがどこかで━━━
「アーデ……お願いッ!マイスを助けて……!私たちだけじゃ、もう……!」
アーデライト=レティシンティア━━━彼女は、【勇者】マイス=ウォントを凌ぐ天才だ。
剣技、魔法、戦術、知略━━━あらゆる分野において、天賦の才能を有し、挫折を知らない生まれながらの覇者。
それでいて、貴族と平民の差を意に介さず、誰に対しても分け隔てない心の広さを持ち、民からも兵からも絶対的な信頼を集めていた。
それゆえに男系が続くレティシンティア王国の中で、はじめて女王として即位することが決まった。その決定に誰一人、異を唱えることができなかった。
とにかく、アーデが動けば、たとえ敵が”四天王”であろうとも、マイスを奪還できる。
私たちは心の底から信じていた。私たちの絆を━━━
「━━━マイスと初めて会ったのが……もう六年も前なのね」
「え……?」
「私ね。ウィズダム学院に入るまではずっと王宮の中で過ごしてきたの!王宮って本当に窮屈で窮屈でね。嫌になって、私は王宮を飛び出したのよ!」
過去を回想するように呟く。戸惑う私たちをよそに、重たげなドレスの裾を持ち上げながら、玉座から降りてきた。
「でもね。飛び出してはいいものの、何も分からないの。お金の使ったこともないし、道の歩き方さえ。周囲の人があまりにも多くて、怖くて、でも、とても胸が高鳴ってたわ」
その頬に浮かぶのは少女のような笑みだった。
「そんな時にマイスに出会ったのよ。マイスったら、王都に初めて来たのに、サナリーとはぐれて心細かったそうね。あの時は可愛気があったわ」
「アーデ、何を……」
困惑する私たちをよそに、アーデは夢見るように続ける。
「マイスったら初対面の私に何て言ったと思う?『こ、こんな綺麗な女の子が都会にはいるんだぁ』だって。失礼しちゃうわ。当時、十五歳とはいえ、私の美貌は王国でも随一よ?まぁ、ミリーには絶対に勝てないけれど」
熱に浮かされたように。
祈るように。
けれど、その瞳はどこか遠く。
「楽しかったわ。町へ出るのは初めてのお姫様。都会が初めての田舎者。お互いに何も分からない者同士、一緒に街を散策したの。長椅子に並んで一緒に食べた串焼き、安っぽいモノしか売っていない武器屋。荒くれ者が集まるギルド━━━どれも、新鮮でとっても楽しかったわぁ」
懐かしさと、愛しさと、そしてどこか切なさ帯びた語り。
そして、アーデは告げた。
「━━━でも、ごめんなさいね。マイスを救うのは無理なの。諦めて」
「え……?」
その言葉が、あまりにも場違いで、思考が止まる。
アーデは、いつものように花のような笑みを浮かべていた。
だが、それは。
どこまでも。どこまでも。
歪で、壊れていて、冷たい毒のようだった。
「……ア、アーデ様?今、なんて言ったんですかぁ?」
「諦めてって言ったの。申し訳ないけれど、マイスには国のために死んでもらうわ」
簡潔に言い切った。
「じょ、冗談を言ってる場合じゃッ!」
「だから、本気よ」
その笑顔は仮面のように温度も心も感じられない。ただ、淡々と冷たい現実だけを突きつけてくる。氷のような微笑み。
私たちの前に、玉座から静かに降り立ったアーデは、まるで悲劇を美談のように語った。
「マイスがいなくなるのはとても悲しいわ。私にとっても良き友人、良き部下であったもの。たくさん楽しい思い出もあるわ。けれど。マイスはここで死ぬ運命だったの。仕方がないことだわ」
「何を仰ってるんですか、アーデライト様!マイスがいなくなっては戦力が大幅に……!」
「待って……!」
私の言葉が、声になったのかさえ分からない。
何かが可笑しい。
いや、ずっと前から━━━それを見て見ぬふりをしてきただけなのかもしれない。
「アーデ……」
「ん、どうかした?私の親友」
「私たちに、魔獣の調査を頼んだのは……」
言いかけて止まる。
こんな問答は無意味だ。
早く答えを知らなければならない。
真実を、言葉にしてしまわなければ。
「最初からこうなることが分かってたんじゃないの?」
「━━━」
アーデの笑顔が、音も無く凍り付いた。
ミリーが小さく息を呑んだ。
震える声で、無理やり口を開いた。
「た、確かに可笑しいです。考えてみれば、アーデ様が、あの程度の罠を、見抜けないはずが、ないです……」
ミリーが何かに気付いて、恐る恐るアーデを見た。
アレスティも無言でアーデを凝視する。
私の膝が震えていた。
「……何を、視たの?」
アーデライト=レティシンティア
彼女には一つの固有魔法があった
━━━【万物を見通す瞳】(プロビデンス)
未来を見通し、万物を知りうる神の眼差し。
万能の天才を完成させる瞳。その力ゆえに、彼女は無敵だった。
毒も、暗殺も、政敵の陰謀も通じない。
魔人との戦いにおいて、この力が絶大な効力を発揮したのは言うまでもない。
何せ、【未来視】を持っていると知られていたとしても、彼女に対抗する手段がないのだから。
ゆえにに魔人はアーデを”最優先殲滅対象”として、警戒している。
そして、近年の国家の決断は、すべて彼女の未来視によってなされ、民は彼女を「現人神」とすら呼んだ。
だからこそ、私たちも信じて疑わなかった。
アーデの判断に誤りなど、ありえないと。
彼女が「行け」と言えば、そこが魔人の本拠地だろうと、罠だろうと、勝てると信じて疑わなかった。
そんな彼女が、【灰燼】ガブリエルの待ち伏せを見逃した?
ありえない。
分かっていて、【星屑の集い】を送った?
そんな恐ろしい可能性が頭を支配する。
マイスも、アーデも━━━私たち異端の者たちを、偏見無く受け入れてくれた唯一の人だった。
だから、命を賭して守りたいと願った。
心からそう思っていた。
否定してほしい。
マイスが捕まったのすら計算通りで、いつものようにハッピーエンドに見せて欲しい。
だが、現実は残酷だった。
「ええ、ええ!流石、私の【星屑の集い】!皆の察している通りよ!」
玉座の間に、不釣り合いな拍手の音が響く。
深く、ゆったりとした笑顔で狂気のように安定した口調で”絶望”を告げる。
「ガブリエルが待ち構えていることも、マイスが【白滅の呪縛】(ホワイト・チェーン)を使うことも、貴方たちを助けるために身を差し出すことも、全部、ぜ~んぶ知ってたわ!」
その言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。
頭が真っ白になるのが分かる。
「なぜ!?理由を言えッ!」
気付けば、私はアーデの胸倉を掴んでいた。
怒りも悲しみもごちゃまぜになって、心臓が崩壊しそうだった。
「━━━貴方たちのためよ」
「は、はぁ。何を……」
「【勇者】の覚醒のためには、愛する者を魔人の手で殺されなければならないの」
時間が止まったように、静寂が訪れた。
何を言ってるのか分からない。
勇者?覚醒?愛する者?
一体何の話をしているんだ。
目の前にいるアーデは本当にアーデなのか?
誰よりも優しく聡明で、民を想っていた彼女はいない。
まるで冷たい人形のようだった。
「ところで皆はマイスを失って何を感じてるのかしら?」
その言葉に、背筋が凍った。
瞳に微塵の陰りもない。むしろ、興味津々とばかりの好奇心で、こちらを見ていた。
「愛した人が目の前からいなくなるってどう?
追いかけられなかった後悔?
生き延びてしまった罪悪感?
託されてしまったことへの責務?
ガブリエルへの殺意?
魔人を滅ぼしたい欲求?
━━━ねぇ、教えて頂戴。私たち、仲間でしょう?」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
気付いた時には、アーデの頬を全力で叩きつけていた。
乾いた音が玉座の間に響く。
けれど、彼女の笑顔は微塵も崩れなかった。
「……全部よ」
肩が震える。唇が震える。声が、喉が。
「全部に……決まってるでしょうがッ……!」
感情が叫びとなって、噴き出す。理性などとうに崩れ落ちていた。
「この力のせいで、一人になった時から、ずっと支えてくれた人が、いなくなったのよ……?」
嗚咽が混ざる。それでも止まらなかった。
「愛してたのよ……!好きだった……!この冒険が終わったら、一緒に薬屋を開いて、子供は一人か二人、慎ましく、でも幸せに暮らして━━━そうやって、未来を生きるつもりだったッ……!」
喉が焼けるように痛む。それでも止まらない。
「でもね、ミリーもアレスティも同じだった……」
マイスを想うのは私一人じゃない。そんなこと、二人の眼を見ればすぐに分かった。
「皆でマイスを取り合って、喧嘩をして……ッ、だけど、最後には、馬鹿みたいにみんなで、笑い合って……ッ!」
愛した人と友情。
ずっと一人だった私たちにはどちらも切り捨てることはできない。
それでも、私たちはそれを抱えたまま未来へ歩いて行けると思っていた。
「……私の夢は叶わない。だけど、私たちの幸せは続くはずだった」
そして━━━
「そこには、アーデ……貴方もいたのよ……?」
眼の前にいるアーデのマイスを見る眼は私たちと同じ━━━はずだった
「アーデは強欲だもの……好きな男を手に入れるために、マイスを貴族にでもして、無理やり婚約して……それで、私たちはいつまでも一緒にいるはずじゃなかったの……?」
その言葉に応えるように、アーデはふっと優しく微笑んだ。
「ええ……とっても素敵ね、その未来……」
優しく噛み締めるように微笑む。
「決して叶うことがない儚い夢だと思うけれど、私はそういうの好きよ……夢っていうのは追いかけているうちが一番美しく見えるもの……ね?」
「━━━」
世界が音を失った。そこには冷たく、狂気に彩られた神の微笑が残っているだけだった。
そして、彼女は、手を打ち鳴らしながら、明るく告げた。
「さっ。くだらない問答はここまでにしましょうか。
━━━そろそろ目覚めなさい。【勇者】たちよ」
その声と同時に、私たち三人の手の甲に、激しい痛みが走った。灼けるような閃光と共に、刻まれる紋様。
私の手には青紫。ミリーの手には桃色。アレスティの手には深い緑。
紋様から放たれる魔力の奔流は、まるで生き物のように渦巻き、私たちの身体を一瞬で覚醒させた。
「……これは、一体……?」
「わ、分かりません!こんな紋様、どの魔導書にも記されていません……!」
自然と、私たちの視線は一人の”容疑者”へと向かう。
「━━━目覚めはいかがかしら?我が同胞たちよ」
アーデは、優雅な動作で手袋を外した。その手の甲には、黄金に輝く紋様が浮かび上がっていた。そして、それは私たち三人の紋様と共鳴していた。
「━━━我は【黙示録四勇者】(ヴァリエンテ)が一人、【支配】の勇者、アーデライト=レティシンティア」
一瞬凛とした空気を纏ったかと思えば、次の瞬間には伸びをして、まるで肩の荷が下りたような仕草で笑う。
「【支配】の勇者には他の【勇者】を導く役割もあるのよ。ここまで長かったわぁ。ずっと視えていたとはいえ、実際にここまで貴方たちを導くのは大変だったのよ?」
「アーデ様、【勇者】って一体……」
震える声で尋ねたミリーに、アーデは朗らかに返す。
「あらあら、ミリー。鈍感はマイスの専売特許よ。【賢者】の貴方が悪い男に毒されちゃダ~メ!」
そう言って、またあの微笑を見せた。
「もう分かり切っているでしょう?
【勇者】は━━━あなたたち、よ」
沈黙が場を支配する。
その言葉に誰一人として、即座に反応できなかった。
あまりに突飛で、実感が湧かない。
だが、アーデは確信に満ちた声音で続けた。
「【支配】、【戦】、【飢餓】、そして、【死】。私たちは【黙示録四勇者】(ヴァリエンテ)。人類の歴史が魔人に脅かされた時に現れる希望の偶像。
【支配】の勇者は叡智と統率をもって人類を導き、
【戦】の勇者は魔人の心と思考を壊し、
【飢餓】の勇者は資源と命脈を奪い、
【死】の勇者は魔人に絶対的な”終わり”を告げる。
【勇者】は魔人に終末を与える存在。故に、【黙示録四勇者】(ヴァリエンテ)らしいわ。
ふふ、偉そうに語ってるけれど、この眼がなければ知りえなかった知識ね」
そういってアーデは片目を指差した。
アーデの瞳には淡く輝く不思議な文様が浮かび上がっていた。
胡乱な話だと吐き捨てることは可能だ。
そもそも【勇者】に関する記録はどこにも残っていない。
人類側が危機に陥った時に、魔王を殺す存在として語り継がれているだけだ。
けれど、アーデの言葉には、奇妙なほどの「真実味」があった。
根拠はない。ただ、手の甲に浮かぶ見覚えのないこの手の甲に浮かぶ紋様が訴えてくるのだ。
これは真実だ、と。
論理ではない。
感覚だった。
だが、だからこそ、信じてしまいそうな重さがあった。
沈黙を破ったのはアレスティだった。
「……アーデライト様、私に、発言の許可を」
「ええ、いいわよ。私の騎士様」
アレスティは視線を逸らさずに、低く静かに問うた。
「……貴方はマイスを生贄に、私たちの力を覚醒させた……そうですね?」
「ええ」
「それは……一体何の、ために?」
「ふふ、決まってるでしょう。国のためです」
感情の宿らぬ声で答えた。あまりにも淡々としていた。まるで、日々の献立を語るような無機質さだった。
「私には、王の血が流れています。王はこの国を存続させ、他国の侵略を退け、豊かにする義務がある」
そして、
「そのために、マイスの死は必要だった。ただ、それだけよ」
あまりにも、冷たく。あまりにも、確信に満ちていた。
血が冷えていき、鼓動が静まり返っていく。
「……私たちに近付いてきたのは、この力のため?」
「ええ、そうよ!」
彼女は微笑みを崩さずに答える。そこには躊躇も、迷いも、罪悪感すらない声音だった。
「魔王は強大よ。それこそ、【勇者】の力がなければ━━━絶対に勝てない」
その口調には信念が宿っていた。
偽りのない、冷酷な正義。
私はようやく、アーデの意志を感じられた。
「……それなら、もう一つだけいいかしら?」
「ええ、もちろん!親友の頼みだもの」
その声には一片の悪びれもなかった。
「さっき……【勇者】の力を覚醒させるためには、愛する者を魔人に殺される必要がある━━━そう言ったわよね?」
「ええ、言ったわ」
「なら、アーデ」
言葉を区切り、私は彼女の瞳をまっすぐに見据えた。
「━━━貴方は、誰を魔人に殺されたの?」
静寂。
その一瞬、彼女の笑みが、かすかに揺らいだ気がした。
「━━━さぁ」
アーデの表情が止まる。まるで能面を被ったように、何の反応も見せない。これ以上は何も答える気がないらしい。
けれど、分かってしまったこともある。
目の前にいるアーデは、かつて私たちが信じていた親友ではない。
かつてのアーデは私たちにとって都合の良い幻想━━━理想化された偶像だった。
今のアーデは王女として、冷酷で、合理的で、すべてが正しい。
一を捨て十を救う。
犠牲を選び、国家を優先する。
それが上に立つ者の資格であり、責務である。
アーデライト=レティシンティア。
彼女は、きっと歴代で最も優れた”王”となるだろう。
だが、それは、私たちとの決裂を意味する。
「さぁ、みんな!私の手足となって働きなさい。そして、魔人を殺し尽くし、国を救う英雄になりましょう!」
その声には明るさがあった。軽やかで、華やかで、どこまでも皮肉だった。
マイスを見殺しにされた恨みは確かに燻る。もう二度とその笑顔に心を動かされることはない。
けれど━━━
「━━━分かりました。今まで通り、アーデライト様の御手脚として、忠誠を誓います」
私は誰よりも、丁寧に、深く頭を垂れた。そこにはかつての気安さも親しみもない。それは、ミリーもアレスティも同じだった。
「あら、素直に言うことを聞くのね」
「ご冗談を━━━私たちの思考すら、アーデライト様の掌の上でしょう?」
三人で形式的な忠誠を捧げる。だが、心の中には熱く燃える殺意が残っていた。
━━━【灰燼】ガブリエルを殺す。
━━━魔人と魔王を滅ぼす。
そのためなら、何でもしてやる。
何より、この女が私たちの気持ちを理解していないとは思えない。
どんな振る舞いをしたとしても、結局、駒として働かされる。
冷静に、合理的に、そう判断しただけのことだった。
「……でしたら、今日から、【不撓の明星】を名乗りなさい。【星屑の集い】は死んだものとして扱った方が良いでしょう。下手に政治に巻き込まれて、身動きが取れなくなっては意味がありませんからね」
「━━━畏まりました」
マイスを犠牲にされ、パーティの名すら奪われた。けれど、心は虚ろだった。
「そう、邪険にしないで頂戴!給金はたっぷり出すし、貴方たちが一番知りたいことを教えてあげるわ!」
すると、王女は人差し指を立てた。
「━━━丁度、きっかり一年後。貴方たちは【灰燼】ガブリエルと対決するわ。そこでマイスの仇を取ってきなさい」
「━━━寛大なお心遣い、感謝いたします」
「大切な【勇者】だもの。できるだけ希望には沿うわ。他に何か質問はある?」
「……では、最後に一つ」
私は【不撓の明星】のメンバーではなく、【星屑の集い】で、かつて親友だった立場として告げる。
「━━━貴方のことは死んでも軽蔑するわッ……!」
これは私なりのケジメだった。
これから、合理的に、冷静に━━━彼女の”道具”になるために。
「━━━」
一瞬だけ、本当に一瞬だけ、アーデの表情が揺れた気がした。
「ええ、ええ━━━いつもありがとう。サナリー……」
けれど、すぐにいつもの微笑みを取り戻した。
「これからのことは追って連絡をするわ」
私たち冷え切った敵意を胸に、玉座の間を後にしようとした。
「ああ、そうだ。みんなに一つ伝え忘れていたわ。【勇者】の力に目覚めた者は━━━」
「分かってます」
「━━━そう。余計なお世話だったわね」
ずっと存在感を放つ紋様が私に知りたいことをけたたましく告げていた。
けれど、何も感じない。
マイスの仇が取れるのならそれでいい。
私たちは一切振り返らず、王宮を去った。
◇
無言の帰り道。夜の風が、音も無く私たちの髪を撫でていた。
その時、不意にミリーが、そっと私の手を握ってきた。
「どうかした……?」
顔を向けると、ミリーは涙をこらえるように、ぎゅっと目をつぶりながら言った。
「━━━先輩がいなくなって、アーデ様も……お二人と一番、仲が良かったサナリー先輩が誰よりも辛いと思います。だけど……ッ!」
震える声。それでも、言葉を紡ぐ意志はまっすぐだった。
「私たちがいますからッ……私たちが傍にいますから……!だから、もう……泣かないでください……!」
「何を……?」
初めて気付いた。私の頬を、熱いものが伝っていた。
泣いていたのだ。気付かぬうちに感情が零れていた。
その瞬間だった。背後から大きな手が私とミリーの頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
力強く、そして優しく。
「マイスに託されたからな……」
アレスティの声は、どこまでも静かで、けれど確かな決意に満ちていた。
「私だけは何があってもお前たちの味方だ……」
堰が切れた。
「ッ、う……う…ああ、ああああッ」
愛する者を失った。
親友を失った。
けれど、それでも、マイスが遺してくれた絆は、ここにある。
私たちは、一人じゃない。
崩れそうな足取りの中で確かにそれが胸に灯る。
━━━ごめんね、マイス。
今だけは泣かせて。
泣いて、泣いて、心が渇いたその時には、私たちは復讐の慚愧として━━━魔人を殺し尽くす。




