何が間違ってたんだ━━━?
「久しぶりだなぁ」
懐かしさが胸を満たす。
俺たちは、かつて何度も足を運んだ冒険者ギルドに来ていた。どうせ、魔物を倒すならお金を貰えた方がいいと言われてしまえば、断る理由はなかった。
何より、【世界樹の雫】で貯金が尽きたと言われてしまえば、俺はもう何も言えない。
ギルド内は、熱気に包まれていた。冒険者たちの怒号や歓声が飛び交い、掲示板の前では依頼を奪い合うにように揉み合っている。テーブルでは仲間を集めて作戦を立てる者もいれば、豪快に酒をあおる者もいた。
受付嬢たちはてんてこ舞いで、報酬の受け渡しや依頼の受理に追われている。
【炎の里】の冒険者ギルドは初だがどこも変わりはない。
この活気、渾沌。それでも、妙に懐かしく、胸が躍っていた。
「━━━で、お前らは何でそんな恰好をしているんだ?」
俺の隣に立つミリーをはじめ、全員が全身を覆うような黒いローブに身を包んでいた。顔を隠すフードまで深く被っていて、まるで自分たちの存在を隠しているようだった。
対して、俺の装いはあまりにも質素だった。近所の武器屋で、在庫処分の札が貼られていた安物ばかりを選び、ようやく体裁を整えた程度。手にした剣も、刃こそ鈍ってはいない、何の細工もない鉄の塊だ。防具も薄く、最低限の急所を守るだけの心許ない代物だった。
サナリーは高い装備を買っても構わないと言ってくれたが、俺のせいでパーティの資金は底を尽きかけていると聞いたら、これ以上負担を増やすわけにはいかなかった。
「━━━私たちは、死んだことになってるのよ」
「何で?」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめたが、三人は閉口した。
「……後で言うわ。それより、私たちは適当に依頼を探してくるわ。マイスはどうする?」
「ああ、俺は、ここで待ってる。懐かしい空気を少しでも味わいたい」
ギルドは情報交換の場でもあるので、ただ立っているだけでも、耳に入ってくる情報は多い。
「え?今ってゴブリンを倒すだけで1000Eも出るの……?」
ふと、目に入った依頼書の報酬額に目を疑った。つい一年前までは、同じゴブリンの巣の駆除でせいぜい200E。五倍以上の上昇だ。
周囲を見渡してみれば、冒険者たちの多くが包帯を巻き、重傷を負っているようにも見える。
「はぁ、冒険者さんが少ないから、値段が上がって仕方がないわね……」
「仕方ないでしょ。あの手痛い敗戦で冒険者の数がごっそり減っちゃったし……」
「この辺りも魔物が増えて、おちおち里の外にも出れないわ」
「【炎の里】もどうなるか分からないしね~」
掲示板の依頼書を張り替えながら、受付嬢たちが愚痴っていた。
市場のインフレはもちろんだが、冒険者の供給不足が価格上昇の主な原因だったらしい。つい一年前までは冒険者業は人気職で常に人材が余っていたが、【炎の里】では、先の戦いで冒険者不足になってしまっているらしい。
「冒険者アライアンスも負けちまったなぁ……」
丁度、今考えていた冒険者アライアンスの話が出たのでそちらに耳を傾ける。そこには重傷を負った冒険者たちが、まるで通夜のような陰鬱な表情で集まっていた。
「ああ……まさか【灰燼】ガブリエルがあそこまで強いなんて……。どうやって倒せってんだ、あんな化け物……」
「集められたAランク冒険者たちは軒並み全滅。もう、王国にはこれといった戦力は……」
「【炎の里】も、見捨てられたようなもんだしな……」
「俺たちも逃亡資金を集めたら、逃げようぜ……」
「逃げるといってもどこにだよ。王国が滅びるのはもう時間の問題だろ?」
「大陸にはもう逃げ場はない。けど、海の向こう側に行けば、魔人がいないらしいぞ」
「本当か!?」
「噂だがな」
「でもよ、大型船は既に腰抜け貴族たちが買い占めちまったらしい。しかも、莫大な乗船料を請求するらしい……」
「あの、クソ共が……!本当に余計なことしかしねぇッ……!」
話題は自然と、貴族たちへの怒りに移っていく。
活路を見いだせない袋小路に入ったように感じて、怒りをぶつけるしかないのだろう。
そして、ふと誰かが呟いた。
「【星屑の集い】が生きてればなぁ……」
夢を見るように。
希望に縋るように。
けれど━━━
「馬鹿……【星屑の集い】が生きてたって意味がねぇだろ。あの無敵の【勇者】、マイス=ウォントですら、【灰燼】ガブリエルには歯が立たなかったんだ」
「……そうだよな……そんな化け物が後三人もいるんだ。そんで、奴らの上には魔王がいる。何なんだよこの理不尽……ッ!」
吐き捨てるような声音に誰も返せなかった。重く沈んだ空気がギルドの片隅を支配し、誰もが目を伏せていた。
「でも、【焔滅】よりはまだマシだよな……」
「なんだそいつ……」
「何で知らないんだよ……ここ一年で現れた最恐の魔人だよ」
「あ、ああ。そいつのことか。名前は知らなかった……」
「……とはいっても、姿、形、どんな魔法を使うかすら誰も知られていないらしいがな。ただ、そいつが現れた場所には、何も残らないから、情報が何もない……」
「砦も、防波堤も何も意味がない。一撃で全てを破壊するらしいぜ……」
「【四天王】どころか魔人一体だけでも頭が痛いっていうのによぉ……!」
その中で俺はただ、黙ってその場に立ち尽くしていた。
動くことも言葉を出すことすらできなかった。
「マイス先輩!」
ふと、耳にミリーの声が俺に届いた。すると、さっきまで【星屑の集い】の噂をしていた冒険者の一団が俺の方を凝視した。
そして、すぐに落胆した。
「ちっ、なんだよ……」
「別人じゃねぇか」
「というかすげぇ大怪我してんな」
「アライアンスに参加してたんだろ。負傷兵だ」
「でも、あんな奴いたか……?」
俺がマイス=ウォントじゃなくて、がっかりしたのか小声で愚痴っていた。俺は、正真正銘マイス=ウォントなんだけどな。
ごめんね?
「良さげな依頼を見つけましたよぉ~……ってどうしたんですか、先輩?」
後ろから、いつもの調子でミリーの声が響く。だが、その足音が近づくにつれ、声に不安が混じるのが分かった。
「ん、いや、どこも大変なんだなと思って」
サナリーたちが選んできた依頼を受け取り、俺たちは静かにギルドを後にした。
「━━━なぁ、あんな奴らいたっけ?」
◇
【星屑の集い】は【不撓の明星】という名前で活動しているらしい。ランクはBランクパーティ。だが、これは表向きの偽造に過ぎないのだろう。
【星屑の集い】はレティシンティア王国で唯一Sランクを名乗ることを許されていた。
【星屑の集い】は全滅したことにして、【不撓の明星】として活動するように、王女様に命令されたらしい。
そして、この一年間、三人は王女様の命令に従い、身分を偽って任務をこなしてきたという。
ただ━━━
「そんな必要あんのか……?」
俺以外の三人を中心にして、新生【星屑の集い】として再出発すればよかったのではないかと思う。
そして、【勇者】マイス=ウォントの仇と銘打って、俺の名を象徴として使えば、民の支持も集めやすかったはずだ。
「分からないわよ。あの女の考えてることなんて……!」
サナリーが苦虫を嚙み潰したように告げる。
それを言われたらそれまでだ。
学院時代から俺たちは王女様の考えていることを理解できたことなんてない。なんなら一番振り回されたまである。
それでもやっぱり気になる。
「王女様と何があったん?」
すると、前方を歩く三人の足がピタリと止まった。
「明らかに敵意を持ってるだろ?俺がいなくなった一年で何があった?」
サナリーと王女様は、身分が全然違うのに、学友から親友と呼べるほど仲が良かった。
ミリーも懐いていたし、アレスティも命を懸けて守ると忠誠を誓っていた。
それが今では、三人とも王女様に対して露骨な嫌悪……もはや憎しみに近い感情を抱いているような気がした。
「だって、あの女が……ッ!」
「あの女が?」
「……いえ、なんでもないわ」
語尾を濁し、サナリーはそっぽを向いた。
「あの女は雇用主で、私たちはその命令を忠実にこなすだけの駒に過ぎない……。それだけ、よ……」
「結局何も得られなかったんだが……」
これ以上は、どうやら口を割る気はないらしい。
もし、単なる喧嘩なら、俺が仲裁して仲直りをさせてやろうと思ったのだが、それは無理そうだ。
そういえば、王女様にも俺の生存報告をしなければならない。俺が生きていたらどんな反応をするのだろう。
「それより、マイス。お前は何を討伐しに行くのか知っているのか?」
「あ、そういえば何も知らねぇや。結局何にしたんだ?」
「お前は……」
アレスティが呆れたように、俺を見た。
「スケルトンですよぉ」
「へ~、珍しいな」
骨だけで動くタイプの魔獣だ。人型もいれば、魔獣型もいる。大部分は人型だ。
「アライアンスが敗北した時に、犠牲になった冒険者たちの死体からスケルトンが大量発生しているそうですよぉ」
「なるほどな」
【炎の里】は険しい山々の中腹に位置している。その里をさらに下れば、やがて巨大な原生林へと足を踏み入れることになる。
五十メートルを優に超える巨木が密集し、枝葉が空を覆い隠すため、昼間でさえ陽光はほとんど差し込まない。まるで永遠に夕暮れが続いているかのような薄暗闇が永久に続いているような錯覚に陥るらしい。
【封樹海】、通称:迷いの森と呼ばれていて、地理や方角を知らぬ者が踏み込めば、二度と戻れないとさえ言われていた。
だが、単に迷うというだけではない。
切り拓こうとすれば、すぐにわかる。
たとえ、木々を焼こうが、斬ろうが、魔法を使おうが、そのすべてが意味を成さない。
理由は単純にして明快で絶望的だ。
木々の再生が異常なまでに早いのだ。
わずか数分で、切り倒された幹が芽吹き、葉をつけ、元の姿に戻る。
もし、この森を滅ぼしたいのなら、その再生を上回る力で焼き尽くすしかない。
それゆえ、今なお自然のままだ。
しかし、時代は変わった。百年以上も前に、この森はすでに調査・攻略されているので、現在では詳細な地図も存在する。魔獣さえ避ければ、一般人でも通ることができる。
けれど、森の向こう側は魔人の手に落ちている。幸いなことに、魔人たちはこの【封樹海】の詳細な地理を知らない。
ゆえに、王国はわずかな希望を託していた。
この自然地形を最大限に活用し、【灰燼】ガブリエルの討伐が叶えば━━━そんな一縷の望みに賭けたのだろう。
だが、結局のところ、それは徒労に終わったようだ。
そんなことを考えながら歩いていると、不意に視界が開けた。森の中にぽっかりと空間が広がる広場。木々の生い茂りすら途切れた静寂の空洞に出る。
「来たか……」
森の奥から現れたのは、十体ほどのスケルトン。生前の装備を身に纏っていた。
「手は出すなよ?」
俺は静かに仲間に告げる。この戦いは、自分の力を確かめるためのものだ。誰にも邪魔はさせない。
「……本当に信じていいのよね?」
サナリーが不安そうに俺を見た。もう何度目の確認か分からない。
「サナリー先輩。マイス先輩を信じましょうよぉ!」
「そうだぞサナリー。お前が一番よく知ってるだろ?あの言葉を言ったマイスは……」
「……そうね、そうよね」
ようやく納得したように、サナリーは一歩下がった。
その間にも、スケルトンたちは臨戦態勢を整え、骨を揺らしながらゆっくりと包囲してきた。
「さぁ━━━来いよ」
腰の剣を片手で引き抜き、俺は挑発するように剣先を掲げた。スケルトンたちは怒りを覚えたかのように、円陣を組んで俺を囲み始めた。骨と骨の擦れる音が不気味に辺りに響く。
【無垢ナル白瞳】(イノセント・ホワイト)を使って、白いモヤが視えるようになる。スケルトンは死体だが、所詮は魔力で動く魔物。きちんと白いモヤが見えた。
だが━━━そんなものはどうでもいい
俺は敵ではなく、自分の身体に目を向けた。
その瞬間、血管のようにか細い白い線が浮かび上がる。
そして、手から身体の中心に流れていくそれを追っていくと、胸に大きな白いモヤが結集していた、
他とは比べ物にならないほど太く、重く、渦巻くような白い線。
それは俺自身の心臓を中心に絡みつくように広がっていた。
「マイス……!来てるわ」
サナリーの声が響くが、俺は振り返って微笑んだ。
そして━━━
自らの心臓を剣で貫いた
「え……?」
誰のモノか分からないため息のように漏れた声。
刹那、肉を裂く音共に、鮮血が空を舞った。
弧を描く血潮がスケルトンたちの骸骨に降りかかる。赤く染まった骨が軋み、スケルトンたちは怒涛のように襲い掛かる。牙が食い込み、刃が肉を裂く。血が飛び、骨が割れる音が森に木霊する。
三人が放心して、凍り付いていた。
だが━━━驚くのはこれからだ。
心臓を突き刺した瞬間から、俺の身体を這っていた白い線が。
それが波紋のように広がっていく。
まるで、焔が駆けるように、赤い線は身体中を這い尽くし、四肢の末端、つま先に至るまで浸食していく。
次の瞬間━━━爆ぜた。
肉が破れ、骨が裂け、爆炎と血飛沫が空間を染めた。
スケルトンたちは爆風に吞まれ、骨ごと吹き飛ばされた。
その中心にいた俺の身体は、灼熱と咆哮の中に包まれた。
森の静寂は砕け、空気が震える。
クレーターの中心、煙と焦土に包まれたその場所で、俺は立っていた。
全身を焼かれ、血まみれで、息を吐くことすら困難なはずなのに、それでも━━━━
「は、はは、ははははははははははは!」
血が噴き出す。皮膚という皮膚は火傷し、痛みは脳を焼く。
それでも、俺の中の何かが歓喜に咆哮していた。
「これだ……!この感覚だ!これだよ、おい……ッ!」
興奮が止まらない。
「この力で何度も人間を殺して来たじゃねぇか!故郷を滅ぼし、救ったはずの村を、町を、民を!……この手で何度も……ッ!」
泣きながら、叫びながら、それでも命令には逆らえなかった。魔人共は笑っていた。
俺の破壊を、ただの道具として利用して。
その結果、人類に付けられた二つ名━━━【焔滅】
なんてことはない。レティシンティア王国を窮地に追いやっているのは俺だ。
痛みは脳髄を突き抜ける。
これは自己破壊の技だ。
俺のすべてを燃やし尽くし、敵を巻き込み、何もかもを消し去る最強の力。
だが、俺は死ねない。
魔人によって、改造された肉体は、死すらも、拒むよう作られている。
だから、俺は何度となく、人類の敵として、国を焼いた。
「でもなぁ……!残念だったなぁ、魔人共ォ」
俺は顔を上げ、両手を広げ、焦げた唇で咆哮する。
「ここからの俺は人類の希望━━━『ゆうしゃ』さまの武器として、お前たちに牙を剥くッ!」
障壁なんて何も関係ない。
この力で魔人という魔人を魔人を滅ぼし尽くす。
それを想像した時、全身に快感が迸った。
「『ゆうしゃ』さまぁぁぁぁぁぁぁぁ!見ておりますかぁぁぁぁぁぁぁ!」
この場にいない、ただ一人の”希望”へ、狂気じみた宣誓を捧げる。
「この力なら……この力があれば、必ず貴方の役に立てるッ!隣に立つ資格があるはずだッ!」
かつての自分を遥かに凌駕する感覚。
あの苦しみ、絶望、そして殺戮の果てに手に入れた、最強の力。
サナリーは魔術回路が何か別のモノに変えられたと言った。
これは、俺が自爆するための導火線なんだ。
【無垢ナル白瞳】(イノセント・ホワイト)で、それを正確に斬れば、導火線が燃える。そして、後は【状態異常無効】を使う感覚だ。全身にベールを纏うような感覚。
それによって、俺の身体が爆ぜる。
皮膚がめくれ、骨が裂け、内側から破壊の衝動が炸裂する。
「素晴らしいッ……!なんて素晴らしいんだッ……!」
魔人は俺に魔力を強制注入して、自爆させていた。
だが今や、自分の意志でこの力を制御できる。
魔法、剣、拷問━━━すべてが、無駄じゃなかった。
すべてを糧にして、今の俺がある。
「なぁ、お前らぁ!見たか、このすべてを滅ぼす最強の力を!これで……
━━━何だよ、その眼は……?」
俺の声が尻すぼみに消えた。
かつての仲間たちの瞳に宿っていたのは━━━言葉にできない、何か。
「━━━」
昨日、確かにお前たちは笑っていた。
俺が新たな力を手に入れた時、嬉しそうに、昔のように笑ってくれたじゃないか。
だから、分かったんだ。
考えてみればシンプルでありきたりのものだった。
弱いからだろ?
無力で情けない俺を憐れんでいたんだろ?
でも、違う。今の俺は強い。
証明してみせただろ?
誰よりも強くなって帰って来たってさ。
だから、力を証明しただろ?昔よりも強くなったろ?
ミリーもアレスティも昨日は嬉しそうにしてただろ?
それなのに、どうしてお前らは、今も、そんな眼で見るんだよ……?
困惑が連鎖のように心を覆い尽くした。
すると、
「━━━ねぇ、マイス。今日の夕飯何を食べたい?」
「……え?」
「ミリーがね。また魅了を使って、高級な肉を貰って来たのよ。悪い子だと思わない?」
「酷~い!私は『ください』って頼んだだけですよぉ?そしたら親切なおじさんがくれたんですぅ。ね、アレスティ先輩?」
「私に振るな」
「へぇ、そんなことを言っちゃうんですか。私の味方をしないとアレスティ先輩が寝言で言っていたことを先輩にばらしちゃいますよぉ?」
「は?何の話だ?」
「私も気になるわ。何を言っていたのかしら?」
「『マイスのおち』」
「ああ!黙れ黙れ黙れ!それ以上は斬るぞ!」
「あは。赤くなっちゃって、可愛いですねぇ」
俺の目の前で繰り広げられる日常的な会話。
どこかぎこちなくて、けれど、痛みを伴っている。
まるで腫物を扱うように、俺という存在が再び爆発しないように丁寧に慎重に虚構をつくり上げる。
そして、サナリーが静かに俺に抱き着いて、耳元で囁いた。
「さ、マイス、帰りましょ!」
「サナリー……?」
「帰りましょ……」
声と共に俺に絡みつく腕が微かに震えていた。
「帰り……ま……しょ、もう、帰ろ……ね?」
その声は、堰を切ったように震え、俺に懇願するように同意を求めてきた。
「━━━ああ」
俺はただ、一言返すことしかできなかった。
その瞬間、意識が、ふっと落ちた。深い深い海の底へ沈んでいくように。
最後に見たのは、泣きながら笑っている三人の姿だった。
その笑顔を思い出すと、胸が痛くなる。
━━━なぁ。俺は一体、何を間違えたんだ……?
◇
【封樹海】を挟んだ対岸に、闇を纏うようにして一つの城がそびえ立っていた。
城の城壁は漆黒に染まり、血を吸ったようにところどころ赤黒く腐食していた。高くそびえる尖塔群は、空に向かって呪詛を吐き出すかのように鋭く伸び、雲は黒く濡れていた。
その威容はまさしく、魔の城に相応しく、ただそこにあるだけで、死と恐怖が辺りを支配した。
そして城壁の上部にには串刺しにされた冒険者たちの首が、数えきれないほど並んでいた。既に肉の削げたそれらは、風に揺れながら無言で語る。ここは、生者の踏み入る地ではない、と。
この地は、【炎の里】を蹂躙するために築かれた、魔人たちの最前線基地。
彼らは魔法の覇者であり、ただの土魔法であったとしても、異次元の建造物を作り上げることができる。
この暗黒の城もまた、土魔法によって、わずか数日で築き上げられたものだった。
そして、その最上階。
重厚な扉の奥、闇と炎が蠢く玉座の間に、ひときわ異形の存在が座していた。
漆黒の鎧を纏い、二本の歪曲した巨大な角が頭部から伸びていた。肌は褐色にして、鉄をも焦がすような熱を孕み、瞳は爬虫類のそれを思わせる鋭さと冷徹さを堪えている。
━━━【灰燼】ガブリエル
魔人の四天王の一角にして、人類の希望【星屑の集い】の【勇者】、マイス=ウォントを捕らえた張本人だった。
「━━━【封樹海】の件はどうなっている?」
低く地鳴りのような声が空間を震わせた。
「順調に進行中です。レティシンティア王国側も大規模アライアンス以降は目立った抵抗を示しておりません。後、一月ほどで完全攻略できる見込みです」
「……そうか」
一か月前、【封樹海】にて勃発した大規模戦闘。予想以上の損耗を被ったため、ガブリエル自身が出陣し、勝利へと導いた戦いだった。
「【自爆人形】の行方は?」
「ッ、それが……未だ、所在不明です。侵入者の正体も、見つかっておりません」
側近のグリモアは膝をつき、声を震わせながら報告する。その姿を見て、ガブリエルは重たげにため息をついた。
「も、申し訳ありません!可能な限り戦力を動かしているのですが━━━」
「言い訳はいらん」
その一言で、室内に緊張が走る。
「ッ、失礼いたしました……」
ガブリエルは立ち上がり、背後の窓から外を見下ろした。
彼の視線の先、城の中央からやや外れた一角には未だ焼け焦げた瓦礫と深く抉れた地面が残っている。
それは人類側の冒険者アライアンスとの交戦中に、何者かが城に侵入し、甚大な被害を与えて去った痕跡。
城を留守にしたガブリエルたちが勝利に酔いながら、帰還すると、兵士たちは全滅していた。そして、牢に繋がれていた【自爆人形】の姿も消えていた。
「脱走の可能性は?」
「は、はい。かつて【勇者】と呼ばれた男とはいえ、魔法を喪い、あの重傷では、自力での逃亡は不可能です。見張りの兵士が遅れをとることは、ないはずです……」
そして、
「侵入者の手掛かりは?」
「何も……発見には至っておりません……」
ガブリエルは黙し、グリモアの報告に耳を傾ける。
「あの日、見張りの兵士の数は百。ガブリエル様自ら出撃されて、城の守りが薄くなったとはいえ、人類の侵入者を許し、あまつさえ、【自爆人形】を逃がすなど考えられません……」
魔人一人に対して、人類は百人必要なほど力の差が離れている。だから、人類換算で言うと、この城には一万人の兵士がいたということだ。
「【星屑の集い】の残党であれば、あるいは可能かもしれません。ですが、勇者は既に我らの手の内、他の三人も戦死報告が出ております……王女の可能性も捨てきれませんが、あの女が国を離れ、こんな辺境に来るとは到底、思えません……」
王都は四面楚歌。王女が国家中枢を離れる余裕などないはずである。
そもそも、あの【自爆人形】には魔王直製の枷がかけられている。
魔人が魔力を流し込めば、即自爆。
人間が触れれば巻き添えにするという呪詛構造。
しかも、枷自体は爆発でも破壊されない最硬の金属、オリハルコン製。
救出しようとすれば、助けに来た者ごと吹き飛ばされるはずである。
「━━━」
ガブリエルの沈黙は深まり、視線が再び窓の外へと向かう。
爆発の中心と周囲の損壊具合から見て、確かに一度は枷が作動した形跡がある。
それにも関わらず、その侵入者はその爆発を耐え、なおかつ、魔王のみが持つはずの”鍵”なくして、枷を破壊・解除したということだ。
そして、【自爆人形】を解放し、逃げていると。
「で、ですが……人類に、それほどの力を持つ者が……まだ残っているというのですか?」
それは、四天王クラスの魔人に匹敵する存在ということになる。
人類最強と言われたマイス=ウォントでさえ、ガブリエルには降伏している。
そんな者が本当に━━━
「【勇者】か……」
「は、はぁ……?あの【自爆人形】がどうかしたのですか?」
ガブリエルが鼻で笑った。
「勘違いするな。あの【自爆人形】は、本物の勇者ではない。人間どもが勝手に持ち上げた偶像にすぎん」
「し、しかし」
「魔王様がおっしゃっていた。本物の勇者は他にいると」
その瞬間、扉が乱暴に開かれた。
「報告です!魔人の小隊がまた一隊、消息を絶ちました!」
この一月、【封樹海】では百人を超える兵士たちが音も無く姿を消していた。
当初は森の性質によるものだと思われていたが、情報の欠落が異常すぎる。
魔法の痕跡も、戦闘の痕跡もない。
まるで、何もなかったかのように存在が消されている。
「ま、まさか」
聡いグリモアは今の話を聞いて、察したようだった。
「ああ。あまりにも出来過ぎだ。誰かが我らの邪魔をしている」
証拠が何も残っていないというその事実こそが、逆説的に【勇者】の存在を裏付けている。
「そ、それともう一つ、火柱が【封樹海】の奥で確認されました。あの【自爆人形】のものかと」
「ご苦労、下れ」
「はっ!」
ようやく朗報が届いた。
【自爆人形】は目立つ。予想通り、既にレティシンティア王国の領土に連れ帰られているが、まだそこまで遠くにまで逃げられていない。
だが、逆に考えれば━━━その近くに、真なる【勇者】がいるということだ。
「……一週間だ」
「は?」
「一週間以内に、この森を攻略する。これ以上の遅延は、魔王様の逆鱗に触れる」
「し、しかし……この森の広さでは」
「我が出る」
「え……ガブリエル様、自ら、ですか?」
「不服か?」
「い、いえ、滅相もございません!」
グリモアが慌てて、敬礼をし直す。そして、慌てて退出し、部屋に再び静寂が戻る。
残った部屋でガブリエルは一人ため息をついた。
溜息をつきながら、ガブリエルは自らの胸中を吐き捨てるように呟いた。
「【自爆人形】は、魔王様の所有物……失えば、我が咎を受ける」
だが、今こそ運命が巡ってきたのかもしれない。
【勇者】が実在するならば、殺してしまえばいい。
【自爆人形】を回収し、手土産に【勇者】の死体を献上すれば、名誉回復は間違いない。
【灰燼】ガブリエルは重たげな足音共に。玉座の間を後にした。
ここに来て【自爆人形】の居場所と、【勇者】が存在するかもしれないということで少しだけガブリエルに運が回ってきたのかもしれない。
『重要なお願い』
面白い!先が気になる!筆者頑張れ!と思った方はブックマークの追加と広告の下にある☆☆☆☆☆を★★★★★にして評価していただけると嬉しいです!
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