人の間の、引力の虹【その12】
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本日、第6章【その11】(前話)と【その12】(今話:最終話)を、2話連続投稿しております。
閲覧の際には、話数をご確認下さい。
「ナディ……僕は、僕達は――異能者である前に、人間だ」
「フェフ……?」
ナウディーザの背に回されたフェフの腕が、力を増す。そこから伝わる強靱な意志に、怖れ震えるだけだった彼女の感情が少し凪ぐ。
「だから、選ばなければならないのなら……僕は、僕達は『人間』であることを選ばなきゃいけない。そう、選びたい。ナディ……君にも同じことを願うよ」
強い口調でフェフは請うた。そして顔を上げ、対峙する『人ならぬもの』達に向き直る。彼らはフェフ達の方を見つめていた。
《変容と還元の御方よ――名と姿を得た御身であるならば、予の望みを分かっていただけよう。》
「――ならぬ。其は望んではならぬ。望むことを許されるは、人のみ。
人を捕らえてはならぬ。捕らえることを許されるは、自ら望んだ人のみ」
《ならば、予が子らに望まれれば。》
「其は望まれぬ。尋ねるがよい、オスク。其がいくら呼び迎え、守ろうとしても、誰一人それを望みはせぬ。『盟約』を反し、其が干渉し与えたその力を、誰一人望みはせぬ。誰一人、掴み続けようとはせぬ」
“隊長”が、重々しい口調と共に、フェフ達の方を指さした。その動きに合わせて“ソーン補佐官さん”の姿をした者が、彼らに近づく。
《予の愛し子よ。予が力を与えし人の子よ。
――予を望むか? 予に名と姿を与え繰るか?》
多重に響くその声には、僅かな怖れが秘められていた。
「望まない」
「要らないっ」
フェフとナウディーザは、同時に叫んでいた。目の前のものを取り巻く陽炎のような赤金の光が、大きく揺らめいた。
「僕は、あなたを望みません。名も知らぬ神よ。僕は、あなたが呼んだように『人の子』です。僕が望み、望まれてきたのは、その『人の子』しての生。それ以上は望みません」
「我が神……御方様の“愛し子”は、もう失われたのです……わたしは、愛し子ではない……わたしを、人に、戻して……っ」
強い覚悟で示されるフェフの意志。嘆きと葛藤の末に選ばれたナウディーザの意志。
いずれも、人を選んだ。
《なぜ……嘆きをもち、苦しみをもち、強大な力を望み、その力に縋る祈りを捧げながら、なぜ人は神を選ばぬ……変容と還元の御方よ、予には分からぬ。》
その声は絶望の色を纏っていた。それに、さらなる冷厳な声がのし掛かる。
「真、人の強さよ。オスク、其が誤ったのだ。『盟約』もまた同じ。
吾も其も皆全て、人が『神』と名付いただけの存在にすぎぬ。無謬ではない」
隊長の姿をした者は、今度はオスク神をその身に宿す彼に向き直り、その手をかざした。
「吾、盟約の履行者たる者。オスクよ、もはや許される時は過ぎた。
其の名を呼ぶ者はもう居らぬ。其が人を呼ぶことも叶わぬ。盟約の連環に戻るがよい」
《御方よ! 予は……っ》
固く閉じられた目のまま、オスク神である者は『履行者』を見つめ縋る。
『変容と還元』を司る、神々の力さえ変え得る『盟約の担い手』。彼の御方によって『盟約』の内に戻されれば、もう彼の神の望みは叶わない。フサルク神同様、人を愛しんでいた彼の神だからこそ、盟約に従えなかった。フサルク神は、人に“名”を残した。名を呼ばれることで、人に干渉する許しを得た。同じ望みは、なぜ果たされない――。
そんな神の嘆きを振り払うように、『盟約の履行者』はその責を果たすために一歩足を進めた。
「哀しき哉。なれど、『盟約』の定めには逆らえぬ。
――それに、な。オスク。それは、吾が望みし覡だ。いつまでも、勝手に使うんじゃねえ。返して貰うぞ」
突然“いつもの隊長”口調に戻った彼は、愛おしげな表情を浮かべて軽くその手を振った。その動きに合わせ、陽炎のように覆っていた赤金の輝きが、衣をはぎ取られるようにはためいて集約する。“隊長”と“ソーン補佐官さん”の間に、球形の光球が生じた。
「――ソーン」
「言われずとも、我が君」
フェフの耳に、この2年で聞き慣れた声色が届く。冷厳さはそのままの、玲瓏な声。限りない人への愛が込められた、母の厳しさを持つソーン補佐官さんの声。
背の高い、秀麗な姿。地を掃くほどの長い虹色の髪はそのままに、ようやく見開かれた瞳には、太古の闇を映し出す漆黒の中に遊色が煌めく。彼はフェフに向けていたものとはまた異なる哀憐の表情を浮かべ、虚空にたゆたう赤金に輝く光球に手を差し伸べた。
「――我が捕らえし力の下に。我が君アンスーズの名の下に。今『盟約』は履行されましょう。連環に戻られよ、呼び迎えの御方。還られよ、本来の場所に」
その長い髪が、光りながら砂のように崩れてゆく。キラキラと輝く残滓が、光球を取り囲む。それは、砕けた蛋白石の結晶のような光の棘となり、茨のごとく光球に絡みつき――そのまま収束して消えていった。後には虚空だけが残る。月光に照らされた大地に、露が光るだけだった。
* * *
静寂が訪れた。
誰も一言も発しない。抱き合ったままのフェフとナウディーザは、目の前で起きた“神の奇跡”に言葉も出なかった。彼らの目の前に残るのは、フェフにとって見慣れた姿の二人。見上げるほどに長身の隊長と、秀麗な補佐官さん。その色も姿も“いつもの”ものだ。
ソーン補佐官さんは、静かに隊長の元に歩み寄って側に立っている。二人がそれぞれに浮かべる表情は、いつか見た満足げな微笑み。少しだけ眇められた目尻が、仄かな寂しさを感じさせた。
「ソーンさん……」
「フェフ。私は貴方に、謝らねばなりませんね」
穏やかに彼は微笑む。冷厳さを超越する恐さを感じさせていた「ソーン補佐官」としての笑みではなく、慈母の笑み。初めて見る、穏やかな笑みだった。
「……っ! 謝るなんて……っ! 僕は、僕達は、あなたにどれほどの責を……」
「そういうことではありませんよ、フェフ」
金と水晶を鳴らすような、穏やかに澄んだ声が響く。満ち足りた思いを告げるその声は、月光だけが照らす静寂の中を静かに渡って、フェフに届けられた。
「私が謝るのは、貴方を構い過ぎたことですよ。貴方を見誤りました。フェフ、貴方は私などの助けがなくても、道を違えることはなかったでしょう。こればかりは、我が君の言う通りでしたね……それを認めるのは、本当に忌々しいことですが」
「ソーン、お前、言うに事欠いて、その言い草か?」
「黙っていてください、我が君。今は貴方の出番では無い」
穏やかな口調も態度もそのままに、告げられた言葉に込められた想いは深く重いものでありながら。ソーンの態度もそれを受けるアンスーズの態度も“いつものように”ぞんざいで、心が締め付けられるほどに懐かしかった。
「フェフ。貴方が知り得たことは、忘れられてもよいものです。ですが、私はそれを知ろうとすることを、覚えておこうとすることを、止めません。“私達”のことを知った人間が、どう考え、どう行動するか。それは貴方がた“人間”が決めることです」
重い荷を、自ら選んで負い続けてきた人。自らを“人に在らざるモノ”【異人】と称したこの人は、誰よりも人間だった。例え本人が認めようとしなくても、誰もがそう考えるはずだ。
きっと。
フェフは思う。
きっと、自分と同じように彼らのことを知り得た人は、誰もが彼らのことを覚え続けてきたはずだ。そうしてこのルーニックという国を作り上げてきたはずだ。
だって、人は“支え合う”ものだ。人同士、お互いの望みを叶えるための手を伸ばす。そのために、自分たちの手はあるのだ。
「ソーンさん……僕は【ドルヴィ】として軍に残ります。そして、僕が『最後のドルヴィ』になってみせます。この力を誇りに思い、どんな痛みも苦しみも受け止めて、喜びと同じように受け取れるように。人の間で、この生を終えたいと思います。
見ていて下さい。僕の行く末を。僕が選んだ道の果てを。僕が振り返りながらも、歩み続ける道を」
フェフは笑った。精一杯の感謝と覚悟を込めて。
一切の後悔を感じさせないよう、強く強く、笑った。
「…………ありがとう、フェフ。貴方を『自分のようになるかもしれない』と捉えたことが、本当に恥ずかしいくらいですよ。
――私は、私の選択を、後悔していません。だから、貴方も。
さようなら、フェフ。貴方は、人の間を繋ぐ虹の子。過去にも、未来にも、貴方の微笑みで虹がかかりますように」
月光に照らされたソーンの笑みもまた、美しかった。フェフは雨上がりの空を彩る虹を見上げる子どものように、ただただその美しさを心に焼き付けた。
「だから人は面白い。ソーンが素直になるとはな。大したものだ」
「うるさいですよ、我が君。調子に乗るのも、いい加減になさい。第一、全ての元凶は御方達じゃないですか。自分たちで決めた約束くらい、ちゃんと守りなさい」
「俺は守ってるさ、他の奴らが悪い」
「ならば、さっさと他も取り締まりなさい。たった一柱の始末をつけるのに、どれだけ時間がかかったと……っ」
「こっちにも都合ってもんがあるんだよ。盟約の連環は、そう簡単なもんじゃねえんだ、諦めろ」
「嫌です」
言葉を交わす者達自身も、交わされる話の内容も、到底軽いものではないはずなのに、どこまでも彼らの口調はぞんざいで――解き放つことの出来ない強い固縛を感じさせるものだった。“互いに望んだ”、虜囚達。捕らえ続け、囚われ続けることを望んだ者達。
「ああ……うるさいのが戻ってきやがった……。 おい、フェフ!」
「は、はいっ?!」
哀愁が漂い始めていた空間を、アンスーズ隊長の楽しげな声が振り払う。つい習慣でかけられた声に向き直ったフェフは、彼の瞳に浮かぶ懐かしい色に身構えた。口元も緩み、心底楽しそうな笑みが浮かんでいる。――この2年で何度も見た『自分だけが楽しくて、他の人にとっては至極迷惑千万なことを企んでいる時の笑み』
「た、隊長? 一体何を企んでいるんですかっ?!」
「おっと、勘がいいな、フェフ」
ニヤリと笑いを返し、彼はフェフとその脇で彼にしがみついたままのナウディーザに近づいた。そしてフェフの頭をぽんぽんと叩く。優しく二回。いつもの動作。
「後のことは心配するな。適当に誤魔化しておくさ。終わったら、とりあえず本部に戻れ。話は通しておいてやる」
「だから、何の話ですか! 終わったらって、何が!」
その顔に浮かんだ表情は、フェフが今までで見たどの笑みよりも、軽快で明るい悪辣さを持っていた。
「せっかくの『初恋の君』だ。“母”に見せてやれ、送ってやる」
「な、な、な、な……なんてこと言うんですかーーーーっ」
ボンッと音がしそうな程にフェフが赤面する。ナウディーザも同様だ。なんて楽しくて、愛おしい、『人間らしい』光景。
「お前の“母”は、ヤーラは『異能者で無くなること』を選んだ。今は“只人”として、同じ選択をした者達と暮らしている。ちょっと遠いからな、送ってやろう。ヤーラによろしくな」
おたおたするだけのフェフとナウディーザは、その隊長の言葉を追うだけで精一杯だった。何が果たされようとしているのか、想像する頭が働かない。それでも彼らがまだ互いに手を組み合わせた状態であることが、微笑ましい。
もう一度、フェフの頭がぽんぽんと叩かれる。激励するように、二回。別れを告げるように、再び二回。
「またな、フェフ。いつか連環の先で会おう。
――強き者よ、その名は人なり。変わりゆく者よ、その無二に祝福を」
その言葉と共に、柔らかい乳白色の光がフェフとナウディーザを包み込んだ。フェフが手をのばし、何かを言おうとしている。だがその手も声も届くこと無く――二人の姿は消えた。再びの静寂が戻ってくる。
月光に照らし出される人影は二つだけ。
* * *
「…………また勝手に再会を約して。御方、人を好き過ぎませんか?」
「いいだろうが、俺の勝手だ。放っておいても、フェフのことだ。そのうち“呼ばれ”かねん。だったら、約束しておいた方が余計なことをしないだろう?」
「甘いですよ、人間の執着心を侮らないでください。御方、私で懲りないんですか? 今までにも、どれだけかつての部下たちに付きまとわれて、振り切るのが大変だったことか……」
ソーンが、その秀麗な顔を歪ませて、珍しい苦渋の表情を浮かべる。自分がこの相手に示した何者をも凌駕しそうな執着を理解しているからこその、苦渋だった。
「そもそも。御方は好きな姿や見目を選べますが、私はこの姿に縛られているのですよ? そうそう共に過ごした相手の近くには長く留まれないというのに、いつもいつも勝手に再会を約して。おかげで今期は、ずっと軍に縛られる羽目になりましたよ」
「そういや、奴もしつこい性格だったな。いつの間にか偉くなっていたもんだ」
飄々と、まるで他人事のようにアンスーズは嘯く。彼が今の姿をとって10年ばかり。“軍団兵”になったのは、ほぼ30年ぶりだった。そうやって、彼らはこのルーニックという国を渡り歩いてきた。人の間に架けられた、やがて消えゆく虹の橋を渡り、人の間で息づいてきた。
さて今度はどうするか。ソーンは、しばし考える。
さすがに軍は、しばらく無理だ。行政府は前回、市井は前々回。どこで新しい“種”を蒔こうか。
「……“種”が芽吹き、花咲かせるまでには時間がかかるのですよ、我が君。その“花”を見たい気持ちは分かりますが、急ぐ必要はありません。私達には、有り余る年月がある。
種は蒔かれました。後は、『水』と『陽』が育んでくれることでしょう。
私達はそれとは違う、自分の成すべき事を成さねばならない。私の望みを、御方は叶えねばならない。
我が君、御方は私のものだ。
手放すことなどありえない。
連環に戻ることなど許さない。
御方はアンスーズ、そして私はソーン……永久に御方の“茨の鎖”。
それは御方でさえ変容させることのできない、人間の力」
その感情を何と呼べばいいのか、もう思い出すことも出来ない。
自分の選択の果てを、ソーンはいつも前を向いて見つめてきた。そのことを後悔することは、ない。
やがて薄明が還元の火祭りの終焉を告げてくる。還元の時は終わり、新しい変容の朝が訪れる。至極色に染まる薄明の空。多様な色が刻々と変化し、新しい明日を連れてくる。
人は、望んで変わりゆくことが出来る。望んで変わらずにいることも出来る。
変容することも、還元することも。全ては、強大な人の力だ。それを心から愛おしいと思う。“神”にも奪わせぬ、人の未来。
「さて……どうやってフェフのことを誤魔化すかな?」
「私は知りませんよ? 安請け合いしたのは、我が君ですからね? どうぞ、ご存分に彼らに追求されてきて下さい。最後の良い思い出となることでしょう」
「お前、そこは昔っから変わらんな。その性格、少しは直そうと思わんのか?」
「嫌です。御方の方こそ、あまりに“人間らしく”なり過ぎです。少しは態度を加減なさい」
「そんなの、面白くねえ」
二人は兵営に向けて歩き出した。一歩、また一歩と、その足で大地を踏みしめる。
どこにでも繋がる空と大地。その狭間で人は生きてゆく。越えられないものなど、ない。
「そうだ。今度は久しぶりに女の姿になってやろうか?」
「何を馬鹿なことを。あの時の悪夢を繰り返したいのですか? 冗談じゃない」
「あれが、一番お前が“らしくない”暮らし方をしていたからな。面白かっただろう? たまにはお前を変容させてやろう」
「だから、嫌です」
払暁の空から光が生じる。新しい夜明け。何一つ同じではいられない、変容する朝。
誰にでも等しく訪れるその光を浴びて、彼らは在るべき場所へと歩を進めた。
ありふれた日常が終わり、新しい日常が始まる。
【東北国境守備隊第25隊の隊長さんと部下達の日常】――おわり。
これにて終話です。
お読み下さいまして、本当にありがとうございました。
「第25隊の」彼らとしての日常は終わりますが、彼ら自身の日常はまだまだ続きます。それぞれの行く末を、皆様の心に描いて頂ければ幸いです。
作者自身の手で、アンスーズとソーンの「終わり」をいつか描きたい、と願っていましたが、今のところ彼らが動いてくれません……終わるつもりがない登場人物のようです(笑)
少し落ち着いたら、命名由来などの設定ネタバレ付きの登場人物紹介を作成したいと思っています。興味がおありでしたらお待ちください。
長くお付き合い下さいまして、本当にありがとうございました。意欲と激励を下さいました読者の皆様に、評価やブックマークで心からの応援を下さいました皆様に、改めて感謝申し上げます。
ありがとうございました。




