沙羅さんのお目覚め
久遠沙羅の朝は遅い。
というか、もう既に正午を回っているが。
「ふぁ~あ……」
彼女は大あくびしつつ、上半身を起こした。
そしてしばしの間、ベッドの上で「むぐむぐ」と口の中で眠気を噛みしめた後、おもむろに立ち上がり、パジャマ姿のままでテレビの前に胡座をかく。
それは22才の若い女性としては、なんとも色気の無い姿だった。
ただし、身だしなみさえしっかりと整えていれば、沙羅がなかなかの美形であることだけは、今の寝起き直後の顔からも容易に分かる。
元がいいから、多少乱れてもさほどその魅力を損なっておらず、むしろ愛嬌が増したとさえ見ることができるのかもしれない。
もっとも、まるで眉間を隠そうとしているかのように、一房だけ長く伸びた前髪は殆ど口元に届きそうで、それはかなり個性的だと言わざるを得なかった。
これを手放しで誉める人間は、おそらく少数派だろう。
しかし、それを問題視するくらいなら、本人も最初から別の髪型にするだろうし、おそらくは望んでそうしているに違いない。
そのような性質もひっくるめて、沙羅は個性的な娘であった。
ピッ。
沙羅はテレビのリモコンを持ち上げて主電源を入れ、それから全チャンネルに一通り目を通す。
だが、いまいち興味をそそられる番組がなかったらしく、彼女はたゲーム機の主電源を入れた。
そのゲーム機には複数のロムカセットやメモリーカード、果てはフラッシュメモリ等の差し込み口の他に、CDもしくはDVD・ブルーレイの挿入トレイがあり、一体大元が何だったのか分からないほどの改造が施されていた。
しかもハードディスクやキーボード、マウス等が取り付けられているところを見ると、パソコンのOS等もインストールされている上に、インターネットやテレビ番組の録画にも対応できるらしい。
異様に高い機種互換性と、無駄とも思えるほどの多機能を誇ってはいるが、これを量産して市場に流せば確実に複数の企業から権利侵害で訴えられるであろうことは間違い無いという、危険な代物であるように見える。
ちなみにその傍らでは、これまた怪しげなハードが静かに引退の時を待っていた。
フロッピーディスクの挿入口があるのはまだしも、カセットテープが読み込めるようになっている辺りは、最早旧世紀の遺物としか言いようがない。
……一体彼女は何年、いや十何年前からこのような海賊版じみたハードを使用していたのだろうか?
それはともかく、スイッチを入れて数秒後──。
予めソフトをセットしていたのか、某有名RPGのタイトル画面がテレビモニターに浮かびあがり、お馴染みのテーマソングが流れてきた。
沙羅は躊躇無く「つづきから」の項目にカーソルを移し、セーブデータの呼び出し画面を開く。
そこに表示されたセーブデータは、優にプレイタイムが150時間を超えていた。
そこそこ、いや、一般の社会人としてならば、かなりやり込んでいる部類だろう。
そして沙羅は、当然の如くゲームを開始する。
平日の正午過ぎに起床し、そのままテレビゲームに興じるとは大層なご身分であった。
勿論、「昨日は夜勤だったので今日は休み」などという真っ当な理由があるのならば、これくらいの自堕落は許されよう。
だが、沙羅は昨日も深夜までゲームをしていた。
ついでに言うならその前日も、いや、ここ一週間ほどを遡っても、ず~っとゲームばかりをしていた。
普通の社会人には有り得ない姿である。
しかも沙羅には、現在学生で長期休暇中という事実は無いし、無職だという訳でもない。
ただ単に仕事をしたくても、その肝心の仕事の予定が今は入っていないだけなのだ。
「あ~あ、暇だなぁ~……」
「だったら依頼人を捕まえてくるか、アルバイトでも探してきなさい!」
「!?」
怒号とともに、スパーン! と、小気味良い音が沙羅の後頭部から上がった。
沙羅は痛みをこらえつつ、驚愕の表情で慌てて振り返る。
先ほどまでこの部屋の中に、自分以外の人間の気配は無かったはずなのに、いきなり後頭部に衝撃を受けたからだ。
そこには若い女性の姿があった。
年は沙羅より少し上の、25~26才くらいといったところか。
一分の隙もないほどピシッとスーツを着こなし、意志の強さを眼光に宿した力強い顔立ちをした彼女の佇まいは、一流のOL……いや社長秘書を彷彿とさせるものがある。
一方で臀部を隠すほど長く伸ばした艶やかでクセの無い黒髪は、古き良き時代の日本を感じさせるものがあった。
最早絶滅危惧種である大和撫子とは、このような女性のことを言うのかもしれない。
だが、そんな大和撫子の右手には、塩化ビニール製のスリッパが握られているのだから、激しい違和感を抱かせた。
しかも油性ペンで 「トイレ用」 とか書いてあるし。
どうやら彼女は、それで沙羅の後頭部をはたいたらしい。
「か……母さん」
沙羅は、さほど年齢が変わらないように見える女性に対して、そう呼んだ。
「母さんはやめなさい、母さんは。
私はまだそんなに老けてないから。
人前では『綾香さん』と呼びなさい……って言っているでしょ」
「……あなたが義理の母だというのならば、その訴えには正当性があると思うけど、成人している実の娘を持つ人の何処に、そんな正当性があるのさ……」
やや心外そうな綾香の言葉に、沙羅は酷く億劫そうに、かつ事務的な調子で言葉を返す。
おそらくこれまでにも同じような会話が、幾度となく繰り返されてきたのだろう。
そして、そんな彼女の反論に対して綾香は、
「この見た目で十分でしょう」
と、キッパリ言い放った。
沙羅はある程度その返事を予想していたのか、「ああ、そうですか」と投げやりに返す。
しかし実際に綾香の見た目が若いのは事実で、とても成人している子供がいるとは思えない。
おそらく実年齢は、軽く40才に届いているだろうに……。
「ともかく、いい若い者が昼間からゴロゴロしていないで、労働に勤しみなさい」
(見た目に反して年寄り臭いことを……)
と、沙羅は嫌味の一つも返したい気分であったが、嫌味が数倍になって返ってくることは目に見えていたので、なんとか自重する。
口ではおばちゃんに勝てるはずがないのだ。
「でも、肝心の仕事の依頼が無いんだよね~。
それに無理して働かなくたって、2~3年は遊んで暮らせるだけの経済的ゆとりはあるし……」
生活の為に日夜必死で働いている人々に聞かせたら刺されかねないような台詞を、沙羅は気だるそうに呟いた。
全く労働意欲がゼロいった感じである。
「でも、依頼があれば受けるわよね?
うちに来る依頼は深刻なものが多いんだから、急病人をたらい回しにする何処ぞの病院みたいな真似はしないでしょ?」
「そりゃあ、まあ……って」
沙羅はここでハッと気がつく。
「依頼持ってきたの?
そういえばさっき、『人前では』とか言っていたし」
そして沙羅は部屋の入り口に、かなり居心地の悪そうな様子で佇む女性──いや、 まだ十代半ばの少女のようだ──の姿を見つける。
なんとなく純朴で気弱そうな雰囲気をした高校生くらいの女の子で、ちょっと野暮ったい黒縁のメガネがポイントだ。
「依頼者の麻生奈緒深さんよ。
なんだか霊気を身体にまとわりつかせて、深刻な顔して道を歩いてたから拾ってきたんだけどね」
「なっ!? なんでこっちに連れて来るのさ!
下の事務所に待たせておけばいいじゃないっ!!」
寝起き姿そのままの醜態を、見ず知らずの他人の前に晒してしまった沙羅は、狼狽した様子で慌てて身繕いを始めた。
主人公は私の別作品『おかあさんがいつも一緒』に登場している久遠理沙の姉です。
では、また来週。




