第27話 決勝戦2
爆風が晴れ、視界が開ける。
『幻影の決闘場』のフィールドは、極大の熱量と冷気の衝突によって荒れ果て、所々がガラス状に溶解し、あるいは凍り付いていた。
その中央。
イリスディーナは、剣を杖代わりにして、かろうじて立っていた。
魔力は空っぽ。立っているだけでも眩暈がするほどの消耗。
だが、その金色の瞳だけは、まだ燃え尽きてはいなかった。
「……はぁ、はぁ……ッ!」
対するラギウスもまた、無傷ではない。
『絶対自我』で精神的な疲労は無視できても、平均的な肉体に蓄積した物理的な疲労までは誤魔化せない。
肩で息をし、汗が頬を伝う。
(このゲームにおいて、キャラクターに『疲労』というパラメータは存在しないし、魔力を使いすぎるとフラフラになる。という裏設定もないはずだが、体内のエネルギーが枯渇するということを考えれば当然のことだ)
ラギウスはイリスディーナの動きを観察しつつ、考えている。
(ゲームの世界。だが、それが現実であるなら、その分『差』はできる。現実と言うのは、現実にしかない整合性が生まれる……まぁ、その点は、今はいいか)
彼なりに疑問はあったが。とりあえず今は、どうでもいいこととする。
「……しぶといな、生徒会長」
ラギウスは、手にした『妖刀村正・血桜総大将』を軽く振るった。
刀身に纏わりついていた赤黒いオーラ──『斬撃拡大』の呪いが、フッと霧散する。
「な……なぜ、呪いを解くのです?」
イリスディーナが問う。
今の彼女には、あの広範囲攻撃を防ぐ魔力も体力も残っていない。
ラギウスが一振りすれば、それで終わるはずだ。
「非効率だ」
ラギウスは淡々と答える。
「動けない標的に対して、魔力を浪費する戦略兵器を使う必要はない。コストの無駄だ」
それは建前だ。
本音は──この期に及んでまだ瞳の光を失わない「強者」に対し、道具だけの力でトドメを刺すのは、彼の「美学」に反する。
「それに……貴様は俺の『道具』を正面から突破しようとした。ならば最後は、俺自身の『剣』で相手をするのが筋だろう」
ラギウスは刀を正眼に構える。
そこに魔法の輝きはない。ただの鋭利な鉄の塊として、切っ先を向ける。
「……ふふっ。最後まで、生意気な男」
イリスディーナは口元を綻ばせ、震える手で剣を握り直した。
魔力はない。『青き王火』も出ない。
頼れるのは、幼い頃から磨き上げてきた剣技のみ。
「いいでしょう。ラギウス・フォン・カルゼラード。……私の剣技、受けてみなさい!」
イリスディーナが地を蹴る。
魔力強化のない踏み込みは、全盛期に比べれば見る影もなく遅い。
だが、その軌道は洗練され、無駄がない。
「……遅い」
ラギウスは冷静に見切る。
彼の身体能力もまた平均的だ。だが、『絶対自我』による「動揺ゼロ」の精神状態が、相手の動きをスローモーションのように知覚させる。
カキンッ!
剣と刀が交差する。
火花が散る。
イリスディーナの連撃。
袈裟斬り、突き、斬り上げ。
本来なら回避不能な天才の剣技だが、スタミナ切れで精彩を欠いている。
ラギウスはそれを、必要最小限の動きで弾き、いなし、受け流す。
派手さはない。
だが、機械のように正確で、冷徹な剣捌き。
(重い……!)
剣を合わせるたび、イリスディーナは衝撃を受ける。
腕力ではない。
この男の剣には、迷いがないのだ。
「勝つ」という結論に向かって、最短距離を走る思考の重さ。
(これが……『平均的』と言われた男の剣……?)
彼女は悟る。
彼は才能がないからこそ、思考し、工夫し、泥臭い「最適解」を積み重ねてきたのだと。
その積み重ねが、今の彼を「帝王」たらしめているのだと。
「く、ぅぅぅッ!!」
イリスディーナが最後の力を振り絞り、大上段からの唐竹割りを放つ。
渾身の一撃。
だが、ラギウスはそれを見切っていた。
「チェックメイトだ」
彼は半歩だけ体をずらし、イリスディーナの剣の側面を、刀の峰で叩いた。
ガィンッ!
嫌な音がして、イリスディーナの手から剣が弾き飛ばされる。
剣は空中で回転し、地面に突き刺さった。
イリスディーナの体勢が崩れる。
その無防備な首筋に、冷たい刃がピタリと添えられた。
「…………ぁ」
時が止まる。
ラギウスの妖刀は、彼女の喉元数ミリのところで静止していた。
イリスディーナは、目の前の男を見上げる。
汗に濡れた前髪の奥、その瞳は、勝者の驕りも、敗者への侮蔑もなく、ただ淡々と「事実」を映していた。
「……終わりだ、生徒会長」
その言葉を聞いた瞬間。
イリスディーナの体から、ふっと力が抜けた。
悔しさはある。
だが、それ以上に──生まれて初めて、自分を真正面からねじ伏せてくれた存在への、震えるような充足感があった。
敵わない。
それは時に、人に感動をもたらすこともある。
「……私の、負けです」
彼女は静かに、敗北を認めた。
『しょ、勝負ありぃぃぃぃぃぃっ!!』
レフェリーの宣言と共に、静まり返っていたコロシアムが爆発した。
歓声。絶叫。拍手。
「ラギウス! ラギウス!」というコールが、地鳴りのように響き渡る。
ラギウスは刀を引き、血振りの動作をしてから……そう、血はついていないがそうしてから、パチンと鞘に納めた。
(結果だけを言えば……ストーリーが始まる前に、ストーリーの後半や、クリア後のアイテムを持ち出して勝ち続けただけだが、どうでもいいことだ。俺には俺の、貴族としての役目がある)
彼は歓声に手を振ることもなく、ただ一つ、大きく息を吐いた。
「……やれやれ。ようやく『仕事』が終わったか」
帝王の初陣は、完全なる勝利で幕を閉じた。




