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第30話 懐中時計

 帝都の地下深くに広がる、迷路のような大下水道。


 その最奥、地図にも載っていない行き止まりの壁の前に、ラギウスたちは立っていた。


 じめじめとした湿気と腐臭が漂う中、ラギウスは壁の一点を指し示す。


「ミリア。ここだ」

「は、はいっ!」


 指名されたミリアが前に出る。

 一見するとただの汚れた石壁。


 彼女が眼鏡の倍率を上げ、魔力探知を行うと、そこには肉眼では見えない微細な魔力回路が、複雑怪奇な幾何学模様を描いているのが見えた。


「す、すごいです……! これは古代アトラス式の論理結界……! 解読コードが数万行にも及びます!」


 ミリアの声が震える。

 これは、侵入者を拒むための鍵ではない。

 この先に封印されている「何か」を、絶対に外に出さないための厳重な檻だ。


「3分であけろ。……できるな?」

「や、やってみせます!」


 ミリアは懐から愛用の工具を取り出し、魔力回路に干渉を開始する。

 カチッ、コチッ、カチッ……。

 静寂の中に、解錠の音が響く。そして、宣言通り3分後。


 ズズズズズズ……。


 重厚な石壁が左右にスライドし、隠されていた「真の入り口」が口を開けた。


「開きました……!」

「上出来だ。やはりお前を連れてきて正解だった」


 ラギウスが短く褒めると、ミリアは頬を染めて嬉しそうに俯いた。

 物理火力だけでは、スタートラインに立つことすらできない。これが「エンドコンテンツ」の洗礼だ。


「行くぞ。空気が変わる。……酔うなよ」


 ラギウスを先頭に、一行は開かれた闇へと足を踏み入れる。


 瞬間。

 視界いっぱいに広がった光景に、少女たちは息を飲んだ。


 そこは、巨大な塔の内部だった。


 壁も床も天井も、すべてが無数の「歯車」で埋め尽くされている。

 直径数メートルの巨大な歯車から、指先ほどの小さな歯車まで、億単位の部品が噛み合い、ギギギ、ガガガ……という重低音を響かせながら回転している。


 『奈落の時計塔』。


 圧倒的な質量と、永遠に動き続ける機械の威圧感。

 そして、奥から現れる銀色の影。


 『自律防衛人形(オートマタ)』の群れだ。


「イリス。先ほども言ったが、斬るんじゃないぞ」


 ラギウスの声は冷静だった。

 シライシの後ろから、的確に指示を飛ばす。


「奴らの装甲は物理と魔法を弾く。だが、『熱伝導』まではカットできん。……剣を押し当てろ。『青き王火』を、斬撃ではなく『熱源』として流し込め」

「……鎧の上から煮殺せ、ということですか?」


 イリスディーナは即座に理解し、剣を構える。

 迫りくるオートマタの攻撃を紙一重でかわし、その胴体に剣の腹をピタリと押し当てた。


 ジュウウウウッ!!


 蒼い炎が発動する。

 超高熱がミスリルの装甲を伝わり、内部へと浸透していく。

 数瞬後、オートマタは糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。内部の魔力回路が熱暴走し、焼き切れたのだ。


「マリアベル。奥の赤い個体だ。あれに『色目』を使え。ただし、男として見るな。『私の命令を聞く下僕』として認識を上書きしろ」


 ラギウスの指示が飛ぶ。

 マリアベルは恐る恐る、赤いオートマタに『魅了の魔眼』を放つ。


「……私のために働きなさいな、鉄屑さん♡」


 瞬間、赤いオートマタが奇妙な動きを見せ──隣にいた味方のオートマタの首をねじ切った。

 敵味方の識別コードがバグり、同士討ちを始めたのだ。


 圧倒的なレベル差があるはずの戦場が、ラギウスの「知識」によって一方的な蹂躙へと変わっていく。


(まぁ、ゲームではできないことだがな。『剣を押し当てて内部に熱を通す』なんてコマンドは存在しないし)


 ゲームの世界が現実になっている。

 それは、新たな戦術を拡張することにもつながる。


 とはいえ、そもそもゲームと言うのが『キャラクターができることが制限されること』を前提に難易度が設定されていることを考えるなら。


 攻略方法がクソなのは、ラギウスとしても認めざるを得ない事実ではある。


 ★


 このダンジョンにおいて、真の脅威は敵ではなかった。

 さらに奥へ進むと、通路の色が灰色から歪んだ紫色へと変わる境界線が現れる。


「……止まれ。ここから先は『汚染区域』だ」


 ラギウスは足元に落ちていたボルトを拾い、境界線の向こうへ軽く放り投げた。


 ヒュッ。


 ボルトが空中で静止する。

 いや、止まったのではない。

 猛烈な速度で表面が赤錆に覆われ、腐食し、塵となって崩れ落ちたのだ。

 わずか数秒で、数百年分の経年劣化が起きたかのような現象。


「ひっ……!?」


 マリアベルが悲鳴を上げて後ずさる。

 時空が歪み、時間の流れがデタラメになった空間。

 生身で入れば、一瞬で老化して死ぬ。


「そ、そんな……! これでは進めませんわ!」

「進む方法はある。……並び順を変えるぞ」


 ラギウスは振り返り、全員に告げる。


「このエリアのギミックは『心拍同期』だ。パーティの中で一番最初に入った者の心拍数と、時間システムが同期する仕組みになっている」


 『原作知識』によれば、ここは本来、特定のイベントで一時加入する『高レベルNPC』を先頭にして突破するエリアだ。


 強靭な生命力と安定した心拍を持つ者を基準にすることで、時間の乱れを強引に抑え込むというのが、ゲーム上の正攻法だった。


 エンドコンテンツなのに、高レベルNPCを戦闘にするということが何を表すのかと言うと、そのNPCは、『プレイヤーが通常で動かせるキャラたちよりも、レベル上限が上』ということ。


 要するに、このダンジョンはそれほど『やばい難易度』が設定されている。


 当然だが、今のパーティにはそんな高レベルキャラはいない。

 イリスディーナたちは優秀だが、あくまで学生レベル。未知の恐怖を前にすれば心拍は乱れ、それに呼応して空間の時間が暴走し、全員が老衰死する。


「俺が先頭を行く」


 ラギウスは宣言し、一歩前に出た。

 そして、懐から『焦燥の懐中時計』を取り出す。


 チク、タク、チク、タク……。


 正確無比な機械音が響く。


「この時計は呪われている。『いかなる場所、いかなる状況下でも、絶対に狂わない』という権能を持っている」


 ラギウスは時計を握りしめる。

 時計の音が、ラギウス自身の鼓動と重なっていく。


「俺の時間は、この時計と同期している。そして俺の精神は、何があっても揺らがない」


 恐怖も、焦りも、動揺もない。

 機械のように一定のリズムを刻み続けるラギウスの心臓こそが、この狂った空間における唯一の「基準器(アンカー)」となる。


「俺が一番最初に侵入すれば、パーティーは俺の時間に守られる。俺の心臓が動いている限り、お前たちの時間も正常に守られる」


 ラギウスは背を向け、紫色の空間へ足を踏み入れる。

 チクタクという音が結界となり、彼らの周囲だけ、時間が正常に流れ続ける。

 錆びつきもせず、風化もしない。


 イリスディーナたちは、その背中を見つめ、ゴクリと唾を飲んで追従した。


 (この人の背中……なんて、頼もしいの……)


 恐怖を感じないわけではない。

 だが、先頭を歩くラギウスの足取りには、迷いも恐れも微塵もなかった。

 その絶対的な「安定感」が、彼女たちの心を支えていた。


 ★


 そして。

 ミリアによる隠し通路の発見(原作知識によるショートカット)を経て、一行はついに最奥へと到達した。


 開けた巨大なドーム状の空間。

 中央には、巨大な砂時計。

 そして、それを守るようにとぐろを巻く、歯車と骨で構成された巨大な蛇が鎮座していた。


 ボス──『時を喰らう大蛇(クロノス・サーペント)』。


 その体内には、目的のアイテム『界渡りの羅針盤』が眠っている。


「……到着だ。予定より3分早いな」


 ラギウスは懐中時計をパチンと閉じ、ヒロインたちに号令をかける。


「総員、戦闘配置……この蛇を解体して、俺たちの『物流革命』を完成させるぞ。倒す必要はない。目当てのアイテムがある部分を重点的に狙うぞ」


 最奥の決戦。

 帝王の指揮による『理不尽な攻略』が、最終段階へと移行する。

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