第18話 第一回戦
『幻影の決闘場』。
すり鉢状になった闘技場の観客席は、立錐の余地もないほどの生徒たちで埋め尽くされていた。
初秋の空に、熱気が陽炎のように立ち上る。
『さぁぁぁぁて! お集まりの紳士淑女、そして血気盛んな生徒諸君! お待たせいたしました!』
会場全体に響き渡る声。
魔法拡声器を片手に実況席で叫んでいるのは、放送部部長のローランドだ。
蝶ネクタイにおかっぱ頭というコミカルな見た目だが、その実況の熱量と的確さには定評がある。
『今年の「秋季選抜トーナメント」は一味違う! 完全抽選による予測不能のマッチング! そしてアイテム使用無制限! 財力も、運も、全てを含めた「総合力」が試されるサバイバルだぁぁっ!』
ウオオオオッ! と歓声が上がる。
実況席の隣、解説役として座る副会長キースは、熱狂する生徒たちを眺めながら、冷ややかな笑みを浮かべていた。
(叫べ、愚民ども。これから始まるのは、身の程知らずの凡人が、実力者に叩き潰されるショーだ)
キースの手元には、あらかじめ仕組まれた対戦カードのリストがある。
シナリオ通り、第一試合でラギウスの心をへし折り、笑い者にする。
それが、生徒会の威信を守るための「正義」だと信じて疑わない。
『それでは第一試合! 選手の入場だぁぁっ!』
ローランドが手を振り上げる。
『赤コーナー! 生徒会執行委員にして、粉砕の重戦車! その巨斧は岩をも砕く! ガイル・フォン・バルトォォォッ!』
東のゲートから、ガイルが姿を現す。
全身を特注のミスリル鎧で固め、背丈ほどもある巨大な戦斧を軽々と担いでいる。
彼は観客席に向かって両手を上げ、自身の筋肉と装備を誇示するパフォーマンスを見せた。
「ガイル先輩! やってください!」
「あんな金持ちボンボン、一撃で沈めてやれ!」
黄色い声援と、男子生徒たちの野太いエールが飛ぶ。
ガイルは満足げに鼻を鳴らし、リング中央へと歩を進めた。
『対する青コーナー!』
ローランドの声のトーンが、少しだけ変わる。
困惑と、興味本位が入り混じったような響き。
『大貴族カルゼラード家の次期当主! その実力は未知数……というか成績はド平均! だが、噂によれば鉱山奪還の英雄とも!? 真偽のほどはいかに! ラギウス・フォン・カルゼラードォォッ!』
西のゲートが開く。
観客席が静まり返り、次いでパラパラとした拍手と、ヒソヒソ話が広がる。
「出たよ、ラギウスだ」
「なんか……普通だな」
「装備だけは高そうだけど、着られてる感すごくない?」
現れたラギウスは、あくまで「平均的」な体格の少年に過ぎなかった。
身に纏うのは、仕立てのいい軽装鎧。
腰には、禍々しい装飾が施された刀が一振り。
ガイルのような派手なパフォーマンスはない。
観客に手を振ることもなく、ただ淡々と、散歩でもするかのような足取りでリングへ上がる。
(……うるさい会場だ)
ラギウスは『絶対自我』で周囲の嘲笑や好奇の視線を遮断する。
彼にとって、この場は戦場ではない。
自らが開発した製品の性能を証明するための「展示会場」だ。
リング中央。
レフェリーを挟んで、二人が対峙する。
「へっ。逃げ出さずに来たことは褒めてやるよ、カルゼラード」
ガイルが見下ろすように笑う。
「だが、その減らず口もここまでだ。俺の『爆砕斧』で、その高いだけの装備ごと、お前のプライドを粉々にしてやる!」
「……」
ラギウスは答えない。
ただ、懐から一枚のクリスタル──『記録結晶』を取り出し、宙に浮かせただけだ。
それは、ミリアが調整した、戦闘データを自動記録するための魔導具だった。
「無視か……ッ! その態度が気に入らねぇんだよ!」
ガイルが顔を真っ赤にして斧を構える。
「両者、構え!」
レフェリーが手を上げる。
会場の空気が張り詰める。
「始めッ!」
ゴング代わりの号砲が鳴った瞬間。
「オラァァァァッ!!」
ガイルが大地を蹴った。
重装備とは思えない突進速度。
振り上げられた戦斧には、土属性の魔力が圧縮され、黄色い光を放っている。
『おおっといきなりだ! ガイル選手の必殺、「バルト・インパクト」がいきなり炸裂するかぁぁっ!?』
まともに受ければ、幻影結界内といえどもHPが全損しかねない一撃。
だが、ラギウスは動かない。
避ける素振りも見せず、ただ右手をかざした。
その手には、いつの間にか一枚の「鏡」のような盾が握られていた。
「死ねェッ!」
ガイルの斧が振り下ろされる。
誰もがラギウスの敗北を確信した、その時。
「……展開」
ラギウスが小さく呟く。
鏡の盾が、ギラリと妖しく輝いた。
『ナルキッソスの盾』。
受けた魔力や衝撃を、倍の威力で反射するカウンター特化の盾。
だが、その代償は──。
『醜イ……醜イゾ……オ前ハ、世界デ一番醜悪ダ……ッ!』
盾の表面に映った自分の顔が、腐り落ちたゾンビのように歪んで見える。
そして、「自分はなんて醜いんだ」という強烈な自己嫌悪と絶望が、使用者の精神を破壊する。
普通の人間なら、盾を見ることもできず、その場で泣き崩れて自殺しかねない精神攻撃。
だが。
「……チッ。相変わらず映りの悪い鏡だ。俺の顔が歪んで見える。不良品か?」
ラギウスの感想は、それだけだった。
自己嫌悪など微塵も感じない。
ただ、「鏡としての画質が悪い」という不満だけ。
ドォォォォォンッ!!
ガイルの斧が盾に直撃する。
瞬間、盾の表面が波打ち、吸収された衝撃が倍加して吐き出された。
「な、あ……ッ!?」
ガイルの目が見開かれる。
自分の全力の一撃が、そのまま自分の腕に跳ね返ってきたのだ。
バギィィンッ!
斧が弾かれ、ガイルの巨体がボールのように後方へ吹き飛ぶ。
『な、なななーんとぉっ!? ラギウス選手、一歩も動かずにガイル選手の必殺技を弾き返したぁぁぁっ!』
会場が静まり返る。
何が起きたのか理解できない。
平均的な魔力しかないラギウスが、なぜ格上の攻撃を防ぎ、あまつさえ吹き飛ばせたのか。
「ぐ、ウオオオォォッ……!」
ガイルは地面を転がり、何とか立ち上がった。
幻影結界のおかげで骨折はしていないが、HPゲージは半分近く削れている。
「き、貴様……何をした!? 今の盾は……!」
「『ナルキッソスの盾』。攻撃反射の呪具だ」
ラギウスは、こともなげにネタ晴らしをする。
隠す必要はない。これは「発表会」なのだから。
「反射率は200%。だが、精神汚染のノイズが酷い。……ミリアに言って、遮音性を高める必要があるな。周囲の声すら少し聞き取りにくい。戦場で聴覚を制限されると厄介だ」
ラギウスはブツブツと独り言を言いながら、盾を収納し、腰の刀に手をかけた。
「さて。防御性能のテストは終わりだ。次は攻撃力のテストに移る」
鯉口を切る音。
その瞬間、コロシアムの空気が一変した。
ドクンッ……。
心臓を直接握られたような圧迫感。
ラギウスが引き抜いたのは、禍々しい赤黒いオーラを放つ妖刀──『妖刀村正・血桜総大将』。
『斬レ! 殺セ! 皆殺シダァァァッ!』
無差別殺戮の呪いが、ラギウスの腕を支配しようと暴れ回る。
観客席の生徒たちですら、その異様な殺気に肌を粟立たせた。
「ひっ……なんだ、あの剣……!?」
「見てるだけで、寒気が……!」
ガイルの顔が引きつる。
本能が告げている。あれは、学生が試合で振るっていい代物ではないと。
「ま、待て! そんな危険なものを……!」
「安心しろ。制御は完璧だ」
ラギウスは涼しい顔で、暴れる刀の切っ先を、ピタリとガイルに向けた。
「対象は前方一名。……観客席には飛ばすなよ? 血の掃除が面倒だ」
まるで駄犬に言い聞かせるように呟き、ラギウスは一歩踏み込む。
速度は平均的。
剣技も教科書通り。
だが、その一振りに乗せられた「呪い」の出力が、桁違いだった。
「実験開始」
一閃。
ヒュオオオオオォォォッ!!
刀身から放たれた赤い斬撃が、無数の桜の花弁となって拡散し、嵐となってガイルを襲う。
防御など意味をなさない。
広範囲、高威力、そしてガード不可の「呪いの斬撃」。
「ギャアアアアアアアッ!?」
ガイルの悲鳴がかき消される。
赤い嵐が通り過ぎた後、そこには、白目を剥いて倒れ伏すガイルの姿があった。
HPゲージは完全にゼロ。
幻影結界の強制転送が発動し、彼の体は光の粒子となって消えていく。
勝負あり。
一瞬の出来事だった。
『……え、あ……』
実況のローランドですら言葉を失う。
会場は、水を打ったように静まり返っていた。
誰もが、目の前の光景を信じられずにいた。
平均的な生徒が、準優勝候補を、手も足も出させずに瞬殺した。
それも、「道具の力」だけで。
「……ふむ。出力は良好だが、燃費が悪いな。魔力消費を抑える改良が必要か」
静寂の中、ラギウスの声だけが響く。
彼は勝利の余韻に浸ることもなく、手元の記録結晶を確認し、刀を鞘に納めた。
パチン、という音が、呪縛を解く合図のように会場に響く。
「しょ、勝者! ラギウス・フォン・カルゼラードォォッ!!」
遅れて響いた実況の声に、観客たちがようやく我に返る。
ざわめきが、驚愕と恐怖の波となって広がる中。
貴賓席のバルコニーで、イリスディーナだけが、ゆったりと足を組み替えていた。
「……素晴らしい」
彼女の口元が、三日月のように歪む。
「道具に使われるのではなく、道具を従える。……それこそが、貴方の『強さ』なのですね」
彼女の瞳は、リングを降りるラギウスの背中から離れない。
その熱視線を知ってか知らずか、ラギウスは退屈そうに欠伸を一つ。
「さて、次の実験体……いや、対戦相手は誰だ? 早めに終わらせて、ミリアにレポートを提出せねば」
帝王の「新製品発表会」は、まだ始まったばかりである。




