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第2話 便利じゃない方が、よかった

ギルドの掲示板の前には、朝から人が集まっていた。


 紙が何枚も重ねて貼られ、端が少し反っている。

 依頼内容、報酬、期限。

 どれも簡潔で、無駄がない。


 俺はその前に立ちながら、少しだけ距離を取って眺めていた。


 ――読むのが、早すぎる。


 文字を目で追うというより、意味が先に入ってくる。

 依頼の危険度。

 人手の要不要。

 割に合うかどうか。


 頭の中で、勝手に仕分けが始まっている。


 これは危険。

 これは時間がかかる。

 これは効率がいい。


 便利だ。

 昨日より、確実に。


「……トオル」


 名前を呼ばれて、顔を上げる。


 レイナだった。

 手には、数枚の書類。


「この依頼、見ましたか」


 彼女が指差したのは、掲示板の端に貼られた一枚だった。


 《農村・水路修復補助》

 報酬:少

 危険度:低

 期限:三日


 俺は一瞬で内容を把握する。


「人手が足りない、ですね」


「ええ。モンスターではなく、ただの老朽化です」


 レイナはそう言ってから、少し間を置いた。


「……向いていると思いますか?」


 質問の形をしているが、答えを急かしていない。

 彼女は、俺の反応を見るように立っていた。


 俺は、すぐに頷いた。


「向いてます。

 人手作業で、危険も少ない。

 時間内に終わります」


 言い切ってから、気づく。


 “向いている”のは、依頼か。

 それとも――俺か。


 レイナは、わずかに眉を動かした。


「……そうですか」


 否定はしない。

 だが、肯定の温度も低い。


「では、お願いします」



 農村までは、歩いて半日ほどだった。


 道は整っているが、途中からぬかるみが増える。

 ミメルは、俺の肩に乗っていた。

 昨日より、少しだけ安定している。


 道中、何度か休憩を挟む。

 そのたびに、俺は無意識に時間を計っていた。


 何分歩いた。

 何分休んだ。

 予定との差分。


 効率よく進んでいる。

 問題はない。


 ――問題は、ない。


 農村に着くと、数人の住民が集まってきた。

 年配の男。

 痩せた女。

 泥だらけの子ども。


「ギルドから来てくれたのか」


「はい。水路の修復ですね」


 言葉が早い。

 説明も簡潔。


 男は何度も頭を下げた。


「助かります。本当に……」


「三日もかかりません」


 その言い方に、男の動きが一瞬止まった。

 俺は気づかない。


 作業は順調だった。


 壊れた石をどかし、

 水の流れを変え、

 仮の補強を入れる。


 体はきつい。

 だが、判断に迷わないぶん、無駄な疲労がない。


 昼過ぎには、目処が立った。


「早いな……」


 村人が呟く。


「これで、明日には水が戻ります」


 俺はそう言った。

 事実だった。


 事実だから、問題ない。


 ――はずだった。


 そのとき、子どもが水路の縁に立った。


 足元が滑りやすい。

 俺の視界に入る。


 危険度:低。

 今すぐ止める必要:なし。


 そう判断した、その直後。


 石が、ずれた。


 ほんのわずか。

 でも、十分だった。


「っ――!」


 子どもが足を取られ、水路に落ちる。


 俺は反射的に動いた。

 判断が速い。

 手を伸ばし、引き上げる。


 結果だけ見れば、完璧だった。


 子どもは無事。

 怪我もない。


 だが。


 引き上げられた子どもは、泣かなかった。

 代わりに、固まっていた。


 俺の腕の中で、小さく震えている。


「……大丈夫だ」


 そう言った。

 声は低く、落ち着いていた。


 落ち着きすぎていた。


 母親が駆け寄る。


「ごめんなさい……!」


 俺は首を振る。


「問題ありません。

 怪我もありませんし、作業も続けられます」


 正しい。

 合理的。

 最短。


 ――その場の空気が、凍った。


 母親は子どもを抱きしめたまま、何も言わない。

 村人たちの視線が、少しだけ離れる。


 俺は、それに気づくのが遅れた。


 ミメルが、肩の上で身じろぎした。

 いつもより落ち着きがない。


 作業は終わった。

 水路は仮復旧し、水は流れ始める。


 成果としては、十分だ。


「助かりました」


 村の男が言う。

 だが、声に温度がない。


「……いえ」


 それ以上、何も言葉が続かなかった。



 帰り道。


 夕方の光が、地面を斜めに照らす。

 ミメルは、ずっと黙っている。


 俺は歩きながら、頭の中で作業を振り返っていた。


 判断は正しかった。

 結果も出た。

 被害はない。


 なのに、胸の奥に、ざらつきが残っている。


「……」


 その違和感を、言葉にできない。


 ギルドに戻ると、レイナが待っていた。


「おかえりなさい」


「依頼は完了しました」


「……何か、ありましたか」


 彼女は、こちらを見て言った。

 結果ではなく、俺を見て。


「特には」


 即答した。

 その即答が、さらに違和感を生む。


 レイナは一拍、間を置いた。


「……そうですか」


 そして、続けた。


「でも、

 今日は少しだけ――

 人を“処理”しているように見えました」


 言葉は静かだった。

 責めていない。

 ただ、事実を置いたような言い方。


 胸の奥が、かすかに痛んだ。


「……正しいことは、しました」


「ええ。

 正しかったと思います」


 レイナは頷く。


「だからこそ、です」


 その続きを、彼女は言わなかった。



 夜。


 部屋に戻り、寝台に腰を下ろす。

 ミメルが、珍しく俺の手元に来た。


 胸の奥が、点灯する。


 ――眠る前に、記憶をひとつ選べ。


 今日の出来事が浮かぶ。


 落ちた子ども。

 震える肩。

 母親の顔。


 捨てれば、明日はもっと上手くできる。

 迷いも、遅れもなく。


 それは、たぶん本当だ。


 俺は、しばらく目を閉じたまま考えた。


「……今日は」


 言葉を区切る。


「今日は、捨てない」


 点灯が、弱くなる。

 完全には消えない。


 ミメルが、俺の指に額を押し当てた。

 その温度が、少しだけはっきりしている。


 布団に横になる。


 今日の選択は、正しかったのか。

 それとも、ただ遅れただけなのか。


 分からない。


 でも、ひとつだけ分かったことがある。


 便利であることは、優しいこととは違う。


 そして――。


 その違いに気づけなくなるのが、

 この力の一番の怖さなのかもしれない。


 俺は、目を閉じた。


(第2話・了)

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― 新着の感想 ―
第1話よりもテーマがはっきり立ち上がってきて、とても良かったです。「正しさ」と「優しさ」がズレていく瞬間を、事故→対応→空気の冷えで静かに描いたのが秀逸でした。
“便利さ”が人を救う一方で、他人の感情を見落とす回。 事故の描写を劇的にせず、「結果は正しい」という事実だけを残す構成が残酷でした。 母親の沈黙が、何よりも重い。
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