第39話 境界線
「もう少し待って欲しい」
「……はい?」
「いや、だから、保留っていうか、一度持ち帰ってじっくり考えたいというか……」
俺が言葉を紡ぐ間にも、鈴羽の顔はどんどんと俯いていった。
これはもしかしなくても、泣かせたか? それもそうか。勇気を出してしてくれた告白の答えが保留なんて、泣かれても仕方ないよな。
「鈴羽……」
「なんで……」
「え?」
「なんでそうなるんですか!」
「鈴羽!?」
勢いよく顔を上げた鈴羽の顔には涙は一滴たりとも存在せず、浮かんでいたその表情は悲しみではなく怒りだった。
「今の流れで保留ってどういう事ですか!」
「いや、だから――」
「保留なら保留らしい流れってものがあるでしょ、普通」
「そんな事言われても……」
「大体、保留の理由はなんですか。天使さんですか?」
「天ちゃんは別に関係ない」
「じゃあ、どうして!?」
鈴羽に詰め寄られ、俺は思わず一歩後ずさる。
気分はまるで、浮気を問い詰められるダメ彼氏のよう……。って、誰がダメ彼氏だ。まだ付き合ってないわ。
いかんいかん。動揺のあまり、心の中でセルフツッコミを入れてしまった。
落ち着け。ただ保留の理由を説明するだけ。ただ保留の理由を説明するだけ……。
「付き合うってその、難くないか?」
「はぁ?」
火に油だった。
どうやら俺は、鈴羽の怒りの炎に誤って更に燃料を投下してしまったようだ。
「難しいってなんですか? 大体、せんぱい一度付き合ってますよね?」
「だからこそって言うか、ことりとの一件で思ったんだ。付き合うって難しいって。付き合う事で関係がいい方に変わる事ももちろんあるだろう。だけど、悪い方にしか変わらない事も確かにあって……」
ことりと付き合って、いい方に変わった事は一つもなかった。それまで仲のいい友達としてやってきたのに、恋人というフィルムを一枚挟んだだけで、その全てがガラリと崩れた。結果、残ったのは後悔と喪失感。
あんな思いをするくらいなら、いっそもう誰とも付き合わない方が……。
「それは、せんぱい達が関係を変えようとしたからじゃないんですか?」
「? そんなの、当たり前だろ。恋人になったんだから、当然、今までと同じようにはいかないし、今までと同じじゃダメだろ」
「なんでダメなんですか?」
「なんでってお前……」
付き合うってそういうものっていうか、それが当たり前っていうか……。
「付き合い方なんて人それぞれでしょ。恋人だからこうじゃなきゃいけないなんて事、私はないと思います」
「は?」
なんだそれ。そんな事。そんな事が……。
「もちろん恋人っぽい事をしたいんであればやればいいけど、したくないんであればやらなくてもいいんじゃないですかね。だって、それを決めるのは恋人になった二人なんだから」
はにかみそう言う鈴羽の姿は、いつもの彼女よりずっと大人びて見えた。
「なんか、凄いなお前」
「そうですか? まぁ、私自身は誰かと付き合った事ないので、今のはほとんど、聞きかじった情報とフィクションから得た知識を元に考えた、私の妄想みたいなものですけどね」
「……」
いや実際、そうなのかもしれないが、大っぴらにそう言われてしまうと、なんだか途端に有り難みが薄れてしまい、先程まで感じていた、これぞ正解みたいな感覚が急に疑わしいものに思えてくる。
俺の感動を返せ。
とはいえ、鈴羽の言う事に一理あるのもまた事実。
恋人だからこうじゃなきゃいけないなんて事はない、か。
確かに、あの時の俺達は、友人から恋人に関係が変わったのだから、それらしくしないといけないと思い過ぎていたのかもしれない。友人の延長線上に恋人があっても別にいいのに。
「鈴羽、俺目が覚めたよ」
「それじゃ……」
うん。
「やっぱり、保留で」
「……はー。そうですか。だと思いました。せんぱいって結局そういう人ですよね。変なところで慎重というかその場のノリでは動かないというか……」
「いや、今回のこれは、その場のノリで決めていい事柄じゃないだろ」
「真面目か」
なぜだろう? 正しい事を言っているはずなのに、なんか俺が悪いみたいな感じになってしまっている。
「もういいです。せんぱいがそういう人だって事はよーく知ってますし、惚れた弱みだと思って諦めます」
「惚れた弱みって……」
言いたい事は分かるけど、なんかちょっと言い方がアレじゃないか、オーバーというか、大げさというか……まぁ、どっちも同じ意味だけど。
「じゃあ、こうしません。お試しで付き合ってみるってのはどうです?」
「どうですって言われても……。なんだよ、お試しって」
企業が提供しているコンテンツじゃないんだから、恋人にお試し機能なんてないだろ、普通に考えて。
「お試しなんでそういうのはなしです。だけど、デートしたりおウチ行ったりお弁当作ったり……あれ?」
「全部今でもやってる事だな」
「ですね」
「なら、今がお試し期間って事で」
「むぅ」
どうやら、それでは鈴羽様はご不満らしい。
「なら、手でも繋ぐか」
「……小学生ですか」
などと文句を言いつつも、俺の差し出した手をすぐさま取る鈴羽。
「帰るか」
「ホント、せんぱいは仕方ないですね」
呆れ顔の鈴羽と連れ立って、今度こそ駅に向かって歩き出す。
「というかせんぱい、私が告白してるのに全然動じないなんて、ひどいじゃないですか」
「実際は、動じてない事もないんだけどな。ただ、ネタばらしっていうか、先にそうじゃないかなって思わせるヒントみたいなのがあったから」
「ヒント? ですか?」
俺の言葉に、鈴羽が首を傾げる。
「トオチカの作者お前だろ」
「……やっぱ、バレました?」
「よくよく読むと、俺達のやり取りそのまんまのとこが多々あるからな。違和感はすぐ覚えた」
最初は偶然かと思ったが、その描写があまりにも酷似しており、尚且つ数が結構多かったので、これは偶然じゃないなと途中から思い始めた。
「特に生徒手帳を落とすくだり、何から何までその通りで、作者がお前じゃなかったら軽くホラーだぞ、アレは」
しかも、やけに描写が細かく、これは実際に作者が体験したんだろうなって事が、読んでいると嫌でも伝わってくる。
「後、キャラがまんま俺とお前過ぎる」
「あう」
関係性や立場が違うから口調や態度こそ違うが、本質的な部分ではそのものなので、そういう目でみればすぐにそうだと分かる。
「フィクションのキャラと現実をごっちゃにするのはどうかとは思ったけど、もしかしてとは思ってな。そこにお前からの告白だろ? どちらかと言うと、驚きよりやっぱりって感情の方が強かったかな」
「そうですか……」
これはどういった表情なんだろう? 気付かれるだろうなと思って仕掛けたけど、気付かれたせいでインパクトが与えられなかったのであれば、それはそれで複雑な気分って感じか?
「エスパーか何かですか、せんぱいは」
「あれ、口に出てた?」
「それはもう、出まくりですよ」
まぁ、なんにせよ、一件落着って事でいいのかな。実際は問題を先送りしただけで、何も解決してないわけだが、その辺りは追々なんとかしていくって事で……。
「せんぱい」
「ん?」
「好きです」
「俺も好きだよ」
「じゃあ――」
俺の言葉に、目を輝かせる鈴羽。
「あ、そういうんじゃないんで」
そんな鈴羽を、俺は素早く牽制する。
「むぅ……あ」
唇を尖らせ不満げな表情をしたかと思うと、鈴羽はすぐに何かを思い付いたように、顔を綻ばせた。
「えい」
そして突然、繋いだ手を離し、俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。
「って、おい」
「お試し、ですよね? それに、仲のいい人同士ならこれぐらいしますよ」
「それ、女の子同士の話だろ」
たく。
「駅までだからな」
「はい」
嬉しそうにそう言う鈴羽の顔を見て俺は、恋人と友人知人の境界線について割と真剣に考えるのだった。




