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第25話 決勝戦直前

 準決勝が終わり、決勝戦までのインターバル。


 『幻影の決闘場』の熱気は冷めるどころか、爆発寸前のマグマのように煮えたぎっていた。


 平均的な生徒による、生徒会役員の連続撃破。

 呪われたアイテムを平然と使いこなす異常性。

 そして、副会長キースの作戦すらも「素材」として回収した冷徹さ。


 観客たちは理解し始めていた。

 これから行われるのは、学生同士の試合ではない。


 「帝国の常識」と「未知の規格外」が衝突する、歴史的な瞬間なのだと。


 ★


 コロシアム最上層、VIPルーム。

 そこには、沈痛な面持ちのベルンハルト伯爵と、愉悦に目を細めるマリウス院長の姿があった。


「……キース君が、負けましたか」


 ベルンハルトが呻くように言う。

 彼はキースの後見人の一人でもあった。将来有望な魔導院の研究者を、手駒として育てていたのだ。

 それが、あのような無様な形で──自身の切り札を奪われ、心を折られて敗北した。


 ……いや、どれほど時間をかけて作り上げた兵器であっても、一部の『超常的な存在』に対しては全く効果がないというのは、この世界において珍しいことではないのだが。


「『無力の腕輪』……あれは魔導院が極秘裏に開発した、対人制圧用の概念兵器だ。それを学生が所持していること自体が問題だが……まさか、こうもあっさりと『無効化』されるとはな」


 マリウス院長が、ワインを回しながら呟く。


「精神力ではありませんよ、ベルンハルト殿。あれは『構造』の違いだ」

「構造……ですか?」

「ええ。カルゼラードの倅の精神には、そもそも他者の干渉を受け入れる『門』が存在しない。だから、毒も、鎖も、言葉も届かない」


 マリウスは、モニターに映るラギウス──控室で平然と茶を飲んでいる姿を見つめる。


「ゼスタ将軍のような『強固な城壁』ではない。あれは……周囲を全て真空にした『要塞』だ。音が伝わらないのと同じ理屈で、干渉が届かない」


 老賢者は戦慄していた。

 魔法技術の粋を集めた概念兵器が通用しないのなら、彼を止めるには「物理的に消滅させる」以外に方法がない。


「……イリスディーナ殿下の『青き王火』。あれならば、あるいは」


 ベルンハルトが祈るように言う。


「あの炎は概念すら焼き尽くす。いかに異常な精神を持っていようと、肉体が灰になれば終わりです」

「ええ。矛と盾……いや、『王』と『異物』の戦い。帝国の未来を占うには、これ以上ないカードですな」


 大人たちは固唾を飲んで待つ。

 確立された秩序が勝つか、理解不能な混沌が勝つか。


 ここでイリスディーナを立てるためにラギウスを妨害するといったことは、大人たちはしない。

 建前として実力主義と言うこともあるが、『今のラギウスに、イリスディーナをぶつけるとどうなるのか』が気になるのだ。


 なかなか、面白い。


 ★


 赤コーナー、選手控室。

 そこには、静寂があった。


 側近たちは一人もおらず、ただ一人、イリスディーナだけが椅子に座り、愛剣のメンテナンスを行っている。


「……ふふっ」


 静寂を破ったのは、彼女自身の漏れ出た笑い声だった。

 鏡を見なくとも分かる。今の自分は、ひどく獰猛で、はしたない顔をしているだろう。


 『蒼柩のイリスディーナ』。


 周囲は彼女をそう呼び、畏怖し、崇拝した。

 誰も彼女の隣に立とうとはせず、誰も彼女に「本気」を出させようとはしなかった。


 退屈だった。

 生まれ持った強大な魔力と才能は、彼女にとって「孤独の檻」でしかなかった。


 だが、あの男は違った。


『サインをくれ』

『白いな』

『邪魔だ』


 ラギウス・フォン・カルゼラード。

 彼は、イリスディーナという存在を「特別」扱いしなかった。

 皇女という権威も、圧倒的な美貌も、世界を焼く才能も、彼にとっては「ただの事実」であり、「処理すべき事象」でしかない。


(私を……『道具』として利用しようとした男)


 イリスディーナは、剣を鞘に納め、立ち上がる。

 全身の血が沸騰するような高揚感。


「いいでしょう。貴方のその『合理性』……私の全てを懸けて、焼き尽くしてあげます」


 もし、自分の炎すらも彼が「処理」してみせたなら。

 その時は──。


 彼女は頬を紅潮させ、武者震いと共に控室を出た。


 ★


 青コーナー、選手控室。

 こちらは打って変わって、あわただしい空気に包まれていた。


「ミリア、最終調整はどうだ」

「は、はいっ! 『ジュラルナ・タワーシールド・試作壱型』、冷却機能の充填完了です!」


 ミリアが、身の丈ほどもある巨大な銀色の大盾を磨き上げている。

 表面には複雑な魔術刻印が施され、冷気が漂っている。


 夏休みに『地下第一工房』で量産した盾とは違う。

 ラギウスが対イリスディーナ用として、特別に設計させた一点物だ。


「相手は『青き王火』。物理攻撃と魔法攻撃、双方の性質を併せ持つ高密度のプラズマだ」


 ラギウスは『原作知識』にある攻略情報を反芻する。


 イリスディーナの炎は、通常の魔法防御(マジックバリア)では防げない。


 燃やすという概念が強すぎて、バリアそのものを燃料にして燃え広がるからだ。

 『ナルキッソスの鏡盾』でも反射しきれず、盾自体が溶解する恐れがある。


「反射が無理なら、断熱と冷却で相殺するしかない」


 素材の強さでゴリ押しするという、合理的でありつつも力技な解だった。


 『ジュラルナ合金』の[衝撃拡散]タグで物理的圧力を逃がし、[月光]タグで魔力干渉を中和する。

 さらに、盾の裏面に『氷河の女王の吐息』……扇子の欠片を埋め込み、常に絶対零度の冷気を循環させることで、熱量を相殺する。


 狂騒具の呪いを動力源にした、この世界ではなかなかみない技術構造だ。


「シライシ。運搬を頼む。俺の筋力では、リングまで持っていくだけで疲れる」

「御意。……しかしマスター、本当に『アレ』を使わずに?」


 シライシが、ラギウスの懐にある『無力の腕輪』に視線を向ける。

 あれを使えば、イリスディーナの戦意を削ぎ、楽に勝てるかもしれない。


「却下だ。彼女は『絶対的な自信』の塊だ」


 ラギウスは首を振る。


「『無力の腕輪』は、心に隙がある者には劇的に効く。だが、今の彼女のように、純粋な闘志とプライドで満たされている相手には、侵食に時間がかかる」


 それに、とラギウスはニヤリと笑った。


「彼女は俺を『焼く』気満々だ。ならば、その自慢の炎を真正面から受け止め、涼しい顔で弾き返してやるのが、最も効果的な『精神攻撃』になる」


 物理で心を折る。

 それが、ラギウスの選んだ戦術だった。


「行くぞ。……賞品の『座標石』は、もう目の前だ」


 ラギウスは、重厚な大盾をシライシに担がせ、通路へと歩き出す。

 その背中には、緊張も気負いもない。

 あるのは、これから行う「最終プレゼンテーション」への、確かな手ごたえだけ。


『さあ、お待たせいたしました! 秋季選抜トーナメント、決勝戦!』


 実況の声が、遠くから響く。

 帝王と皇女。

 交わるはずのなかった二つの運命が、今、激突する。

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