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HOPE!  作者: NATSU
第四章 『悪夢は現実に舞い降りる』
29/35

(7)

 どうして柚希ちゃんがここに?

 大人の女の勘がどれ程のものかわからないが、陽菜はそんなことはないと心の中で否定した。

 時計を見ればもう昼休みも終わりかけている。自分に会いに来る理由なんてないはずだ。それに自分が保健室にいることだって知らないだろう。

 自分がいないことにすら、気づいていないかもしれない……そう考えると切なくなった。

「恋煩いの顔ね、それは」

 美奈子先生は陽菜を見て、くすくす笑いながら呟くと回転椅子から腰を浮かせた――その時だった。保健室のドアが開く。

「み、美奈子せんせー。俺と同じ学年の子来なかった?」

 保健室のドアを開けると何故か美奈子先生が満面の笑みで椅子を回転させ、こちらを向いていた。保健室まで全力で走ってきたせいか柚希の呼吸は乱れており、ドアの前で突っ立ったまま呼吸を整えている。

「朝日さんならそこのベットで休んでるわ」

 椅子に座ったまま、指差す。

「陽菜ぁ!」

 陽菜は柚希に名前を呼ばれ、返事の代わりに微笑みかけた。美奈子先生が何故そんなに笑顔なのか気になった柚希だったが、陽菜の笑顔を見てそんなことはすっかり忘れ去っていた。

「うっ、このベットは……」

 陽菜がいたベットは羽菜と色々あったベットだ。その“色々”が脳裏に浮かび、思わず顔を苦痛に歪ませる。消したい過去が今ここに蘇ってしまった。

 柚希はベットを前にして歩く体勢のまま凍ったように固まる。

「柚希ちゃん、どうしたの?」

「え!? ああっ、いやぁ、別に……あはは」

 陽菜の優しい声で呪縛が解けると柚希は笑ってごまかし、ベットの横にある椅子に腰を下ろした。

「ふふふ。ごゆっくり」

 美奈子先生は陽菜にウインクすると書類片手に保健室を出ていった。

「ごゆっくりって?」

 柚希は陽菜に問うが、

「そ、それはっ、えっと、あの……!」

 その問いの答えは聞けそうになかった。陽菜は顔を真っ赤にして両手を顔の前で振っている。何を否定しているのか、柚希にはわからなかった。

「思ったより元気そうで安心したけどよ。やっぱ具合悪いのか?」

 さっきの美奈子先生の言葉は、具合が悪いから保健室で安静にしていろ、という意味だと柚希は解釈していた。

「ううん、ううん。平気だよっ」

「そうかぁ? ならいいけど。顔真っ赤だぜ? 熱たけえのかな?」

 柚希は陽菜の額に手を添えた。触れた掌に熱っぽさが伝わってくる。

「ほら、熱いじゃねえか!」

「だだだ、大丈夫だよ! 元気だよっ!」

 陽菜が必死に否定するので、そこは頷いて手を離した柚希だったが、それは自分を心配させない為の強がりじゃないかと思った。

「そ、それより……ごめんね。あの、お弁当……」

「なに言ってんだよ。わざわざ弁当の代わりにパンと牛乳頼んでくれたんだろ?」

「え?」

「おかげで命拾いしたぜ。朝からなーんも食ってなくてさ」

 柚希は笑いながら腹を擦る。笑って言う柚希の口の端にはパンくずがついていた。

 誰にもパンを渡すように頼んでいない。おかしく思った陽菜は柚希の口元を凝視する。が、やはりパンくずがついていた。

「陽菜? どうした?」

 自分の顔を真顔で凝視する陽菜を不思議に思った柚希は、きょとんとした顔で見返した。

「なんでもない、です。口元に、はいっ、パンくずが」

 陽菜は柔らかな笑顔で柚希の口元についていたパンくずをとった。

「あ、うん。わりぃな」

 柚希は自分の顔に陽菜の指が触れ、頬を赤らめる。

 まただ……また意思とは関係なく、とくん、と心臓が音を立てる。鼓動が早まった。自分の心臓はどうかしてしまったんだろうか。今日はやけに元気だ。

「鏡、見てくる」

 赤くなった顔を見られるのが急に恥ずかしく感じた。この心臓の音を聞かれるのも、なんか、困る。

 柚希は薬品棚の近くにある鏡で見慣れた顔を見るなり、パチンパチン、と両頬を叩いた。見慣れた女顔はやはり赤く染まっている。それを引き締めるように叩いたのだった。

 柚希が背を向けている間、陽菜は棚に置いていた二つの弁当箱を布団の中に隠していた。

「もう大丈夫だろ?」

 柚希が顔を向けると陽菜はにっこり顔で頷いた。

「柚希ちゃん、あのね……」

「ん?」

 柚希が椅子に座ると陽菜は躊躇いながら重い口を開く。

「その、私、パン……誰にも頼んでないの」

「え?」

 陽菜はやはり嘘はつけない、隠すことは出来ないといった感じで、柚希の目を真っ直ぐに見つめた。

 柚希は確かに食べたチョコチップパン? を思い浮かべながら陽菜を見つめ返す。

「誰にパン貰ったの?」

「えっ、ああ、それは……」

 柚希は答えるのを躊躇った。羽菜は確かに言ったのだ。陽菜が代わりにくれた、と。保健室にいる陽菜の代わりに羽菜が持ってきてくれただけだと思っていた。具合の悪い双子の姉妹の頼みとなれば、さすがの羽菜も頼みを断らないだろう、と。

 しかしそれはどうやら勘違いのようだった。

 ……素直じゃねえな、ったく。

 パンを投げつけてきた、羽菜が脳裏に浮かんだ。憎らしいだけの羽菜が少しだけ可愛らしく思えてくる。

「いやいやいやいやいや、いや!」

 思えてきたところで否定する。まさか、そんな、可愛いなんて、思いたくもない柚希だった。思ってはいけない、そんな気がするのだった。

「柚希ちゃん?」

 一人でぶつぶつ言いながら首を横に振っている柚希を陽菜が現実世界へ引き戻す。

「あ、ああっ。あのパンはぁ、えっとぉ……」

 悲しそうな顔で自分を見つめる陽菜を前に柚希は口ごもった。

 な、なんでそんな顔すんだよ……。

 柚希は戸惑った。女の子のそんな表情は見たことがない。見るのはいつも怒った顔ばかりだった。何でこんなことぐらいで切なそうな顔をされなくちゃいけないのか。真実を言えば、その顔は明るくなるんだろうか。それとも……。

「隣のクラスの子、だったかな? うん、そうだ。ほらっ、陽菜が保健室に行ったからって、それもその子が教えてくれたんだよ。うん、そうそう!」

 元気付けるつもりが裏目に出た。柚希は自分で言っていて痛々しく感じた。つけない嘘はつくべきじゃなかった。

「そっかぁ、そうだったんだねっ」

 それでも悲しい顔からいつものお花畑のような笑顔に戻った陽菜を見て、柚希はほっとしていた。

 ――それが作り笑顔だと気づかずに。

 陽菜は最初から分かっていた。パンを渡したのは羽菜だろう、と。羽菜以外に思いつきもしなかった。

 何故嘘をつくんだろう、と陽菜は思っていた。羽菜は自分の意思で……そう、思うと何故か胸が締め付けられた。理由は分からない。それでも柚希の笑顔を見て、その嘘に騙されていてあげよう、と陽菜は思ったのだった。

 柚希が必死に笑って、重苦しくなった場を無理矢理和ませようとしたところで予鈴が鳴る。

「あ、やべえ。合同集会だっけ。ったく、めんどくせーなぁ」

 気だるそうに立ち上がった柚希は大きく背伸びした。ついでにあくびも出る。

「おまえは寝とくだろ? つーか、寝てろよ。いいな」

 子供に言い聞かせるような言い方をする。陽菜が強く頷いたのを見て安心すると柚希は陽菜に背を向けた。

「…………で」

 はて? 柚希は何か聞こえた気がしたが空耳だと思い、そのままその場を去ろうとした。が、

「?」

 後ろに引っ張られていることに気づいた。謎の力に抵抗して前に進んでみるが、更にぐいっ、ぐいっ、と後ろから引っ張られている。

 なんだろう、と思った柚希が振り返ると、

「い、行かないで……くだ、さい」

 潤んだ瞳で自分を見上げる陽菜がいた。

「え? え? え?」

 柚希の思考はショート寸前である。

 陽菜は柚希が行ってしまわぬようにとスカートのひだをぎゅっと握り締め、下唇を噛み締めて上目遣いで見つめている。

「一緒にいて、欲しい、な」

 陽菜の口から予想もつかない大胆な言葉が出てきた。それは、あの夢のように――

「陽菜? どどど、どうしたんだよ」

 情けないまでに動揺しまくっている柚希は、目の前がくるくる回り始めていた。まともに陽菜を見れずにいる。

 そんな柚希と違い、陽菜は強い意志を持って柚希を見つめている。

「だ、だから、なに? 俺、ほら、あれだ、合同集会に……」

 柚希は入り口を指差した。が、陽菜はまだ柚希のスカートを掴んだままである。離しそうにない。

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