第37話 興奮
水族館に着くと俺達は、チケット売り場には見向きもせず、そのまま入口へ向かう。
前以てインターネットでチケットは買っておいたので、係の人にスマホを見せるだけで入口は通過出来た。
館内に入った俺達の目に、最初に飛び込んできた生物はシャチだった。
大きな水槽に数頭のシャチが泳いでいる。黒と白のみの配色のデザインが、シンプルで格好いい。海のギャングと呼ばれるに相応しい、見事な見た目だ。
「似たようなフォルムなのに、なんでイルカと違ってこんな怖い見た目してるんですかね」
「色と模様のせいじゃないか」
「模様?」
「ほら、白い所が目みたいに見えるし」
「あぁ」
本当の目はあの白い模様の先端付近に付いているのだが、体の色と目の色が同じため、遠目では全然分からない。
「知ってます? シャチって実は、イルカより芸を覚えるスピードが速いんですよ」
「へー。そうなんだ。なんか意外だな」
イルカの方がなんとなく賢いイメージだったのだが、本当は違うのか。
シャチの隣には、そのイルカのいる水槽が。
「やっぱ、イルカの方が可愛いですね」
「まぁ、そうだな」
イルカの方は肌の色素が薄いため、つぶらな瞳がばっちり見える。後、口元がシャチより長く突き出ていて、その辺りにもどこか愛嬌を感じる。
「イルカに関する豆知識はないのか?」
「え? そうですね……。イルカってパルス音っていう高い周波数を出して、それで物体を感知したり仲間に知らせたりするんですよ」
「それは知ってる」
「むぅ。じゃあ、イルカって食べるわけでもないのに、魚に集団で噛みつきいたぶる事もあるらしいです」
「うわ。それは、イルカの見る目変わるわ」
ただ優しくて可愛い生物だと思っていたのに。
「人は誰しも二面性があるという事です」
「人じゃなくイルカの話だけどな」
「ちなみに、歌手のイルカの本名はとしえです」
「イルカ違い! ってか、なんでそんな事知ってるんだよ」
世代じゃないだろ。俺もだけど。
「某ガールズユニットのコンサートに参加してて、誰だろうって思って調べました」
「某って……」
鈴羽の言っているガールズユニットは、週末にあれやこれやする彼女達の事だろう。俺の周りにも熱狂的なファンが多い。何を隠そう、俺の親父もその中の一人だ。
イルカのいる水槽の反対側には、ベルーガがいた。
「白っ」
その姿を見るなり、鈴羽がそんな声を上げる。
「まぁ、シロイルカだからな」
白いイルカでシロイルカ、そのままだ。
「後ろのと全然見た目違いますけどね」
「頭柔らかそうだもんな」
「実際、柔らかいみたいですよ。触ったらどんな感触なんでしょうね」
なんて事を言っていると、俺達の言葉が分かったのか、ベルーガの一頭がガラスに頭を押し付けてきた。その拍子に、ベルーガの頭が楕円状に凹む。
「わぁ!」
それを見て、鈴羽が思わず後ずさる。
その姿は可愛らしく、俺はついつい吹き出してしまう。
「何笑ってるんですか」
そして、鈴羽に睨まれる。
「いや、なんというか、いい意味で笑えてきて」
「いい意味ってなんですか。なんでもいい意味って付けたら許されると思ったら、大間違いですからね」
「悪い悪い。ほら、見てみろ。ベルーガがリング出してる」
「そんなんじゃ誤魔化されな――ホントだ」
誤魔化されないと言いながら、見事に誤魔化される鈴羽。
逆にチョロ過ぎて心配になる。
「よく見ると可愛いですね、ベルーガ」
「失礼な。よく見なくても可愛いだろ、ベルーガは」
「それ、誰目線で怒ってるんですか」
適当な事を言ったら、鈴羽から呆れたような視線を向けられてしまった。
まぁ、適当な事を言ったのだから、当たり前なのだが。
「そもそもベルーガって、どういう意味なんだ?」
「白いって意味ですよ」
「じゃあ、俺達はこいつらの事をシロって呼んでるのか? まるで見た目だけで付けた、犬の名前みたいだな」
「ベルーガはイルカですけどね」
「知ってるよ、そんな事は」
というか、まだ館内に足を踏み入れて数十メートルしか進んでないのに、こんなに水族館を満喫して、これから先俺達は一体どうなってしまうのだろう……。
ワクワクが止まらないぜ。
「うわー」
数百メートルに渡る大水槽を前に、鈴羽が感嘆の声を上げる。
まさに壁一面に、海が広がっているといった感じだ。
この水槽にいるのは大小様々な魚達、そして――
「せんぱい、サメ、サメがいますよ」
水槽内を悠々と泳ぐサメを指差し、鈴羽が騒ぐ。
「凄い光景だな」
「他の魚、食べられないんですかね」
「その辺はエサの量とかで管理してるんだろ」
とはいえ、一緒に泳ぐ魚達は溜まったものじゃないだろう。海なら遠くに逃げる事も出来るが、水槽の中では逃げられる距離もたかが知れている。それか、もう慣れてしまっているのだろうか?
「あ、せんぱい、イワシですよ、イワシが群れ作って泳いでます」
「イワシも、サメから逃げるのに必死なんだろうな」
生物としての防衛本能が死んでなくて良かった良かった。
「なんでそういう事言うんですか」
「いや、海洋生物の生態を知るのも、水族館の大事な役割だろ」
「うっ。言ってる事が間違ってないだけに、よりいっそうムカつく」
「なぜムカつかれなければならない」
理不尽過ぎる。
「そんな事より魚見ろ。イワシにカツオにヒラメにカレイ、コハダにマグロに鯛にアナゴ」
「魚のチョイスに悪意を感じるんですが……。というか、本当に今言った魚、水槽内に全部います?」
「知らん。適当に言った」
「やっぱり」
ちなみに、俺はアナゴとサーモンが好きだ。後は中トロがあれば……おっと、口が滑った。俺達が今いる場所は水族館、直接的な表現は避けなければ。
まぁ、最近では水族館でもその手のイベントがやっているらしいが、それはそれこれはこれという事で。
「あ、シイラだ」
「何? ミイラだと」
水槽にミイラとはこれいかに。
「シ・イ・ラ。ほら、あそこ」
鈴羽の指差す先にいたのは、変な顔をした魚だった。
「あいつ、見事にイワシの群れを切り裂いて泳いでるな。イワシに恨みでもあるのか?」
「さぁ、魚同士の事なので私にはなんとも……」
そりゃ、そうだ。
大水槽はこれぐらいにして、俺達は次に移動する。
「この辺りは変なのが多いですね」
「深海エリアだからな」
見た目グロテスクなのからおかしなの、色が変なのまで選り取り見取りだ。まぁ、どれを選らんでも一般的でないのが難点といえば難点だが……。
「オオグソクムシってなんか響きがいいですよね」
「そうか?」
「オオグソクムシ」
「言い方じゃないか」
妙に力が籠っているというか、口調がはっきりし過ぎているというか。
「オオグソクムシ」
「だから、言い方っ」
俺のツッコミに、ケタケタ笑う鈴羽。
よく分からんが、鈴羽が楽しそうで何よりだ。
「ヌタウナギってアレですよね? 触るとヌメヌメしてる」
「たまにテレビで見るよな。ぬめっとした粘液みたいなのが、持った人の手に纏わりついて気持ちいんだよな」
いつも思うが、アレはすぐに落ちるのだろうか。どれだけ丁寧に洗っても、なんとなくヌメヌメがいつまでも残りそうで怖い。
「でも、ヌタウナギ本体は意外と美味しいらしいですよ」
「そうか……」
あの見た目を見てしまうととても美味しく食べられそうにないが、それを言いだしたら他の生き物でも同じなので所詮は偏見というやつなのだろう。
深海エリアと日本海エリアを通過すると、いよいよ本命とも呼べるあのエリアが姿を現す。
「せんぱい、せんぱい、せんぱい」
興奮したように俺の事を呼び、俺の腕を叩く鈴羽。
「分かった。分かったから落ち着け」
それを、俺は苦笑を浮かべながら制す。
気持ちは分かる。ペンギンといえば、水族館のアイドル的存在。実物を前にしたら、そりゃテンションも上がるというものだ。
「ペンギンってなんでこんなに可愛いんでしょう」
「足が短いから?」
「そんな具体的な推論はどうでもいいんですよ」
「おい」
お前が聞いてきたんだろ。
「ペンギンいいですよね。ペットに出来たりするんでしょうか」
「種類にもよると思うけど、飼えなくはないんじゃないか。ただ、飼育環境整えるのが大変そうだよな」
資金的にも家の広さ的にも。
「やはり、最後に物を言うのは金ですか」
「この場合に限ればそうだな」
全ての事柄でそれが当てはまるとは思わないが、お金でしか解決出来ない問題がある事もまた事実。こればかりは、そういうものと諦める他ないだろう。
「ちなみに、いか程で?」
「さぁ。でも、数千万は固いだろうな」
「数千万!」
俺の発した金額に、鈴羽が大げさな反応をみせる。
まぁ、ペンギン自体は安ければ百万切るぐらいの値段で買えるらしいから、本当はもっと安く仕上がるかもしれないが、正直なところ何一つ分からないので、俺の告げた値段は適当も適当、根拠のないデタラメだ。まぁ、とはいえ、最低限の設備を整える程度ならば、案外これぐらいが妥当なところなのかもしれない。
「数千万か……」
「なんだよ」
俺の告げた値段を呟きながら、鈴羽がなぜか俺の顔を見る。
「さすがに厳しいか」
「そりゃ、一般家庭じゃ厳しいだろうな」
「ですね」
よく分からないが、何か失礼な事を思われた気がする。
確証はないので、とりあえず鈴羽の後頭部を無言ではたく。
「いたっ。何するんですか」
「いや、なんとなく」
「なんとなくで、人の頭はたかないでくださいよ」
「悪い悪い。後でペンギンのぬいぐるみ買ってやるから許してくれ」
「ホントですか。なら、許します」
見事な変わり身だった。
まぁ、機嫌の悪さをこの先引きずられても適わないので、互いにいい落しどころだろう。
……だったら、そもそもはたくなという話だが、時として理性より感情が勝ってしまうのが人間の性質だ。全く愚かなものである。




