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HOPE!  作者: NATSU
第四章 『悪夢は現実に舞い降りる』
26/35

(4)

「あ、そっか。柚希ちゃんはさっき来たから見てないんだもんね」

「なにを?」

「掲示板。牛乳買ったら見に行こっ。ほら、早く早く」

 優は柚希の腕を引っ張って自動販売機に向かわせる。既にその人だかりの理由を優は知っている感じだ。

 しかしいつもの優なら見に行く前に教えてくれる。なのに今回は言おうとしない。

 優は柚希の腕を引っ張りながらにやにやしていた。掲示板を見た時の自分の反応を見たがっているような、そんな気がした。掲示板に何が貼り出されているのか、なおさら気になる。

 柚希は無理矢理引っ張られて走らされ、胃液が逆流しそうだった。

「ちょっと優ちゃん。そんな引っ張らな……んぎゃあ!」

「柚希ちゃん!?」

 柚希は何かに躓き、顔面から勢いよく倒れこんだ。

 自分が強く引っ張ったせいだ、と優は慌てて倒れこんだ柚希を起こそうとする。しかし扱けた理由は優でも柚希の不注意でもなく、

「なにもないとこで、なに扱けてんのよ」

 機嫌最悪最低である羽菜の仕業だった。腕を組んで立っている羽菜の右足が故意的に一歩前に出されている。

「おまえなぁ……」

 羽菜の冷徹な声を聞いて喉まで出掛かっていた胃液さえ胃の中に戻っていく。

「女の子に腕引っ張ってもらわないと歩けもしないわけ?」

 羽菜は不機嫌に眉間にしわを寄せ、口をへの字にして、床に這い蹲っている柚希の顔面スレスレに右足を踏み出した。それはもう虫でも踏み潰すかのように。そして見下ろす。

「はぁ? おまえなぁ、朝っぱらか……」

「なによ」

 柚希は羽菜を見上げて、ぶったまげた。

「おまえ、その髪」

「なに? 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

「なんでツルンテールにしてんだ?」

「ツインテール!」

 羽菜は珍しく髪を二つに高々と結んできていた。柚希はそれを見て、

「ははぁん。分かったぜ、羽菜」

 そう自信満々に言うと目を細めた。

「わ、分かったって、なにがよ?」

「おまえの気持ちはよーく分かった」

 柚希は立ち上がって羽菜の目前に立つ。

「え? ちょ、なに言って、勘違いしな……」

「そんなに俺が気に食わねえのか!」

「……は?」

「だってそれ、昨日の俺の髪型だろ? それをわざわざしてきたっつーことは、あれだ。あてつけとしか思えねえ」

 羽菜は何も言わずに拳を握り締めている。それを見た柚希は思った。

「ほれみろ。図星だろ?」

 図星だから何も言えないんだろう、と柚希は勝手に確信していた。

 羽菜の考えを見抜いた。自分の予想はやはり外れていなかった。的中しすぎて反論も出来ないんだな!

 勝ち誇った顔をする。今の自分がちょっとかっこよく思えてきた。

 柚希は完璧調子にのっていた。腹が減っている。よって今の彼は考える力が低下している。すなわち今の自分が危険だということに気づいていない。

 羽菜に沸々と怒りがみなぎっていることに気づいていなかったのだ……。

「なによ、なによ、なによ!」

「な、なんだよ?」

 急に大声を出され、柚希は羽菜の迫力に圧されて尻餅つく。羽菜の大きく真っ黒な瞳には赤い怒りの炎が燃え上がっていた。

「バラしてやる。バラしてやるんだから!」

「え!? ちょっと待て! 早まるなって!」

「あんたが、あんたがぁ……」

「ごめんなさい、ごめんなさい。もうしません。言いません」

 柚希はおでこを床に擦り付けて土下座する。

「あんたが昨日着てたコスプレ、バラすわよ」

「え? そっち?」

「そっちってどっちよ? ああ、あっちの方をバラして欲しいの?」

「違います、違います。ごめんなさい。もう反論しません」

 腕を組んで柚希の前に仁王立ちし、あからさまにイライラした顔と声色をしている羽菜と、そんな羽菜の足下で必死に赤くなるまで額を床に打ち付けて謝り続ける柚希。

 誰が見ても普通じゃなかった。

 優はその異様な光景を唖然として見つめ、しかしどうしても気になって、

「コスプレって? なんのなんの?」

 勇気を振り絞り、会話に入り込んだ。

「家政婦のコスプレよ」

「メイドだ!」

「メイドぅ? 柚希ちゃん、メイド服着たの? 着たのっ?」

 優は爛爛と目を光らせ、柚希を直視する。

「あ」

 自分で暴露してしまった柚希である。

「なんでメイド服着たの? ああっ、分かった! もう、柚希ちゃんったらあっ」

「いだい! 優ちゃん、ちょ! あだ!」

 柚希は何も答えていない。勝手に解釈した優は頬を赤くして柚希の背中をバシバシ叩いている。手加減なし、で。

 床に倒れこんだ柚希を眺めながら、羽菜は大層ご機嫌斜めだった。

「ふん。あんたなんか襲われちゃえばいいのよ」

 そう吐き捨てて、すたすたとその場を去っていった。

「は、はぁ?」

 襲われるって誰に? と思った柚希は楓の顔が浮かび上がった。また胃液が逆流してくる。

「優ちゃん……そろそろ勘弁して」

「あ、いっけない! ごめんねっ。大丈夫?」

 優は舌を出して笑う。そして柚希に手を貸して立ち上がらせた。

「わけわかんねえ。なに怒ってんだよ、あいつ」

 柚希は機嫌の悪さが後姿からでも分かる、羽菜の背中を眺めながら呟いた。

「さっきの羽菜ちゃんの方だっけ? 柚希ちゃん仲良しなの?」

「はぁあああああ? 誰が、あんなやつと! 仲良しなんかじゃないない! 絶対ない!」

「あれっ? そうなの? 仲良しなのかと思ったんだけどなぁ。じゃあ、どういう繋がり?」

「どういうって……うーん」

 柚希は改めて訊かれると非常に困った。弱みを握られているせいで上下関係を強いられている。それでは友達とは言えない気がする。

「ど、奴隷、かな?」

 柚希は苦笑しながら馬鹿正直に答えた。それしか思いつかなかったのだ。

「奴隷!?」

 優の驚いた顔を見て、言ったことを早くも後悔する。

「いやいやぁ、奴隷みたいな友達って意味ぃ?」

「柚希ちゃん……」

 優は目を潤ませて勢いよく柚希に抱きついた。予想外のことに柚希は赤面する。柔らかいものが自分の平らな胸にあたった。更に赤面する。

「わっ。いきなり、ななな、なに!?」

「気づかなくてごめんねっ! 教科書に落書きされたり、モップで顔拭かれたり、机投げ捨てられたり、トイレに落ちたおにぎり無理矢理食べさせたりしてない? 大丈夫?」

「……はぃい?」

 柚希は思った。やはり言わなきゃよかった、と。

「私は柚希ちゃんの味方だからね! 情報力に勝るものはないんだからっ!」

「あはは……ありがとう。お気持ちだけで十分です」

 何のテレビに影響されてんだ、彼女は……。

 優は柚希がいじめられている、と思っていた。抱きついたまま慰めの言葉を必死にかけている。

 柚希は抱き締めるわけにもいかず、両手を腰の近くで浮遊させたまま困り果てていた。息が苦しくなるのは何でだろう。顔が熱くなるのは何でだろう。さっきから接触部分に感じる、やたら柔らかいものが気になるのは……いやいや。

 今までそんなことを考えたこともなかった。意識したこともなかったはずだ。

 柚希は首を左右に振って、その思案を打ち消す。

「柚希ちゃんをいじめるなんてひどい」

「いや、だからぁ、いじめられてないんだってば」

 あれ? そうなの?

 柚希は自分の発言に疑問を抱いた。羽菜の柚希に対する態度は、第三者から見ればいじめに近いものがある。しかし当の本人はいじめだとは思っていなかった。姉達の扱いで慣れているせいか、それとも……。

 柚希にとってはそれが日常になりつつあったのだ。

「だ、大丈夫だから。な? ほら、早く掲示板見に行こうぜ」

 柚希は掲示板を指差す。有難いことに人ごみは減っていた。

 優は渋々頷いて体を離す。柚希はほっとした。牛乳を買う時間は誰かさんのせいでなくなっていたが。

 柚希は深く重いため息をつくと肩をがっくり落とし、優に引っ張られながら掲示板の前に向かった。


 その掲示板に貼りだされていたものを見て、柚希は鞄を床に落とす。

 驚きを通り越して目が豆粒ように点になっている。口は開きっぱなしだ。そして、あわ、あわ、と意味不明な言葉を言っている。

 そんな柚希を見て優はくすくす笑っていた。



『本校の合併について』


 (前略)


 ――絆で結ばれている姉妹校の南山学園と合併し、共学へ移行します。


 つきましては、本日の午前の授業を短縮授業で行い、午後の授業を廃止して南山学園との合同集会を行います。


 (後略)



 張り出されていたものにはこんなことが記されていた。

「合併して共学だとおおおおお!?」

 柚希は叫ばずにはいられなかった。

 あまりに唐突すぎ展開である。生徒に何の予告もせず、合併とは何事か。

「噂では聞いてたけど、やっぱりって感じだよ。ねっ?」

 優が笑顔で同意を求める。

 ねっ? じゃねえ! んな噂知るかっつーの!

 確証はなくとも風の噂程度にみんな最初から知っていたんだろうか。その場で大げさに驚いていたのは柚希だけである。

 むしろ女子生徒達はきゃっきゃっ黄色い声をあげて騒いでいた。

「みんな大騒ぎだね。南山学園ってかっこいい人多いから騒ぐ気持ちも分かるけど」

 優が周囲を見回しながら漏らす。

 南山学園は北山学園の姉妹校であり、男子校である。つまり女子校である北山学園と合併し、共学に移行するということらしい。

 地獄だ……まさに、地獄だ……。

 今後は女の前のみならず、男の前でもこの女子高生もどきでいなければならなくなる。絶望的だった。

 脳内に枯れ果てた砂漠に倒れこんだ自分の映像が浮かぶ。それぐらい絶望的だった。


 一方、羽菜は廊下から聞こえる柚希の悲鳴を背景に不機嫌を加速させていた。自分の席に座って頬杖をつき、窓の外を睨みつけていた。

「今日珍しく髪結んでるよね」

「あ、本当だ」

「朝日さんって可愛いけど……ねえ?」

「あーうん。性格でしょ?」

 窓際で雑談を交わしている女子生徒数人の視線が羽菜に注がれる。

 羽菜は視線に気づくと一睨みした。会話は全部聞こえていたが、反論はしなかった。他人の評価なんてどうでもよかった。

「あ、あれ」

「姉の方だっけ? 朝日羽菜の方?」

「違うよ。陽菜の方でしょ?」

「優しそうな方が陽菜の方だよね」

 酷似している自分達双子を区別する単語は、いつも決まって『優しそうな方と意地悪そうな方』だった。そんな『優しそうな方』が髪をバッサリ切ってきていることを女子生徒たちは話題に話している。

 可愛いよね、とか、似合ってるよね、とか、いつもなら気にも留めないのに今日は何故かむかついた。

 陽菜が髪を切った理由は知らない羽菜だったが、大体予想はついていた。

 柚希に傘を借りてきたあたりから陽菜は浮かれているのだ。

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