第2話 便利じゃない方が、よかった
ギルドの掲示板の前には、朝から人が集まっていた。
紙が何枚も重ねて貼られ、端が少し反っている。
依頼内容、報酬、期限。
どれも簡潔で、無駄がない。
俺はその前に立ちながら、少しだけ距離を取って眺めていた。
――読むのが、早すぎる。
文字を目で追うというより、意味が先に入ってくる。
依頼の危険度。
人手の要不要。
割に合うかどうか。
頭の中で、勝手に仕分けが始まっている。
これは危険。
これは時間がかかる。
これは効率がいい。
便利だ。
昨日より、確実に。
「……トオル」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
レイナだった。
手には、数枚の書類。
「この依頼、見ましたか」
彼女が指差したのは、掲示板の端に貼られた一枚だった。
《農村・水路修復補助》
報酬:少
危険度:低
期限:三日
俺は一瞬で内容を把握する。
「人手が足りない、ですね」
「ええ。モンスターではなく、ただの老朽化です」
レイナはそう言ってから、少し間を置いた。
「……向いていると思いますか?」
質問の形をしているが、答えを急かしていない。
彼女は、俺の反応を見るように立っていた。
俺は、すぐに頷いた。
「向いてます。
人手作業で、危険も少ない。
時間内に終わります」
言い切ってから、気づく。
“向いている”のは、依頼か。
それとも――俺か。
レイナは、わずかに眉を動かした。
「……そうですか」
否定はしない。
だが、肯定の温度も低い。
「では、お願いします」
*
農村までは、歩いて半日ほどだった。
道は整っているが、途中からぬかるみが増える。
ミメルは、俺の肩に乗っていた。
昨日より、少しだけ安定している。
道中、何度か休憩を挟む。
そのたびに、俺は無意識に時間を計っていた。
何分歩いた。
何分休んだ。
予定との差分。
効率よく進んでいる。
問題はない。
――問題は、ない。
農村に着くと、数人の住民が集まってきた。
年配の男。
痩せた女。
泥だらけの子ども。
「ギルドから来てくれたのか」
「はい。水路の修復ですね」
言葉が早い。
説明も簡潔。
男は何度も頭を下げた。
「助かります。本当に……」
「三日もかかりません」
その言い方に、男の動きが一瞬止まった。
俺は気づかない。
作業は順調だった。
壊れた石をどかし、
水の流れを変え、
仮の補強を入れる。
体はきつい。
だが、判断に迷わないぶん、無駄な疲労がない。
昼過ぎには、目処が立った。
「早いな……」
村人が呟く。
「これで、明日には水が戻ります」
俺はそう言った。
事実だった。
事実だから、問題ない。
――はずだった。
そのとき、子どもが水路の縁に立った。
足元が滑りやすい。
俺の視界に入る。
危険度:低。
今すぐ止める必要:なし。
そう判断した、その直後。
石が、ずれた。
ほんのわずか。
でも、十分だった。
「っ――!」
子どもが足を取られ、水路に落ちる。
俺は反射的に動いた。
判断が速い。
手を伸ばし、引き上げる。
結果だけ見れば、完璧だった。
子どもは無事。
怪我もない。
だが。
引き上げられた子どもは、泣かなかった。
代わりに、固まっていた。
俺の腕の中で、小さく震えている。
「……大丈夫だ」
そう言った。
声は低く、落ち着いていた。
落ち着きすぎていた。
母親が駆け寄る。
「ごめんなさい……!」
俺は首を振る。
「問題ありません。
怪我もありませんし、作業も続けられます」
正しい。
合理的。
最短。
――その場の空気が、凍った。
母親は子どもを抱きしめたまま、何も言わない。
村人たちの視線が、少しだけ離れる。
俺は、それに気づくのが遅れた。
ミメルが、肩の上で身じろぎした。
いつもより落ち着きがない。
作業は終わった。
水路は仮復旧し、水は流れ始める。
成果としては、十分だ。
「助かりました」
村の男が言う。
だが、声に温度がない。
「……いえ」
それ以上、何も言葉が続かなかった。
*
帰り道。
夕方の光が、地面を斜めに照らす。
ミメルは、ずっと黙っている。
俺は歩きながら、頭の中で作業を振り返っていた。
判断は正しかった。
結果も出た。
被害はない。
なのに、胸の奥に、ざらつきが残っている。
「……」
その違和感を、言葉にできない。
ギルドに戻ると、レイナが待っていた。
「おかえりなさい」
「依頼は完了しました」
「……何か、ありましたか」
彼女は、こちらを見て言った。
結果ではなく、俺を見て。
「特には」
即答した。
その即答が、さらに違和感を生む。
レイナは一拍、間を置いた。
「……そうですか」
そして、続けた。
「でも、
今日は少しだけ――
人を“処理”しているように見えました」
言葉は静かだった。
責めていない。
ただ、事実を置いたような言い方。
胸の奥が、かすかに痛んだ。
「……正しいことは、しました」
「ええ。
正しかったと思います」
レイナは頷く。
「だからこそ、です」
その続きを、彼女は言わなかった。
*
夜。
部屋に戻り、寝台に腰を下ろす。
ミメルが、珍しく俺の手元に来た。
胸の奥が、点灯する。
――眠る前に、記憶をひとつ選べ。
今日の出来事が浮かぶ。
落ちた子ども。
震える肩。
母親の顔。
捨てれば、明日はもっと上手くできる。
迷いも、遅れもなく。
それは、たぶん本当だ。
俺は、しばらく目を閉じたまま考えた。
「……今日は」
言葉を区切る。
「今日は、捨てない」
点灯が、弱くなる。
完全には消えない。
ミメルが、俺の指に額を押し当てた。
その温度が、少しだけはっきりしている。
布団に横になる。
今日の選択は、正しかったのか。
それとも、ただ遅れただけなのか。
分からない。
でも、ひとつだけ分かったことがある。
便利であることは、優しいこととは違う。
そして――。
その違いに気づけなくなるのが、
この力の一番の怖さなのかもしれない。
俺は、目を閉じた。
(第2話・了)




