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第23話 『無力の腕輪』

 第三回戦、マリアベルとの試合が終わった後の昼休み。

 選手控室の裏口で、ラギウスは奇妙なストーカーに付きまとわれていた。


「ねぇ、ラギウス様ぁ♡ 無視しないでくださいな!」


 背中に張り付くように付いてくるのは、先ほどまで気絶していたはずのマリアベルだ。


 彼女はボロボロになった副を魔法で簡易修復し、キラキラとした瞳でラギウスを見上げている。


「……何の用だ、敗北者。まだ殴られたいのか?」

「素敵……! 私を『敗北者』だなんて、そんなゴミを見るような目で呼んだのは、貴方が初めてですわ!」


 彼女は頬を紅潮させ、うっとりと身をくねらせる。


 プライドをへし折られたショックと、初めて「自分の魔性が通じない」という体験が、彼女の中で化学反応を起こしたらしい。


 どうやら、マリアベル・ルート(ヤンデレ風味)のフラグが立ってしまったようだ。


「シライシ。剥がせ」

「御意」


 シライシ(執事)が無言で間に入り、壁のように立ちはだかる。

 マリアベルは「むぅ」と頬を膨らませるが、ラギウスの役に立てるならと、大人しく引き下がった。


「覚えてらしてくださいね! 私は諦めませんから!」


 嵐のように去っていく「元」学園のアイドル。

 ラギウスは溜息をつき、控室のソファに深く腰掛けた。


「……さて。色恋沙汰は終わりだ。次の仕事の話をするぞ」


 ★


 一方、生徒会室。

 そこには、追い詰められた表情のキースがいた。


 モニターには、ラギウスのこれまでの試合結果が表示されている。

 物理反射、地形凍結、精神干渉無効。

 もはや、通常の手段で彼を止めることは不可能に見えた。


 だが、キースはまだ諦めていなかった。

 彼は優秀な魔導院の研究者候補でもある。


 ラギウスという「異常現象」を、彼なりの論理で解明し、対策を導き出していたのだ。


「……ラギウスの耐性は、異常なほどに強固だ。だが、その『質』を見誤ってはならない」


 キースは、役員たちに解説するように独り言つ。


「奴が使っている強力な呪具。あれらは本来、強烈な瘴気や怨念を放つ。いわば『空気の重さ』や『雑音』のような、全方位から精神的負荷(プレッシャー)だ」


 キースの分析は続く。


「ラギウスは、その『重圧』に対して異常に強い。精神の皮が厚いのか、あるいは既に狂っているから気にならないのかは知らんが……とにかく、『外圧』には耐えられる」


 マリアベルの『魅了』も同様だ。

 あれも外から好意を植え付ける干渉。ラギウスの精神防壁が堅牢であれば、弾くことは可能だ。


「だが、これはどうだ?」


 キースは震える手で、金庫の奥から一つの小箱を取り出した。

 中に入っているのは、何の変哲もない、鈍色の腕輪。


 『無力の腕輪』。


 「これは、世に溢れる呪具とは構造が違う」


 キースは不敵な笑みを浮かべる。


「ただの精神汚染ではない。魔導院が、強力な呪いから『無力感』や『敗北感』といった特定の『概念タグ』だけを抽出し、純粋培養したウイルス兵器だ」


 重い荷物を背負わせるのではない。

 血管に直接、毒を注射するようなもの。


「これを装備した瞬間、思考回路そのものが書き換えられる。『重い』と感じる前に、『もう駄目だ』『勝てない』という結論だけが、奴自身の心から湧き上がってくる」


 どれだけ頑丈な鎧を着ていても、内側から毒が回れば終わりだ。

 精神力で耐えられるものではない。それを防ぐには、高度な「概念浄化」のスキルが必要だが、学生であるラギウスにそんな芸当ができるはずもない。


「私の固有魔法『譲渡の契約(ギフト・グラント)』で、この腕輪を奴に強制装備させる。……そうすれば、奴は自らの心に敗北し、膝をつく」


 完璧な論理。

 魔導院の英才教育を受けたキースだからこそ辿り着いた、必勝のロジックだった。


 ──ただ一つ。

 「ラギウスは普通の人間と同じように、感情を処理する」という大前提が、致命的に間違っていることを除けば。


(……力不足。ですね)


 というより、キースの分析を、生徒会室の外で聞いていたイリスディーナにとっては、『優秀な部下の視野狭窄』といった感想だ。


 これまでは外からプレッシャーを加えていたから耐えていた。しかし、『内側』に影響を与えれば通用する。

 どこにそんな保証がある?


 内側に何かしら影響を与える手段をあらかじめ与えて、その反応で決めるべきではないか。

 作戦勝ちを狙うならば、その作戦がそもそも通用するのか、敵に知られないように確認を取るべきである。


(つまらない)


 平時における能力は評価する。

 しかし、『楽しい舞台』で『つまらないこと』を考えるならば、それは彼女にとって面白くないのだ。


 ★


 選手控室。

 ラギウスは、手元の資料に目を落としていた。


「キースの固有魔法は『譲渡の契約』。アイテムを強制的に相手に装備させる魔法か。……そして、奴が次に使ってくるアイテムも、おおかた予想がつく」


 ラギウスは、自身の脳内にある『原作知識』のデータベースを検索する。


 ゲーム本編において、キースはストーリー中盤に登場する。

 その際、彼はプレイヤーに対して卑劣な罠を仕掛けてくるイベントがあった。

 そのキーアイテムこそが──。


「『無力の腕輪』。……魔導院の失敗作だな」


 ラギウスは淡々と呟く。


「特定のマイナス感情を植え付ける概念兵器。端的に言えば『強制敗北』を引き起こすためのアイテムだ。……なるほど、奴ならこれを持ち出してくるだろう」


 ミリアが青ざめる。


「そ、そんな……! 強制敗北なんて、どうすればいいんですか!? 装備させられたら終わりじゃないですか!」

「普通ならな」


 ラギウスは肩をすくめる。


「キースの狙いは読める。『外からの攻撃が効かないなら、内側から腐らせればいい』……インテリが好みそうな理屈だ」


 キースは考えているのだろう。

 ラギウスの精神は「頑丈な城壁」だと。だから、城門を開けさせる毒ガス(概念)を送り込めばいいと。


「だが、奴は根本的に勘違いしている」


 ラギウスは自身の胸を指差す。


「俺の精神には、そもそも『毒』を受け取る『受容体』が存在しない」


 『絶対自我』。


 それは、入ってきた情報を処理して耐える力ではない。


 外部から来るあらゆる情報──呪い、感情、そして概念さえも、処理する手前の段階で「ノイズ」としてフィルタリングし、遮断するシステムだ。


 キースがどれだけ高純度の「敗北感」を送り込もうと、ラギウスの脳には「『負けた気がするなぁ』という騒音」が流れるだけで、感情として処理されることはない。


 スイッチが切れている回路に、どれだけ電流を流しても機械は動かないのと同じだ。


「結果として残るのは、『キースが貴重なマジックアイテムを、ラギウスに無償で譲渡した』という事実だけだ」

「……ぷっ」


 シライシが、堪えきれずに吹き出した。


「申し訳ありません、マスター。……つまり、副会長殿は、必勝の策を練ったつもりで、貴方様に『アクセサリー』をプレゼントしてくれる、ということですね?」

「そういうことになるな。……しかも『無力の腕輪』は、素材として分解すれば、かなりレアな『精神干渉系のタグ』が抽出できる」


 ラギウスは、悪い笑みを浮かべた。


「敵が資材を提供してくれるというのなら、貰っておくのが『合理的』だ」


 原作知識によるネタバレと、絶対自我による完封。

 この二つが揃っている時点で、キースに勝ち目など万に一つもない。


「行くぞ。……副会長からの『貢ぎ物』を受け取りにな」


 ラギウスは立ち上がる。

 その瞳には、哀れなピエロを舞台に迎えるような、冷酷な愉悦が宿っていた。


 準決勝。

 それは戦いではない。


 一方的な「搾取」の時間が始まろうとしていた。

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