第23話 天使の日常
「で、結局誘えたの? 憧れの香野先輩は」
翌朝、待ち合わせ場所である駐車場前に私が到着すると、華が挨拶もそこそこにそんな事を聞いてくる。
「まだ……」
それに対し私は、その後の反応を予想して華から視線を逸らしながらそう答える。
「天ってそういうとこ慎重だよね」
華のその言葉と表情には、若干の呆れと慣れが含まれていた。
基本的に私は決断が速い。外食に行ってもメニューを見てすぐ注文する物を決めるし、買い物でも欲しい物は然程悩まず即購入を決める。だけど、本当に重要な事に対してはどうしてもそれが出来ず、及び腰になってしまう。
普段が普段なだけに、そのギャップに華は私に対して呆れの感情を覚えるのだろう。
どちらともなく、目的地である高校へと並んで歩き始める。
「ま、なんにせよ、早くした方がいいよ。ライバル多いんでしょ? その先輩」
「ライバル……」
と言っても私が勝手にそう思っているだけで、向こうは私の事を認識すらしていない可能性が高いわけだが……。
私がライバルだと思っている女性は、今のところ三人。
元カノの小鳥遊先輩、現在の同級生の大道寺千里さん、そして高校でも大学でも後輩の神崎先輩。大道寺さんの容姿は写真すら見ていないので知らないが、香野先輩曰く中性的で綺麗な人らしい。小鳥遊先輩は大人美人、神崎先輩は明るく元気で可愛い子犬……いや、子猫系か? とにかく三人共、非常に強力な面子だ。
「でも、やっぱ同じ学校に通ってるって断然有利だよね。その分、自然に会う機会も作りやすいし」
「それは……」
まぁ、まず間違いなくその通りだ。
私の場合、自然に会う機会はバイトの日曜日の休憩時間と月曜日の帰宅時間くらいで、話せる時間はどちらも精々二十分程度だ。一週間で合わせて四十分。時間ではおそらく、大きく溝を開けられている事だろう。
とはいえ、プライベートで頻繁に遊びに誘うような真似もなかなか出来ず、結局大した進展もないまま現在に至る。
「天みたいに可愛い子なら、少しぐらい強引に行っても相手は喜ぶだけだと思うけどな」
「香野先輩はそんな人じゃないから」
「ふーん」
私の反論に、華が何やら意味深な反応をみせる。
「何よ」
「べっつに。ただ天ってやっぱ可愛いなって思って」
「それって、絶対褒めてないよね」
むしろ、馬鹿にされているような……。
「そんな事ないって。天ってば考え過ぎ」
「……」
全く納得は出来ていないが、これ以上そこを掘り下げてもどうせ益のある会話にはなりそうもないので、とりあえず言いたい事をぐっと飲み込み黙る亊にした。
そして代わりに、別の言葉を私は発する。
「華にはいないの? 好きな人」
それはある種カウンターだった。油断する親友に対するちょっとした仕返し。華がそれで焦ればそこを突き、平然と否定したら話を流す。その程度の考えしかその時の私にはなかった。
「いるよ」
だから、平然と肯定するという選択は全くの予想外で、思わず私の方が逆に焦ってしまった。
「え? いるの? マジで?」
いや別に、華に好きな人がいてもなんら問題はないのだが、こんな堂々と言われるとは思ってもみなかった。
「誰? 私の知ってる人?」
「うん。よく知ってる人だよ」
という事は、同じ高校に通う同級生あるいは後輩、もしくは先生、とか? ……さすがに華に限ってそれはないか。格好いいと思うくらいならあるかもしれないが、まさか本気で恋心を抱くような子では華はないだろう。
「三組の田中君とか」
「ぶー。外れ」
三組の田中君は図書委員で、同じく図書委員の華とたまに話している所を見掛ける。男子があまり得意ではない華には珍しく、まともに会話が出来る数少ない男子生徒だ。
「え? じゃあ、誰?」
「ひ、み、つ」
「えー。そんなー」
ここまで言っておいてそれはあんまりな対応だし、私だけ一方的に好きな人の事を知られているのはアンフェアだと思う。
……お前が勝手に話したんだろうという正論は、この際無視だ。
「その内ね」
そう言うと華は、その口元に薄っすら笑みを浮かべた。
こうなったら華は、いくら私があの手この手を尽くそうとも、決して口を割る事はしないだろう。意外と芯が強く頑固者なのだ、華は。
「絶対だよ」
だから、私はそう言って引き下がる他なかった。
「うん。必ずその内教えるよ」
そうして、その一言をきっかけに私達のコイバナは唐突に終了した。
そこからは他愛もない話をして通学路を歩いた。これから受ける授業の話、昨夜観たテレビの話、朝御飯の話……。
華の好きな人は正直気になったが、無理に聞き出そうとは当然思わなかった。華の事だ。彼女の言うように『その内』話してくれる事だろう。
教室に着き自分の席に座ると私は、早々にスマホを鞄から取り出し、メッセージを送るべくアプリを立ち上げ、香野先輩の名前をタップした。
さて、勢いに任せてアプリを立ち上げたのはいいが、なんて送ろう。
軽く? 普通に? それともちゃんと? あまりしっかりし過ぎた文章を送っても身構えられそうだし、緩過ぎる文章を送ったらもしかして引かれるかも。
うーん……。
「何難しい顔してんの? てんてん」
スマホ片手に一人悩んでいた私に、頭上からふいに声が降ってくる。
顔を上げるとそこには、小柄な、一見すると小学生みたいな少女が立っていた。
彼女の名前は、大垣都子。私のクラスメイトにして友人だ。
身長は華と同じくらいだが、大きな瞳や快活そうな表情なども相まって、目の前の少女はよりいっそう華より幼く見える。
髪は長く、今はそれを左側の高い位置で一つに縛っていた。特に髪型にこだわりはないようで、彼女は色々な髪型で登校してくる。そのどれもが彼女に似合っており、かつ不思議と更に彼女の幼さを増幅あるいは拡張していた。
「んー?」
私がすぐに答えなかったからか、都子が首を大きくまるでフクロウのそれのように傾げる。
「ちょっとラインの文面をね、考えてたの」
「あ、分かった。例の彼氏だ」
「うん。そう。彼氏じゃないけど、その人」
さすがに仲のいい友人には、香野先輩が私の彼氏ではない亊は伝えてある。自分の近しい人を騙す程、私の性格は悪くないし歪んでもいなかった。
「デート? もしかしてデートのお誘い?」
何が嬉しいのか、都子が今にも飛び跳ねそうな勢いで、そう私に尋ねてくる。
「うーん。今回はちょっと違うかなー。今度の土曜日にでも、勉強を教えてもらおうと思って」
「あー。受験生だもんね、ウチら」
そう。私達は今年受験生だ。なので本来なら恋だの愛だのに現を抜かしている場合ではないのだが、それはそれこれはこれという亊で一つ、ここは見逃してもらいたい。
「で、何悩んでるの?」
「文章。なんて送ろうかなって」
「えー。そんなの、シンプルに『先輩、勉強教えてください』でいいんじゃないの?」
「まぁ、そうなんだけど……」
そうじゃないっていうか……。
「ふーん。よく分かんないけど、普通じゃダメって事だよね? じゃあ、『先輩、今度の土曜日お暇ですか?』とか、『先輩にちょっと頼みたい亊があるんですけど』って、ワンクッション置いてみたら?」
「……」
そうか。それでいいのか。どうやら私は香野先輩に勉強を教えてもらうという事を、無駄に深く考え過ぎていたようだ。もしかしたら今回の事は、もっと簡単に、もっと気軽に頼んでもいいのかもしれない。
「ありがとう、都子。お陰で助かったよ」
「え? そう? 別に気の利いたアドバイスをしたつもりはないけど、てんてんがそう言うなら、素直にお礼受け取っちゃおうかな」
戸惑いながらも、気恥ずかしそうに後頭部を片手でかく都子。どうも彼女は褒められ慣れてないらしく、こういう時、発した言葉とは裏腹に素直にお礼を受け取れないところがある。
ま、そんなところも、都子の魅力の一つ、なのだが。
「なになに? なんの話?」
私達のやり取りを聞きつけた明香音が、そう言ってこちらに寄ってくる。
彼女の名前は宮西明香音。都子と同じく、私のクラスメイトにして友人だ。
明香音の身長は私と同じくらい。何事にも物怖じしない感じと人懐っこい雰囲気が特徴の少女で、大抵の人とは初対面でも仲良く話せるという特殊技能を持っている。
髪はセミロングで、今も肩の上で少しパーマの掛かった髪が、彼女の動きに合わせて右に左に踊っていた。
「んー。秘密」
やってきた明香音に、都子がそう応える。
「えー。なんだよ、それ」
「うそうそ。てんてんが今度クレープ食べに行こって」
都子が私に気を遣い、今まで話していた内容とは全然似ても似つかない話題を、明香音になんの不自然さも感じさせず振る。
容姿と言動から子供っぽいイメージがどうしても先行しがちな都子だが、こういうさり気ない気遣いが意外と上手く、実はこの中で内面が一番大人なのは彼女なのかもしれないといつも思う。
「いいね、クレープ。じゃあさ、今日の放課後にでも行っちゃう?」
「行っちゃう?」
明香音の提案に、都子も乗っかる。
そして後は私の返事待ちという状況になり、自然と二人の視線がこちらに集まる。
「行っちゃおうか」
今日の放課後は特に用事もないので、私は二つ返事でその提案に乗っかる。
「わーい。はなはなも誘おう」
言うが早いが、スカートのポケットからスマホを取り出し、何やら操作し出す都子。
ちなみに、華は理系、私達は文系とコースが別で、当然クラスも違う。
都子と明香音の二人とは高校に入ってから知り合ったので、彼女達と華が同じクラスになった事は一度もない。しかし私経由で知り合って以来、特に都子は華と非常に仲がいい。その様はまるで子猫に懐かれた小型犬のようで、見ているこちらとしてはなんだかとても微笑ましい気持ちになる。
「オッケーだって」
「早」
誘うのも早ければ、それに対する返信もまた早かった。
ちょうどスマホを手に持っていたのだろうか?
「という事で、放課後はクレープパーティーだ!」
「おー?」
片手を上げながらされた都子の訳の分からない宣言に、明香音がなんとなく調子を合わせる。
これが私達の平常運転であり、日常だった。




