第32話 屈辱を味わうことがないように。
帝都にあるカルゼラード家の別邸。
その地下室に、新たな歴史が刻まれようとしていた。
部屋の中央には、祭壇のように鎮座する『転移の座標石』と、そこにはめ込まれた『界渡りの羅針盤』。
ミリアが最後の術式調整を終え、緊張した面持ちで振り返る。
「……準備完了しました、ラギウス様。座標固定、カルゼラード領『地下第一工房』。……接続します!」
彼女が魔力を流し込むと、二つの古代遺物が共鳴し、空間がねじ切れるような音を立てた。
光が渦を巻き、やがて安定した楕円形の「ゲート」が形成される。
その向こう側から漂ってきたのは、帝都の埃っぽい空気ではない。
鉄と油、そして懐かしい土の匂い。
「──若様! おお、本当に繋がりましたぞ!」
ゲートの向こうから、家老のヴォルグが顔を出した。
その後ろには、山積みになった木箱と、忙しく働く領民たちの姿が見える。
「うむ。感度は良好だな」
ラギウスは満足げに頷いた。
帝都と辺境。馬車で数日かかる距離が、今、「徒歩0秒」になったのだ。
「ヴォルグ、例のブツは?」
「はっ! 第一ロット、完成しております!」
ヴォルグの合図で、作業員たちが次々と木箱をゲート越しに運び込んでくる。
箱が開けられると、中には銀色に鈍く輝く盾がぎっしりと詰まっていた。
『ジュラルナ合金製・制式盾』。
夏休みに開発した「物理・魔法耐性合金」を、領地の工場で大量生産したものだ。
「……これが、貴方の狙いだったのですね」
その光景を見ていたイリスディーナが、呆然と呟く。
「この盾は、魔法攻撃を拡散させる性質を持っています。これを帝国の一般兵に配備すれば……」
「ああ。魔王軍の主力である『魔法攻撃』に対する生存率が、劇的に向上する」
魔王軍。
プレイヤーに対しては、物語が始まってから……要するに、まだ勇者が旅立っていない現状では、出てこないはずの情報。
しかし、皇女であるイリスディーナには、ある程度の情報が備わっているようだ。
ラギウスは盾を一枚手に取り、コンコンと叩いた。
「これまでの帝国軍は、強力な魔物や魔法使いを相手にすると、一部のエリート騎士以外はただの的だった。だが、この盾があれば、一般兵でも『壁』になれる」
戦線の維持能力が跳ね上がるのだ。
それは、帝国の国防力が底上げされることを意味する。
「素晴らしい……! 貴方は、帝国の未来と兵士たちの命を守るために、ここまで……!」
イリスディーナが瞳を潤ませて感動している。
マリアベルも「流石は私の王子様!」と熱い視線を送っている。
……だが。
ラギウスの内心は、そんな高尚なものではなかった。
(これで、ケガ人も減るだろう)
彼の思考はあくまでドライだ。
帝国のため。ではない。
帝国の貴族としてだ。
名誉を汚されて終わるのが本来のラギウスであり、それに屈辱を感じたから始まったのが、ここまでの計画だ。
貴族が、屈辱を受ける未来をそのままにして生きるなど、彼の価値観ではありえない。
それによっておこる評価は関係ない。
絶対自我を持つ彼にとって、『他人からの評価』で揺らぐことはない。
あくまでも、自分本位だ。
ただ、それだけのことだ。
「それに、これを見ろ」
ラギウスは、盾の入っていた木箱の隙間から、別の包みを取り出した。
中に入っていたのは──新鮮な野菜と、領地特産の果物。
「物流ラインの確立により、帝都にいながら領地の新鮮な食材が手に入る。……今日の夕食は、実家のシチューだ」
「……え? そっちが本命ですの?」
マリアベルがずっこける。
『呪具』による武力。
『ジュラルナ合金』による経済力と軍事貢献。
『転移ゲート』による物流支配。
これら全てが揃った今、ラギウス・フォン・カルゼラードの地盤は盤石となった。
皇帝ですら、もはや彼を無視できない。いや、彼の機嫌を損ねれば、帝国の盾(ジュラルナ供給)が止まるため、丁重に扱わざるを得ないだろう。
「……完璧だ」
ラギウスは、ゲートの輝きを見つめながら独りごちる。
勇者が魔王を倒すかどうかなんて、不確定要素に頼る必要はない。
勇者が負けても、帝国が滅びないだけの「システム」を、自分が作ってしまえばいい。
──世界を救うつもりはない。
ただ、自分が生き残るために、世界を『管理』するだけだ。
「さて、皆の者」
ラギウスは振り返る。
そこには、最強の皇女イリスディーナ、傾国の令嬢マリアベル、天才技師ミリア、そして最強の執事シライシが控えている。
本来のシナリオには存在しなかった、ラギウスのためだけの最強パーティ。
「第一段階は終了だ。……これより、我々の『快適な学園生活』を守るための、第二段階へと移行する」
窓の外、帝都の空には、まだ見ぬ脅威──魔王軍の影が微かに近づいているかもしれない。
だが、今の彼らに悲壮感はない。
なぜなら、この世界には「平均」という名の怪物が、すでに盤面を支配しているのだから。
「ついてこれるか?」
その問いに、少女たちは力強く頷き、シライシは恭しく一礼した。




