表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/32

第31話 絶対自我がもたらすルール

 『時の揺り籠』。

 奈落の時計塔の最深部、直径百メートルを超える巨大なドーム状の空間は、静寂と轟音が同居する異様な聖域だった。


 中央に鎮座する巨大な砂時計。その台座に幾重にもとぐろを巻き、侵入者を冷徹な眼光で射抜く巨躯。


 『時を喰らう大蛇(クロノス・サーペント)』。


 白い骨格と黄金の歯車が噛み合い、動くたびに「ギチチ……」と空間を削るような駆動音を響かせる。


 その胸部、半透明のミスリル装甲の奥では、脈動する星のような青い輝き──『界渡りの羅針盤』が、この塔の全機能を司る心臓として収まっていた。


「……ッ、これが、伝説の……」


 イリスディーナが剣を構えたまま、一歩後ずさる。

 立ち込める魔力のプレッシャーが、物理的な質量となって肌を刺す。レベル30に満たない彼女たちにとって、レベル90の守護者は、直視するだけで精神を削られる絶望そのものだった。


「気圧されるな」


 ラギウスの声が、凍り付いた空気の中を静かに、だが絶対的な確信を持って通った。


 彼は懐中時計を高く掲げ、自分たちを包む「正常な時間」の結界を維持しながら、全員を見渡す。


「これより『外科手術』を開始する。戦おうとするな。俺が指定した『作業』を、指定した『タイミング』で、正確に遂行しろ。……それだけで、この怪物は鉄屑に変わる」


 その冷静さが、少女たちの心に「勝機」という名の楔を打ち込んだ。


 ★


 最初の一手は、マリアベルだった。


「──『認識改竄(ジャミング・ラブ)』ッ!」


 大蛇が口を開き、すべてを風化させる『腐食の吐息』を放とうとした瞬間、マリアベルの魔眼から高密度の精神干渉波が放たれた。


 相手は機械と生物のキメラ。心はないが、高度な「演算回路」がある。マリアベルはその中枢に、強烈な「偽の安らぎ」を叩き込んだ。


(貴方は今、とても心地よい微睡みの中にいますの……。牙を剥く必要なんて、どこにもありませんわ……♡)


 ギ……ギギ……。大蛇の動きが目に見えて鈍る。敵対認識のラグ。

 攻撃を受けているという信号が処理されないため、不死身の権能である『永劫回帰』のトリガーが引かれない。


「今だ! シライシッ!」


 弾かれたようにシライシが地を蹴った。大蛇の下顎に肩を入れ、上顎を両手で掴み取る。


「ぬん……ッ!」


 バギィィィィィンッ!!

 数トンの圧力を誇る機械の顎を、シライシは自らの筋肉と骨を軋ませながら、物理的な怪力だけで封じ込めた。


「分かっている。イリス、行け!」


 イリスディーナは大蛇の胴体を駆け上がり、露出した胸部装甲の前に躍り出る。


「斬るのではない。……『溶かす』ッ!」


 『青き王火』。本来なら周囲一帯を蒸発させるその熱量を、彼女は一点の針先ほどの極小範囲にまで圧縮し、装甲の継ぎ目に押し当てた。


 ジュウウウウッ……!


 ダメージ判定を出さない、精密な溶断。


 攻撃と認識されれば即座に巻き戻される時間を、彼女の魔力制御が欺いていく。やがて、ミスリルの肋骨が音もなく溶け落ちた。


「ミリア! 手を突っ込め!」

「はいぃぃぃっ!」


 ミリアが大蛇の胸の、超高速で回転する歯車の隙間へと手を伸ばす。


 ラギウスから教え込まれた「歯車の回転周期」と「魔力接続の接点」。彼女の指先は、迷いなく死の隙間を縫った。


(三番、八番、十二番を同時解除! 今!)


 パチン、パチンと、接続が切れる火花が散る。大蛇が痙攣するが、拘束は解けない。


 ラギウスは懐中時計を握りしめ、自らの心拍をメトロノームにして、全員のタイミングを同調させ続ける。


「今だ、引き抜けッ!!」


 ガシュンッ!!

 ミリアの手には、星の海を閉じ込めたような蒼い結晶──『界渡りの羅針盤』が収まっていた。


 瞬間、大蛇の全身から光が消え、回転していた歯車が断末魔のような音を立てて停止した。レベル90の守護者は、ただの巨大な鉄の残骸へと成り果て、地面へと崩れ落ちた。


 ★


「……はぁ、はぁ……っ、取れました、ラギウス様!」


 ミリアが結晶を抱え、叫んだ。

 全員の身体が震えていた。レベル90を、一人の死者も出さずに「解体」したのだ。


「……あり得ませんわ」


 マリアベルが座り込む。


「羽虫が竜を倒せないように、格下は格上に触れることすら叶わないのがこの世界の(ルール)……なのに、どうして」


 ラギウスはミリアから羅針盤を受け取り、それを冷淡に見つめた。

 彼は知っている。マリアベルの言う「理」の正体を。


(……レベルとは、所詮この世界の表面に張り付いた『アプリケーション』に過ぎない)


 ラギウスは、自身の『絶対自我』が捉える世界の構造を反芻する。


(本来、雑魚であるスライムを倒し続けたところで、拳が鋼鉄を砕くようになるなど、物理的にはあり得ない。だが、この世界では『レベルというフラグ』が立つことで、システム側から物理法則を無視した補正が強制付与される。それがこの世界の「強さ」の正体だ)


 ならば、逆もまた然り。


 レベル差があるからダメージが通らない。という判定もまた、システムが後付けで出力している計算結果に過ぎない。


(だが、どれほど強固なソフトであっても、それを動かしているハードを無視することはできない。熱を与えれば物質は溶け、信号を遮断すれば機械は止まる)


 ゲームの世界だ。

 しかし、現実だ。

 現実には、現実の法則がある。


(俺が『絶対自我』によってシステムの干渉をノイズとして弾き、目の前の事象を『単なる物理現象』として定義し直せば──残るのは、脆弱なハードウェアの理だけだ)


 ラギウスが行ったのは戦闘ではない。


 世界の運営が敷いた「レベル」という名のフィルターを外し、生身の現実を直接操作するデバッグ作業だ。


(……まぁ、そんな小難しい理屈をこねなくても、要するに『バグを利用したハメ技』だがな)


 内心で少しだけ苦笑し、ラギウスは現実に戻った。


「勝ったのは、お前たちが役割を果たしたからだ。それ以外に理由はない」


 彼は短く答え、仲間に背を向けた。


「運や奇跡ではない。……『正しい手順』を踏めば、どんな巨像も崩れる。ただそれだけのことだ」


 その言葉に、イリスディーナが複雑な表情で笑った。


「貴方は……本当に、この世界を『攻略』しているのですね」

「……買い被りだ。俺はただ、効率を求めているに過ぎない」


 ラギウスは一歩、暗闇へと踏み出した。彼の手には、ついに手に入れた『羅針盤』。


「行くぞ。……長居する場所じゃない。俺たちの『事業』を始める時間だ」


 奈落の時計塔に、新たな時代の刻みが響き始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ