第16話 本屋
せんぱいが提案した目的地は、私としては少し意外とも思える場所だった。
瑪瑙堂書房。
大学から歩いて十分、最寄り駅から歩いて数分のところにあるそのお店は、一階建ての、中ぐらいの規模の書店だった。決して狭くはないが広くもない、そんなお店だ。
せんぱいが本屋を訪れる頻度はあまり多くない。月に一度ないし二度といったところだ。
まぁ、そのタイミングが、たまたま今日だっただけという可能性もあるが、それにしても珍しい事に間違いはなかった。
店内に入ると、なんとなく一緒に二人でコミックコーナーに向かう。
「これって、今人気のやつですよね」
少年漫画売り場に置いてあったコミックを手に取り、表紙を見る。
「あー。なんか、地味に推されてる感じだよな。たまにネットでも広告見るし」
私の手元を覗き込みながら、せんぱいが呟くようにそんな事を言う。
「面白いんですかね?」
「さぁ? どうだろう?」
どうやら、せんぱいもこの作品については、それほど詳しくないようだ。
こういう時、小説なら中身を確認してから買えるのに……。
「気になったんなら、買えばいいんじゃないか?」
「うーん。そうですね……。今日は止めときます」
そう言って私は、コミックを売り場に戻す。
よし。一応、作品名は頭に入れた。家に帰ったら後で調べてみる事にしよう。
特に目当ての物があったわけではないのか、せんぱいは何も手に取らず、ただコミックコーナーをぐるりと一周するだけだった。
何をしに来たんだろう?
せんぱいの顔を横目に見ながら考える。
わざわざ自分から本屋に行こうと言い出したのだから、何かしらの用があるものだとばかり思っていたのだが、今のところその様子は一切見られない。ただの気分、だったのだろうか? だとしたら、本当に珍しい事もあるものだ。
「せんぱい、私ちょっと別の所見てきますね」
「あぁ」
断りを入れると、せんぱいと別れ、小説のコーナーに足を運ぶ。
先週も来たばかりなので、新刊の顔ぶれはあまり変わらなかった。だから、さっと見ただけで通り過ぎる。
既刊の方にも目を通すが、気になる物は特にない。
今日は空振りかな。まぁ、そう毎回毎回目に付く作品があったら、それはそれで困るんだけど。……主に経済的に。
「鈴羽」
声のした方を見ると、そこにせんぱいが立っていた。
「あー、もう行きますか?」
小説に興味のないせんぱいがここに来たという事は、そういう事なのだろう。
「いや、そうじゃなくて……」
「?」
なんだろう? 妙に歯切れが悪い、ような……。
「あの、さ、俺にもなんか紹介してくれよ、本」
「はい?」
なんて? 本を? 紹介? 誰が? 誰に? 私が、せんぱいに?
「頭でも打ったんですか?」
「失礼な。俺の頭は正常だ。じゃなくて、なんか急に読みたくなったんだよ、本が」
「急に、ね……」
そのなんとも嘘くさい言葉に私は、せんぱいにジト目を向ける事で抗議の意を示した。
「なんだよ」
「べっつにー、いいですけどね」
どうせ、せんぱいの事だ。誰かの影響だろう。千里さんか、天使さんか、あるいは――
「で、どんなのがいいんです。字が少ないやつとか?」
「お前に任せる」
「任せる、と言われても……」
せんぱいは全くと言っていい程、小説を読まない。最近、ネットノベルを読み始めたとはいえ、それはネット上の物であり所詮は素人の作った作品なので、紙媒体のプロの作った作品とは全くの別物と考えていいだろう。
そんな人にどんな本を勧めたらいいのか。もしかしたら、千里さんに勧めるより難しいかもしれない。
「そう、ですね……」
何気なく辺りを周回しながら、私は思考を巡らす。
果たして、せんぱいにはどの本がいいのか。どんな本を勧めたら、最後までちゃんと読んでもらえるのか。
「うーん……あ」
見つけた。
「これなんてどうでしょう?」
そう言って私が、せんぱいに手渡したのは、一人の作者が綴った短編集だった。
話自体は一話一話で完結しているのだが、設定や人物はリンクしており、そういう所に一つ一つ気付くのもまた楽しい、そんな作品だ。
内容は、完全にリアルだったり少し不思議だったりホラーぽかったりと、話毎にその様式はまちまちで、一冊で二度も三度も楽しめる作品となっている。
「短編集か」
「はい。小説を読み慣れていないせんぱいには、こういうのがいいかなって。一話一話で気持ちも切れますし」
「じゃあ、これ、読んでみようかな」
「はい。是非」
言いながら私は、にぃっと歯を見せて笑う。
それにしても、せんぱいに紙媒体の本を読もうと思わせるなんて、どこぞの何某さんは一体どんな魔法を使ったのだろう。




