第4話 余った思い出
掲示板の前で、俺は足を止めていた。
依頼の紙はいつも通り貼られている。
危険度、報酬、期限。
見慣れた項目。
その中に、ひとつだけ、
数字で測れない依頼があった。
――思い出の品の回収。
行方不明になった冒険者の私物を、
廃屋から回収してほしい。
危険度は低。
報酬も平均的。
合理的に考えれば、
選ばない理由はない。
それなのに、
その紙から目が離れなかった。
「……」
理由は分からない。
分からないまま、手が伸びていた。
*
廃屋は、街道から外れた丘の上にあった。
壁は崩れ、屋根は落ち、
人が住んでいた形跡だけが残っている。
同行者はいない。
単独で十分だと判断した。
――判断が、早すぎる。
扉を押すと、
乾いた音と共に埃が舞った。
その瞬間、
頭の中で何かが整列する。
床の沈み。
柱の角度。
踏んではいけない場所。
考える前に、身体が動く。
避ける。
跨ぐ。
距離を測る。
迷いが、存在しない。
「……」
助かっている。
確実に。
なのに、
心臓の音が、どこか遠い。
昨日捨てた、
「一人で食べた昼食」の記憶。
あんなに薄い思い出が、
ここまで作用するとは思っていなかった。
「……強すぎるだろ」
呟いてから、気づく。
怖い、という感情が、
まだ来ていない。
*
奥の部屋に、小さな箱があった。
中身は、
手紙、木彫りの人形、擦り切れた手帳。
高価なものは何ひとつない。
だが、
捨てられずに残っていた。
手帳を開く。
ほとんど白紙。
数ページだけ、雑な文字。
――今日は失敗した。
――でも、帰る場所はある。
――明日は、ちゃんと話そう。
胸の奥が、微かに軋む。
理由は分からない。
困るほどでもない。
それでも、
ページを閉じられなかった。
そのとき、床が沈んだ。
罠だと認識した瞬間、
身体はすでに跳んでいた。
完璧な回避。
……完璧すぎる。
着地してから、
ようやく呼吸が乱れる。
「……遅い」
恐怖が、
判断のあとから追いついてくる。
この順番は、おかしい。
外に出ると、夕暮れだった。
ミメルが、いつの間にか肩にいる。
軽い。
だが、昨日とは違う。
体温がある。
生き物として、そこにいる。
「……お前、」
言葉を探す。
ミメルの耳が、
ほんの少しだけ形を変えていた。
進化と呼ぶには早すぎる。
でも、確かに変わっている。
今日は、
あの手帳を捨てなかった。
役に立たないからこそ、
残した。
ギルドに戻る。
回収品を並べると、
レイナは一つずつ確認した。
「……全部、ありましたか」
「はい」
一瞬、迷う。
「……全部、ではありません」
レイナが顔を上げる。
「書いてあることまでは、
伝えませんでした」
レイナは何も言わない。
ただ、ミメルを見る。
「この子……
昨日より、少し近いですね」
近い。
俺と、ミメルの距離。
それとも――俺自身。
「能力は、使っていません」
「ええ」
レイナは頷いた。
「だから、危なかった」
否定しない。
責めもしない。
それが、重かった。
夜。
部屋に戻ると、
胸の奥が点灯する。
――眠る前に、記憶をひとつ選べ。
今日は、迷った。
捨てれば、
また楽になる。
判断は速くなり、
危険は減る。
でも。
俺は今日、
余った思い出に触れた。
役に立たず、
誰にも使われず、
それでも残っていたもの。
俺は、今日は――
選ばないと決めた。
点灯は、しばらくして消えた。
ミメルが胸元で丸くなる。
温かい。
その温度を、
俺は、ちゃんと感じていた。
明日、能力は出ない。
それでも。
余ったものを、
余ったままにしておく夜があってもいい。
そう思えたことだけが、
今日、残った。
(第4話・了)




