第29話 奈落の時計塔
帝都の石畳を、漆黒の馬車が駆けていく。
向かう先は、帝都の地下深くに封印された禁断の領域への入り口。
揺れる車内で、ラギウスは地図を広げ、向かいに座る二人の令嬢──イリスディーナとマリアベルを見据えた。
「……いいか。これから向かう場所は、お前たちがこれまでの人生で経験したどんな『修羅場』とも違う」
ラギウスの声は、いつになく真剣だった。
脅しではない。純然たる「事実確認」だ。
「目的地は『奈落の時計塔』。古代文明が遺した、時空制御実験の成れの果てだ」
ラギウスの脳内の『原作知識』によれば、このダンジョンは、クリア後の勇者パーティですら全滅しかねないエンドコンテンツの一つ。
推奨レベルは80以上。
今のラギウスたちの平均レベル(推定20~30程度)で挑めば、正面からの殴り合いでは瞬殺される。
ラギウスが語る内容は、あまりに詳細で、そしてあまりに絶望的だった。
敵の生態、罠の種類、空間の歪み方。
「あの、私たちで大丈夫なの?」
「問題ない。今回、道中のモンスターは倒す必要がないからな。『熱で壊し』『信号を書き換え』『警備システムを切り』『環境を無効化』して、ただ奥まで歩いていくだけだ。すごく迷惑な迷路攻略だと思えばいい」
「雑……」
「もちろん、必要な情報はすべて話す」
要するに、敵は確かに強いが、それが『仕様』に大きくかかわるということだ。
イリスディーナが怪訝な顔をする。
「……貴方はなぜ、そこまで詳しいのですか?」
彼女の疑問はもっともだ。
『奈落の時計塔』など、帝国の歴史書にも載っていない、おとぎ話レベルの場所。
それを一介の学生が、構造図まで把握しているのは不自然極まりない。
だが、ラギウスは平然と答えた。
「『禁書保管庫』だ」
「え……?」
「以前、お前にサインを貰って入っただろう。あそこの最奥に、一冊だけ異様な『瘴気』を放つ本があった」
ラギウスは、さも「道端の石ころの話」をするかのように言う。
「タイトルは『忘却されし時の墓標』。強力な呪い──『認知阻害』と『精神汚染』が何重にも掛けられ、常人なら表紙を見ただけで発狂し、記憶を焼かれる代物だ。だからこそ、誰もその内容を知らなかった」
それは嘘ではない。
いや、正確には「原作知識」というソースを、「呪われた本」というカモフラージュで隠蔽しただけだが、ラギウスにとっては「俺が読んだ(知っている)のだから、それは事実だ」という認識でしかない。
「俺にとっては『少し文字が読みにくい』程度だったがな。そこに全て記されていた」
「……あんな場所の、一番ヤバそうな本を読破したのですか……」
イリスディーナが呆れたように溜息をつく。
だが、疑いはしなかった。
ラギウスならやりかねない。
選抜戦で、多くの呪具を使いながらも平然としていたこともある。
自分には手を出そうという発想も出てこない『呪本』を使ったといわれれば、そういうものだと納得するしかない。
「情報は武器だ。……話を戻すぞ」
ラギウスは資料を指さす。
「まず、敵の質が違う。そこに徘徊しているのは、生物ではない。『自律防衛人形』だ」
「人形……ゴーレムのようなものですか?」
「似て非なるものだ。ゴーレムは土塊だが、オートマタは『ミスリル合金』と『魔力回路』で構成されている。物理攻撃は弾き、魔法攻撃は拡散させる装甲を持つ」
生半可な剣技や魔法では、傷一つつかない。
それが、通路を埋め尽くすほどの数で迫ってくるのだ。
「そこで、役割分担だ。……イリスディーナ。お前の役割は『砲台』だ」
彼は、皇女の腰にある剣を指す。
「オートマタの装甲は硬いが、熱には弱い。お前の『青き王火』による防御無視の熱量攻撃だけが、奴らの装甲をバターのように溶かせる。……雑魚掃除はお前に任せる」
「……ふふっ。雑魚掃除とは人使いが荒いですが、任されました。私の炎で、鉄屑に変えてあげましょう」
イリスディーナは不敵に笑う。彼女にとって、燃やしがいのある敵は歓迎だ。
「マリアベル。お前の役割は『撹乱』だ」
次は、『傾国の薔薇』へ。
「オートマタに心はないが、『命令回路』はある。お前の精神干渉魔法で、敵の識別信号を書き換えろ。敵同士で戦わせるもよし、動きを止めるもよし。……正面からぶつからず、搦め手で攻めろ」
「あら、私の魅了を機械に使うなんて……でも、面白そうですわね。鉄人形すら虜にしてみせますわ♡」
マリアベルは扇子で口元を隠し、妖艶に微笑む。
「ミリア。お前は『解錠』だ」
そして、技術担当へ。
「塔には無数のトラップと、封印された扉がある。それらは全て、古代の論理術式でロックされている。……解除できるか?」
「もちろんです! 古代語の解析なら任せてください。ラギウス様のお役に立ってみせます!」
ミリアは眼鏡を光らせ、力強く頷く。
「シライシ。お前は『壁』だ」
最後に、執事へ。
「何があっても、この三人には指一本触れさせるな。俺の指示があるまで、敵を食い止めろ」
「御意。マスターの『盾』となりましょう」
シライシは恭しく一礼する。
彼だけは、その戦闘力が『呪具としてのレベル』であり、かなり高い。
他にも、『凶悪な呪具』は持ってきているので、それと組み合わせれば、耐えることくらいはできる想定なのだろう。
「そして俺は、『ジョーカー』だ」
ラギウスは、自身の懐にある『呪具』の数々を確認する。
「想定外の事態、理不尽な初見殺し、即死ギミック。……それら全てを、俺の『道具』と『知識』でねじ伏せる」
レベルが足りないなら、知恵と道具で補う。
正面突破が無理なら、ルールをハックする。
それが、ラギウスの攻略法だ。
「いいか、これは遠足ではない。一瞬の判断ミスが死に直結する『業務』だ。……覚悟はいいな?」
ラギウスの問いかけに、四人は迷いなく頷いた。
皇女、令嬢、職人、魔馬。
本来なら交わるはずのなかった異色のメンバーが、ラギウスという「特異点」を中心に、一つのパーティとして機能しようとしている。
「よし。……到着だ」
馬車が止まる。
窓の外には、帝都の地下へと続く、巨大な排水溝の入り口が口を開けていた。
その奥底から漂うのは、腐臭ではなく、乾いた「死」と「停滞」の匂い。
ラギウスは扉を開け、暗闇へと踏み出す。
「行くぞ」
帝王の号令と共に、最難関ダンジョンへの攻略が幕を開けた。




