第20話 二回戦
『幻影の決闘場』の上層階。
一般生徒が立ち入ることのできないVIPルームでは、帝国の重鎮たちが眼下の戦いを見下ろしていた。
ワイングラスを傾けるのは、恰幅のいい中年男性──ベルンハルト伯爵。
貴族院の有力者であり、ラギウスの父であるゼスタ将軍とは、政治的な対立関係にある「反ゼスタ派」の筆頭だ。
「……フン。今年の選抜戦も、退屈なものですな」
ベルンハルトは、つまらなそうに眼下のリングを見下ろす。
「目玉はイリスディーナ殿下のみ。他はドングリの背比べ。……特に、あのカルゼラードの倅。第一試合は派手でしたが、所詮は金に物を言わせただけの道楽息子でしょう」
彼の言葉に、同席していた痩身の老人が、片眼鏡の位置を直しながら答える。
「そうですかな? 私は、彼にこそ興味がありますよ」
帝国魔導院・院長、マリウス・フォン・エーデルシュタイン。
帝国の魔法技術とマジックアイテム研究のトップに立つ、生ける伝説だ。
「第一試合で彼が使った『盾』……あれは『ナルキッソスの盾』でしょう。本来なら、精神への汚染が他の呪具よりも強力な代物です。それを彼は、精神防壁の魔法も展開せずに使いこなしていた」
マリウスの瞳には、研究者特有の鋭い光が宿っている。
「ただの『道楽』で扱えるものではありませんよ。……ゼスタ将軍は、とんでもない怪物を隠し持っていたのかもしれません」
「買い被りすぎでしょう、院長。……見ていなさい。化けの皮など、すぐに剥がれますよ」
ベルンハルトは嘲笑う。
彼には「情報」が入っていた。
生徒会副会長キースが、次の試合でラギウスを潰すために、ある「仕込み」を行ったという情報が。
★
『第二回戦! ラギウス・フォン・カルゼラード 対 ガロン・ド・マグナ!』
実況の声と共に、選手が入場する。
ラギウスの対戦相手、ガロンは、岩のようにゴツゴツとした筋肉を持つ巨漢の戦士だ。
だが、注目すべきはその手元。
彼が握っているのは、身の丈ほどもある巨大なウォーハンマー──その先端には、脈動するような黄土色の宝玉が埋め込まれていた。
(……ほう)
リングに上がったラギウスは、そのハンマーを一瞥し、即座に『原作知識』と照合する。
(『地揺らしの戦鎚』か。中級ダンジョンのボスドロップ品。学生が個人で所有できるレベルの代物じゃない)
そのハンマーの能力は、強力な地属性魔法の発動。
地面を隆起させ、泥沼化させ、地形そのものを変えることができる。
(副会長キースからの『貸与品』だな。俺の機動力を奪い、接近戦に持ち込んで潰す算段か)
ラギウスの予想通り、試合開始の合図と共に、ガロンはハンマーを地面に叩きつけた。
「オラァァァァァッ!!」
ズズズズズズッ!!
轟音と共に、闘技場の石畳が波打つ。
ラギウスの足元の地面が液状化し、底なしの泥沼へと変貌した。
さらに、周囲からは鋭利な岩の棘が突き出し、逃げ道を塞ぐ。
『おおっとぉ!? ガロン選手、開始早々に地形を書き換えたぁぁっ! これは強力な地属性魔法だ! 足場を奪われたラギウス選手、身動きが取れません!』
ラギウスの足首が泥に沈む。
鎧が仇となり、動けば動くほど深く沈んでいく「蟻地獄」だ。
「へっ! どうだ平均野郎! 自慢の道具も、足場がなけりゃただの重りだろ!」
ガロンは岩の棘を足場にして跳躍し、ラギウスの頭上から襲い掛かる。
足場を奪い、高所からの攻撃。
戦術としては正解だ。
VIPルームでは、ベルンハルトが「それ見たことか」と笑みを深める。
「ククク……やはり凡骨。環境の変化に対応できていない。これで終わりですな」
だが。
泥に沈みゆくラギウスの顔に、焦りは微塵もなかった。
「……不快だ」
彼が気にしていたのは、敗北の危機ではない。
「泥が跳ねる。靴が汚れる。……湿気が多いのは、精密機器(狂騒具)のメンテナンスに悪影響だ」
彼は懐から、一本の扇子を取り出した。
白磁の骨組みに、薄氷のような布が張られた、美しい扇子。
『氷河の女王の吐息』。
北の果て、永久凍土の女王が愛用したとされる伝説の呪具。
一扇ぎで猛吹雪を呼び、周囲を絶対零度の世界へと変える戦略級の代物。
その呪いは──『極寒の孤独』。
使用者は、二度と「温もり」を感じることができなくなる。
体温だけでなく、人の情け、愛、希望といった「心の温もり」さえも凍り付き、永遠の孤独の中で精神が摩耗していく。
心を凍らせる呪い。
だが、『絶対自我』を持つラギウスにとっては──。
「……少し肌寒いな。だが、このジメジメした泥沼よりはマシだ」
ただの「強力な冷房器具」でしかなかった。
ガロンのハンマーが、ラギウスの脳天に迫る。
その直前。
ラギウスは優雅な手つきで、扇子を一回、パタリと扇いだ。
「──舗装するぞ」
ヒュオッ。
世界から、音が消えた。
色彩が消えた。
ただ、白一色の静寂が、闘技場を支配した。
パキキキキキキキキキッ!!
泥沼が、一瞬で凍結する。
突き出した岩の棘も、空中に舞っていた土埃も、そして──空中にいたガロンさえも。
全てが、ダイヤモンドダストの輝きの中に閉じ込められた。
『え……あ……?』
実況の声が裏返る。
観客たちは、目の前の光景を理解できず、口を半開きにして固まっていた。
猛毒の泥沼だった場所は、今や美しい「氷のスケートリンク」へと変わっていた。
その中央。
空中で氷漬けにされ、彫像のように固まったガロンの下を、ラギウスがカツカツと歩く。
泥は凍り付き、足場は強固な氷の床となった。
靴の汚れを氷で拭うようにして、彼は優雅に歩を進める。
「……除湿完了だ。次はもっとマシな場所を用意しろ」
ラギウスは扇子を閉じ、ガロンの(凍った)足先をコンと小突いた。
それだけで、ガロンの巨体はバランスを崩し、氷の床に無様に転がった。
カキン、という硬質な音が響く。
HPゲージは、凍結ダメージにより既にゼロ。
完全なる、沈黙の勝利。
★
ガシャンッ!
VIPルームで、ベルンハルトがワイングラスを取り落とした。
赤い液体が絨毯に広がるが、彼はそれに気づきもしない。
「ば、馬鹿な……! 地形を変えただと!? それも、一瞬で……!?」
彼は震える指で、眼下のラギウスを指差す。
「あんな……学生の魔力量で可能な芸当ではない! 天候操作など、宮廷魔導師クラスの大魔法だぞ!?」
「ええ。その通りです」
隣で、マリウス院長が身を乗り出していた。
その表情は、恐怖と、それ以上の知的好奇心に歪んでいる。
地形を変える。と言う点だけでいえば、ハンマーでも行われたが、こちらは『元から地面が持っている特性を少し変えただけ』だ。
加えて、『地中にしっかり自分の魔力を流す』というエネルギーは、ハンマーの衝撃によって広がっている。
非常にシンプルかつ、『思い通りに地面を弄るための効率的な考え方』がいくつも組み込まれたものだ。
ただ、あの扇子は違う。
「あの扇子……おそらく『氷河の女王の吐息』。国宝級の呪物です」
マリウスは呻くように呟く。
「それを、あんな『うちわ』感覚で……!? 呪いの代償を、完全に踏み倒しているとでもいうのか……?」
彼らの脳裏に、「平均的な凡骨」という評価は微塵も残っていなかった。
そこにいるのは、禁忌の力を子供の玩具のように弄ぶ、理解不能な怪物。
「……ゼスタ将軍。貴方は、とんでもない怪物を隠し持っていたのですね」
マリウスの言葉が、重く響く。
ラギウス・フォン・カルゼラード。
その名は今日この瞬間、学園内の一生徒から、帝国が警戒すべき「危険因子」へと、明確にランクアップしたのだった。




