第10話 女子
「神崎さん、なんて?」
「どこにいるか聞かれたから、ここにいるって伝えたよ」
「私の事は?」
「もちろん、伝えたさ。伝えずに来て鉢合わせたら、それこそまずいだろう」
「……そうね。そうかも、しれないわね」
一瞬何やら思考を巡らしたようだったが、ことりはすぐに俺の言葉を肯定してみせた。
伝えた場合と伝えなかった場合の想定を、それぞれシミュレートしてみたのかもしれない。
「ねぇ、あの子とは付き合わないの?」
「なんだよ、急に」
「よく一緒にいるんでしょ?」
七瀬経由の情報だろうか。
「よく一緒にいるからって、みんながみんな付き合うわけじゃないだろ?」
「それはそうだけど、確率は高いんじゃない?」
「まぁ、低くはないだろうな」
高いか低いかと言えば高いだろう。
だからと言って、俺と鈴羽がそうなるかと言えば、話は当然別だが。
「他に気になる子でもいるの?」
「別に……」
そういう話ではない。どちらかと言えば、俺の心の問題。誰かと付き合う付き合わない以前の問題だ。
「もしかして、私のせい、だったり?」
「違うよ。それは、違う」
「そう……。なら、いいけど」
呟くようにそう言うと、ことりは俯き、そしてシフォンケーキにフォークを伸ばす。
「うん。美味しい」
シフォンケーキを口に入れた途端、ことりの口元が僅かに綻ぶ。
「何?」
視線に気付き、ことりが俺の事を見る。
「いや、美味そうだなって」
「……食べる?」
「……いや、止めとく」
「そう」
俺の答えを聞き、ことりがもう一口ケーキを口に運ぶ。
その様子は、俺の自惚れのせいかどこか残念そうに見えた。
「ところで、誕生日プレゼントはちゃんと渡せたの?」
「あぁ。まさにこの店で渡したよ。席はさすがにここじゃなかったけどな」
あの時は確か、出入り口に一番近い席に座ったんだっけ。その方が、移動が楽とか、多分そんな理由だった気がする。なら、今日はなぜ奥の席に座ったのかと言うと……。はて、なんでだろう?
「彼女、喜んでた?」
「最終的にはな」
「最終的?」
「それまでになんやかんやと、色々あったんだよ」
「ふーん。なんやかんやねぇ」
そう言ってことりが、俺に意味深な視線を向けてくる。
「なんだよ?」
「べっつに。ま、渡せて喜んでたって言うなら、私からはそれ以上何も言う亊はないわ。一応、相談に乗った身だしね。これでも気になってたのよ」
「そうか。それは悪かったな」
俺としては、意見を聞く程度の気楽な相談のつもりだったのだが、相談された方からしてみれば、どうやらそう簡単に割り切れるものではなかったらしい。
「まったく。元カノに自分以外の女の子へのプレゼントを相談するなんて、隆之って意外といい性格してるわよね」
「まぁ――」
俺にとってことりは、世間一般で言う元カノとは認識が少し違うから――とは思っても口にせず、
「その件については、少なからず申し訳なく思ってるよ。でも、他に相談する相手が思い浮かばなかったからさ」
「……そういうところだと思う」
「は? 何が?」
「ううん。なんでもない」
少し眉尻を下げ、誤魔化すようにことりがケーキにフォークを伸ばす。
なんだろう? 気になる。
気になるが、そんな表情を見せられるとなんだか追及もしにくい。
ふむ。
アメリカンを口に運び、自分の気持ちを落ち着かせる。
チリンチリンと、ふいに店内に鈴の音が響き渡る。誰かが出て行った様子はないし、新たに客が来たらしい。
俺は出入り口に背中を向けているので、その人物の姿は見えない。
マスターの武骨な挨拶の後、足音とこちらに人が近付いている気配がして、誰かが俺の隣で足を止める。
何気なくそちらを見ると、そこに鈴羽が立っていた。
急いで来たのか、その息は少し弾んでいる。
「よぉ」
「……」
俺の挨拶は見事に無視して、鈴羽が半ば強引に俺の隣に腰を下ろす。
仕方がないので、カップを手に持ち、壁側に少し移動する。
「神崎さん、こんにちは。思ったより早かったわね」
「こんにちは、小鳥遊先輩。特に用事もなかったので」
表向き笑顔を浮かべあって親しげに話し合う二人だったが、その様子はどこか不自然で、嘘臭かった。特に鈴羽の方が。
「すみませーん」
鈴羽がマスターを呼び、注文を済ます。
「神崎さんはこのお店よく来るの?」
「えぇ、せんぱいと何度か」
「そう。それは良かったわ」
なんだこれ。
多分ことりの方は鈴羽の反応を普通に楽しんでおり、相手に対して負の感情は一切ないんだろうけど、一方鈴羽の方はと言うと――
「小鳥遊先輩は初めてなんですか?」
「えぇ、本当は隆之の部屋でじっくりお話したかったんだけど、それは断られちゃったの」
「へー。断られちゃったんですね」
そう言う鈴羽の声色はどこか明るくて、彼女の心情がそこからも透けて見えた。
数分後、
「え? 小鳥遊先輩って、趣味でアクセサリー作ってるんですか?」
「うん。って言っても、簡単なやつだけど。ほら、これとか」
言いながらことりが、自分の耳に付けられたアジサイ型のイヤリングに触れる。
昔から、高校の時からことりはアクセサリーをよく自分で作っていた。
彼女の部屋に行った時、何度かその様子を遠くから眺めていた。とても俺には真似出来ない、集中力のいりそうな作業だと当時思った事を今でも覚えている。
「あ、それ、小鳥遊先輩の手作りなんですか? へー」
そう言って鈴羽が、テーブルの上に体を乗り出し、ことりの耳の辺りを覗き見る。
なんだこれ。
さっきまで全然噛み合ってない感じだったのに、もう仲良く喋って……。分かんねーな、女子の感性ってやつは。
「手先、器用なんですね」
「うーん。そうでもないかな? 何度も何度も失敗してようやくって感じ? 基本私、なんでも慣れるまで時間掛かるタイプなんだよね。だから、実は裏でめっちゃ努力してんの。なんか私、なんでも卒なくこなすやつみたいな認識されてるっぽいからさ、みんなに」
苦笑を浮かべ、ことりがそんな事を言う。
確かにことりは、周りからそう思われている節がある。成績がいいのも、運動神経がいいのも、色々な事が出来るのも、全部持って生まれた才能のお陰。別に頑張らなくてもことりはなんでも出来る、だからその手の事で悩むなんてしなさそうって。
そんな事ないのに。そんな事、ないのに。
「神崎さんは何かないの? 趣味、みたいな」
「私は……読書、ですかね」
読書が趣味という事に何らかの抵抗があったのか、鈴羽のその言葉には少しの躊躇いのようなものが見えた。
「あー。本読むんだ。いがーい。って、失礼か。ごめんね」
「いえ、自分でもキャラじゃないなって思ってるんで」
そう言って、鈴羽が「あはは」と笑う。
「どんなの読むの?」
「色々、ですね。ラノベが多いですけど、普通のも結構読むっていうか……、最近だと――」
鈴羽が名前を挙げたタイトルは、そういう方面に詳しくない俺にも聞き覚えがある、比較的有名なやつだった。確か、去年か一昨年映画化されて少し話題になったような……。
当然俺は、どちらも未読・未見だが。
「へー。あれかー。私は観なかったけど、友達が映画観に行ったって。面白い?」
「私も映画は観てないですけど、原作は面白いですよ。お勧めです。この前も人に勧めたばかりで……」
「ふーん。そっか。じゃあ、私も今度読んでみようかな?」
ことりは基本的に、あまり本は読まない。だが、全く読まないわけではない。年に数冊、忘れた頃に読書をする、そんな感じだ。
「隆之は? 神崎さんとよく一緒にいるなら、少しは読むようになったんじゃない?」
「別に関係ないだろ。それとこれは」
まぁ、言いたい事は分かるけど。
「せんぱいは最近、ネットノベルを読み始めたんですよ」
「って、おまっ」
「へー。そーなんだ」
俺の静止空しく、鈴羽の密告を聞いたことりが、俺の事を意味ありげな目で見つめてくる。
「それは、別に鈴羽と関係ねーし」
「大道寺先輩ですよね」
「大道寺先輩?」
「お前、喋り過ぎ」
ペラペラといらない事を話す鈴羽の頭を、げんこつで軽く小突く。
「いたっ」
俺に小突かれた所を自身の手で擦りながら、鈴羽が俺を恨めし気に睨む。
「あー。女か」
「なぜ女だと決め付ける」
「隆之の反応がそれっぽかったから」
「そんな事――」
あるのか? 当てられたって事は、多分あったんだろう。まぁ、カマだった可能性もあるが……。
「なんにせよ、隆之が楽しそうで良かったよ」
「なんだよ、それ」
ことりから向けられた視線があまりにも優しげで、俺は思わず彼女から視線を逸らす。
「ずっと私――ううん。なんでもない」
寂しげなことりの微笑。それを見た俺は、とてもその先の言葉を聞こうとは思えなかった。
「……」
「……」
黙り込む二人。
その中で、鈴羽のアイスティーを飲む音だけがやけに俺の耳に大きく聞こえ、届いた。




