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第4話 余った思い出

掲示板の前で、俺は足を止めていた。


 依頼の紙はいつも通り貼られている。

 危険度、報酬、期限。

 見慣れた項目。


 その中に、ひとつだけ、

 数字で測れない依頼があった。


 ――思い出の品の回収。


 行方不明になった冒険者の私物を、

 廃屋から回収してほしい。


 危険度は低。

 報酬も平均的。


 合理的に考えれば、

 選ばない理由はない。


 それなのに、

 その紙から目が離れなかった。


「……」


 理由は分からない。

 分からないまま、手が伸びていた。



 廃屋は、街道から外れた丘の上にあった。


 壁は崩れ、屋根は落ち、

 人が住んでいた形跡だけが残っている。


 同行者はいない。

 単独で十分だと判断した。


 ――判断が、早すぎる。


 扉を押すと、

 乾いた音と共に埃が舞った。


 その瞬間、

 頭の中で何かが整列する。


 床の沈み。

 柱の角度。

 踏んではいけない場所。


 考える前に、身体が動く。


 避ける。

 跨ぐ。

 距離を測る。


 迷いが、存在しない。


「……」


 助かっている。

 確実に。


 なのに、

 心臓の音が、どこか遠い。


 昨日捨てた、

 「一人で食べた昼食」の記憶。


 あんなに薄い思い出が、

 ここまで作用するとは思っていなかった。


「……強すぎるだろ」


 呟いてから、気づく。


 怖い、という感情が、

 まだ来ていない。



 奥の部屋に、小さな箱があった。


 中身は、

 手紙、木彫りの人形、擦り切れた手帳。


 高価なものは何ひとつない。


 だが、

 捨てられずに残っていた。


 手帳を開く。


 ほとんど白紙。

 数ページだけ、雑な文字。


 ――今日は失敗した。

 ――でも、帰る場所はある。

 ――明日は、ちゃんと話そう。


 胸の奥が、微かに軋む。


 理由は分からない。

 困るほどでもない。


 それでも、

 ページを閉じられなかった。


 そのとき、床が沈んだ。


 罠だと認識した瞬間、

 身体はすでに跳んでいた。


 完璧な回避。


 ……完璧すぎる。


 着地してから、

 ようやく呼吸が乱れる。


「……遅い」


 恐怖が、

 判断のあとから追いついてくる。


 この順番は、おかしい。


 外に出ると、夕暮れだった。


 ミメルが、いつの間にか肩にいる。


 軽い。

 だが、昨日とは違う。


 体温がある。

 生き物として、そこにいる。


「……お前、」


 言葉を探す。


 ミメルの耳が、

 ほんの少しだけ形を変えていた。


 進化と呼ぶには早すぎる。

 でも、確かに変わっている。


 今日は、

 あの手帳を捨てなかった。


 役に立たないからこそ、

 残した。


 ギルドに戻る。


 回収品を並べると、

 レイナは一つずつ確認した。


「……全部、ありましたか」


「はい」


 一瞬、迷う。


「……全部、ではありません」


 レイナが顔を上げる。


「書いてあることまでは、

 伝えませんでした」


 レイナは何も言わない。


 ただ、ミメルを見る。


「この子……

 昨日より、少し近いですね」


 近い。


 俺と、ミメルの距離。

 それとも――俺自身。


「能力は、使っていません」


「ええ」


 レイナは頷いた。


「だから、危なかった」


 否定しない。

 責めもしない。


 それが、重かった。


 夜。


 部屋に戻ると、

 胸の奥が点灯する。


 ――眠る前に、記憶をひとつ選べ。


 今日は、迷った。


 捨てれば、

 また楽になる。


 判断は速くなり、

 危険は減る。


 でも。


 俺は今日、

 余った思い出に触れた。


 役に立たず、

 誰にも使われず、

 それでも残っていたもの。


 俺は、今日は――

 選ばないと決めた。


 点灯は、しばらくして消えた。


 ミメルが胸元で丸くなる。

 温かい。


 その温度を、

 俺は、ちゃんと感じていた。


 明日、能力は出ない。


 それでも。


 余ったものを、

 余ったままにしておく夜があってもいい。


 そう思えたことだけが、

 今日、残った。


(第4話・了)

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― 新着の感想 ―
便利さや効率だけでは得られない、人間らしい感覚や温度を描いていて、シリーズ全体のテーマ「失うことと残すことの価値」を深める回になっていた。
数値化できない依頼が、ここまで重要になるとは思いませんでした。 “役に立たないから残した”思い出が、物語の核に触れてくる回。 能力を使わなかった一日が、こんなにも重く、温かい。
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