第22話 三回戦
『幻影の決闘場』で行われる選抜戦。その第三回戦。
フィールドに上がったマリアベル・フォン・ローゼンは、観客席を見渡して微笑んだ。
「キャーッ! マリアベル様ー!」
「今日も美しいぞー! 僕を見てくれー!」
割れんばかりの歓声。
特に男子生徒たちの熱狂ぶりは凄まじく、彼女が手を振るだけで、観客席のあちこちで鼻血を出して倒れる者が続出している。
『傾国の薔薇』。
その二つ名は伊達ではない。彼女の美貌と『魅了の魔眼』は、視界に入る全ての異性を狂わせる。
「ごきげんよう、皆様♡」
マリアベルは優雅にカーテシーを披露し、対戦相手であるラギウスに向き直った。
「貴方もごきげんよう、ラギウス君。……今ならまだ、私の靴にキスをするだけで許してあげるわよ?」
彼女は絶対の自信を持っていた。
先ほどの通路での無視は、単なる「強がり」だと解釈している。
このリング上で、逃げ場のない距離で、全力の魔眼を叩き込めば、どんな男も跪く。
だが。
「……レフェリー。早く始めろ」
ラギウスは、マリアベルを見てもいなかった。
彼は懐から取り出した呪具──『焦燥の懐中時計』の蓋を開け、時間を確認している。
「予定より3分押している。運営の不手際だ。これ以上時間を無駄にするな」
マリアベルの笑顔が固まる。
無視。またしても無視。
彼女という「価値」が、目の前の男には一切届いていない。
「……いいわ。後悔させてあげる!」
マリアベルの瞳が、妖しく輝き始めた。
「始めッ!」
開始の合図と同時。
マリアベルは魔力を全開にし、その魔眼をラギウスに向けた。
「──『強制愛玩』ッ!!」
ピンク色の魔力の波動が、リング全体を包み込む。
それは通常の魅了ではない。
対象の脳を焼き切り、思考能力を奪い、術者を『絶対的な女王』として崇拝させる、禁断の精神破壊魔法。
もちろん、マリアベルの意思で、崇拝を解除することはできる。
……というか解除できなかったら、『選抜戦』と言う環境で使用が許可されないだろう。
それはともかく、その力は絶大だ。
物理も魔法も関係ない。
思わず見たいと思わせるそのビジュアルと、視線を合わせたら終わりの精神を揺さぶる魔法。
『あ、あぁ……マリアベル様……!』
実況席のローランドが、マイクを取り落として呻く。
レフェリーも、虚ろな目で膝をつく。
結界越しに見ている観客たちでさえ、精神力の弱い者は意識を飛ばしている。
会場全体が、彼女の虜となった。
世界のすべてが、彼女を愛している。
「……?」
ラギウスは、懐中時計をしまっていた。
そして、顔を上げ──あくびをした。
「ふあ……。おい、終わったか?」
静寂。
マリアベルの時が止まる。
「な、んで……?」
彼女は呆然と呟く。
魔眼は直撃したはずだ。魔力も通った。
なのに、なぜこの男は、平然と立っている? 頬を染めることも、膝をつくこともなく、ただ退屈そうに?
「な、なんで効かないのよぉっ!?」
マリアベルが叫ぶ。
プライドが崩壊する音がした。
彼女はなりふり構わず、ラギウスに駆け寄った。
「私を見なさい! こんなに可愛い私が、貴方を見てあげているのよ!? 好きになりなさい! 崇めなさいよッ!!」
彼女はラギウスの胸倉を掴み、至近距離から魔眼を覗き込ませる。
物理的な距離ゼロ。
逃げ場のない精神干渉の嵐。
だが、ラギウスの瞳は、深海のように静まり返っていた。
「……うるさい女だ」
彼は、胸倉を掴むマリアベルの手を、汚いものでも触るかのように払いのけた。
「お前の魔法は、俺の『部屋』に土足で上がり込もうとする泥棒のようなものだ」
ラギウスは冷徹に告げる。
「だが残念だったな。俺の部屋は、既に『俺』という家具で埋め尽くされている。他人が入る隙間など、1ミリたりとも空いていない」
『絶対自我』。
それは、強固な防壁であると同時に、圧倒的な「自己の質量」だ。
ラギウスの精神は、彼自身のプライド、論理、目的意識によって、隙間なく充填されている。
そこへ、薄っぺらい「好意」ごときが入り込む余地などない。
……ちなみに、試合を見ているイリスディーナは、『家具で埋め尽くされた部屋とか暮らしにくくない?』と、どうでもいいことを考えたが、彼女は利口なので口には出さなかった。
「そ、そんな……」
マリアベルは後ずさる。
初めて感じた「恐怖」。
自分の武器が通用しない相手への、根源的な畏怖。
「それに、お前の魅了など、俺が普段聞いている『BGM』に比べれば、鼻歌レベルだ」
ラギウスは、腰の『妖刀』と、ポケットの『懐中時計』を指さす。
「『家族を殺せ』『死刑台へ行け』『全てを壊せ』……俺は24時間、そういった絶叫を何重にも聞き続け、それを全て無視して生活している」
彼は一歩、マリアベルに踏み出す。
「お前の『私を好きになれ』? ……フン。平和な要求だ。その程度の囁き声が、俺の耳に届くとでも思ったか?」
格が違う。
背負っている「呪い」の桁が違う。
温室育ちのアイドルが放つ誘惑など、地獄の釜の底を歩く帝王にとっては、環境音以下だった。
「ひっ、あ、ぁ……!」
マリアベルは腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
勝てない。
この男の精神構造は、人間ではない。
巨大な城塞の前に立つ蟻のような絶望感。
なにより、『絶対自我』という、精神攻撃に対して凶悪な耐性を発揮するそれに、精神攻撃で挑んだのが間違い。
知らないことは罪ではない。
しかし、罰を受けることになる。
自分の魅力が、魅了が、全く効かない存在がこの世にいるという、『罰』を受けるのだ。
「し、死ねぇっ! この化け物がぁっ!」
錯乱したマリアベルが、隠し持っていた短剣を抜く。
精神攻撃が通じないなら、物理で殺す。
そしてその短剣も、スカートをめくり、太もものレッグホルスターから抜くという、見る人が見れば、艶めかしさを感じるもの。
顔は、目は見ないとしても、相手の武器を見ないわけにはいかず、それをすれば、気持ちよさそうな太ももを見ることになる。
自分を見ないこと『だけ』が自分への攻略法だと認識している動きだ。
そういう意味で、とても理にかなっている。
だが、純粋な戦闘は彼女の専門外だ。
彼女の戦闘は、その魔眼による支配が大前提。
それが効かない戦闘など、やったことがない。
ラギウスは動かない。
代わりに、懐から一つの「手袋」を取り出し、装着した。
『拒絶の白手』。
触れたものを強制的に弾き飛ばす斥力の呪具。
呪いは『人間嫌い』。装着者は、誰とも肌を触れ合わせることができなくなる。
「汚れる」
ラギウスが軽く裏拳を振るう。
手袋がマリアベルの短剣──ごと、彼女の顔面に接触する直前、強烈な斥力が発生した。
バヂィンッ!!
見えない巨人の平手打ちを食らったかのように、マリアベルが吹き飛ぶ。
彼女は数回バウンドし、リングの端で動かなくなった。
気絶。
物理的なダメージよりも、自身の全存在を「拒絶」されたショックによる、精神的なダウンだった。
『……しょ、勝者! ラギウス選手ぅぅぅっ!』
正気を取り戻したレフェリーが宣言する。
会場の「魅了」も解け、観客たちは我に返る。
そして見たのは、無様に転がる学園のアイドルと、埃を払うラギウスの姿。
「……ふぅ。これで準決勝か」
ラギウスは手袋を外し、シライシに渡す。
「つまらん余興だった。次はもっと骨のある相手を用意しろ」
彼は倒れたマリアベルに一瞥もくれず、リングを降りる。
一応、『抽選』で対戦相手が決まるこの選抜戦において、『相手を用意しろ』とは、敵の小細工を粉砕する気満々ということでもあるが、事実だろう。
その背中を見て。
キースと生徒会役員たちは、今度こそ心の底から戦慄した。
物理も、魔法も、環境も、そして精神さえも。
ラギウス・フォン・カルゼラードには、一切の死角が存在しない。
彼らが仕掛けた「公開処刑」は、皮肉にも、帝王の「無敵」を証明するための舞台装置と化していた。




