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第5話 効率のいい一日

朝、目を覚ましたとき。


 胸の奥は、静かだった。


 点灯はない。

 あの、無言の促しもない。


 ――能力は、出ない。


 分かっていた。

 昨夜、俺は選ばないと決めたのだから。


 身体を起こす。


 重い。


 昨日まで感じていた、

 説明のつかない軽さがない。


 頭の中に、

 小さな引っかかりが残る。


 考えが、

 言葉になるまで、ほんの一拍遅れる。


「……不便だな」


 それだけのことなのに、

 胸の奥がざわついた。


 ミメルは、寝台の端で丸くなっている。

 昨日と同じ場所。


 けれど、

 今朝は少し遠く感じた。


 距離がある、というより――

 頼れない。



 ギルドへ向かう道。


 人の流れが、やけに多い。

 避ける判断が、遅れる。


 肩がぶつかった。


「あ、すみません」


 謝った声が、

 思ったより小さかった。


 掲示板の前に立つ。


 依頼は、昨日と同じように並んでいる。

 危険度、報酬、期限。


 なのに。


 どれを選ぶべきか、即座に分からない。


 視線が、迷う。


 昨日までなら、

 一瞬で整理できていた。


 それが、できない。


 ――能力が、ない。


 その事実が、

 はっきりと胸に落ちる。


「トオル?」


 声をかけてきたのは、リナだった。


「今日は、まだ決まらないんですか」


「……少し」


 そう答えながら、

 俺は紙を一枚、剥がした。


 街中の荷運び。

 危険なし。

 報酬、低。


 昨日の俺なら、

 確実に選ばなかった依頼。


 でも今日は、

 これ以上、迷えなかった。



 荷運びは、単純だった。


 箱を持ち、

 指定された場所に置く。


 それだけ。


 なのに、

 時間がかかる。


 順番を考え、

 置き場を確認し、

 一つ一つ判断する。


 汗が滲む。


 呼吸が、少し荒れる。


「……遅いな」


 背後で、誰かが言った。


 振り返ると、

 同じ依頼を受けた冒険者が、

 もう半分以上を終えている。


 迷いのない動き。

 無駄のない判断。


 昨日までの俺は、

 きっと、あちら側だった。


 胸が、

 はっきりと痛んだ。


 ――効率のいい一日。


 それは、

 能力がある日のことだ。


 昼。


 一人で、パンを齧る。


 昨日、捨てたはずの記憶と、

 よく似た光景。


 それなのに、

 今日はやけに長く感じる。


 周囲の会話が、

 そのまま耳に入ってくる。


 誰かの笑い声。

 誰かの愚痴。


 昨日までは、

 雑音として切り捨てられたもの。


 今は、切れない。


 全部が、引っかかる。


「……面倒だな」


 そう思った瞬間、

 自分に驚いた。


 面倒だと感じたのは、

 人の声だった。


 能力がないと、

 世界はうるさい。


 午後。


 依頼は、ようやく終わった。


 報酬を受け取り、

 ギルドに戻る。


 レイナが、記録を取っていた。


「……今日は、どうでしたか」


 問いは、柔らかい。


「……遅かったです」


 正直に答えた。


 レイナは、ペンを止める。


「不便でしたか」


「……はい」


 即答だった。


 それから、少し間を置いて。


「でも」


 言葉を探す。


「……残りました」


 レイナは、何も言わない。

 ただ、待っている。


「効率が悪いと、

 周りが見えます」


 声が、少し震えた。


「昨日までなら、

 見なくてよかったものが……」


 言葉が詰まる。


「今日は、

 見えました」


 レイナは、ゆっくり頷いた。


「それは、

 弱さですか」


 答えは、すぐに出なかった。


 夜。


 部屋に戻る。


 胸の奥は、

 今日も静かなままだ。


 ――眠る前に、記憶をひとつ選べ。


 その声が来ないことに、

 少しだけ、安心する。


 ミメルが、足元に来て座る。


 今日は、胸元には来ない。


 距離がある。


 でも、

 視線は外さない。


「……なあ」


 ミメルに話しかける。


「能力がないと、

 俺は弱いな」


 返事はない。


 それでも、

 ミメルは動かなかった。


 今日を振り返る。


 遅くて、

 疲れて、

 効率が悪くて。


 でも。


 人にぶつかって、謝った。

 誰かの声を聞いた。

 一人で食べた昼を、長く感じた。


 全部、昨日までなら削っていた一日だ。


 ベッドに横になる。


 今日は、能力がなかった。


 そのせいで、

 俺は弱かった。


 でも。


 能力がなければ、

 今日という一日は、

 最初から存在しなかった気がする。


 ミメルが、

 ほんの少しだけ距離を詰める。


 触れない。

 でも、離れない。


 俺は、はっきりと自覚した。


 効率がいいだけの日は、

 俺が生きた日じゃない。


(第5話・了)

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― 新着の感想 ―
能力を使わないことで初めて「生きた実感」を描いた回で、とても印象的。これまでの効率重視の描写との対比が鮮やかで、便利さと人間らしさのバランスのテーマがより深まった。
能力がないことで、世界が急にうるさくなる描写が秀逸。 迷い、遅れ、疲れる一日なのに、「生きている」という感覚だけがはっきり残る。 ミメルとの距離感の変化が、とても切ないです。
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