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人の間の、引力の虹【その7】



「それで。私にどう誤魔化せと?」

「適当でいい。そんな長い間じゃねえよ……どうせ、すぐに多くが異動する。それまでの間、あのお嬢ちゃんの存在を認めてくれたら、それでいい。ああ、当然フェフのことも記録には残すなよ? 後、面倒だからケーンにもお前さんから言っておいてくれや」


 その夜。夕食後の団欒の場は、今回の『予期せぬ客』についての話題で持ちきりだった。ともかくも隊員達に示された情報は事実の通りで、フェフの能力行使によって“たまたま”波長が合った人間が呼ばれただけ――そういうことになったらしい。

 当の本人達はまだ客間に引っ込んだまま――なお、こっそり様子を伺いにいったエイリムとオウンのいつも物見高い幼馴染み組は、早々にウリヤンドに見つかり、罰として夕食の片付け係を押しつけられている。それはともかく、当事者達との顔合わせもないままであったが、それは明日以降、彼女が落ち着いてからという隊長とウリヤンド所長の言に、隊員達は不承不承引っ込んだ。

 そして隊員達が各自の部屋に散った後、隊長は役付き達を集めて今後の話を進めた。町に使いに出ていたラーグ班長も、女物の着替えや小物をストライフ兵営長の細君から託され戻って来ていた。ティンネの為にとってあったという姉娘の古着が2着と数点の下着、紐で調整できる簡易の靴、櫛や髪紐、肌触りのよい手拭いなど、急な依頼であったにも関わらずさすがの支度だった。

 ともかくも食事をとり、身を清めて夜着に着替えたナウディーザは、心の疲れもあったのだろう、しばらくの後に再び眠りについた。――彼女の食事に、安眠をもたらす薬草が使われていたことを、フェフは後から聞かされた。

 フェフも加わり、隊長執務室はやや緊張した空気に包まれる。隊長は、まずウリヤンドに今回の件を内密にするよう命じた。彼としても大仰にするつもりは毛頭無く、即座にケーン事務官への説得内容を頭の中で組み立てる。彼を丸め込むのが一番面倒かも知れない。


「どうせ私が代理兵営長なのはあと数日、還元の火祭り(サムハイン)までですからね。ケーンを上手く説得して見せましょう」

「頼もしいな、そりゃ。ラーグ、ストライフやティールにはどう伝えた?」

「そのままです。一応、奥様には口止めはしておきました。町衆には漏れていません」

「ならいい。イース、ラーグ。後はあいつ等の手綱をちゃんと握っておけ?」

「了解です。第三班が戻ったらどうします?」

「その頃までには何とかするさ」


 次の交替までは後8日。そんな短い間でなんとかなるようなものとは思えないが、ともかくも今後の方針は定まった。

 しばらくの間、ナウディーザは『内緒のお客』として兵営に留まる。世話をするのはフェフ副長。少しずつ彼女から話を聞き、彼女を安心させ、彼女の身の振り方を考える。隊員達との接触を禁止はしないが、彼女が望まない接触は厳禁。三階へは立ち入り禁止、とまで決まった。


「ということで、フェフ。お前も客間に移れ。ソーンの奴の部屋でもいいぞ?」

「補佐官さんの部屋を勝手に使ったりしたら、後が怖ろしいです。客間で結構です!」


 ブンブンと大きく頭を振って固辞するフェフを、皆が当然のものとして受け止める。いずれにせよ異動の季節。習慣として、辞令が下りる前から軍団派遣兵達は持ち物の整理を始めているため、部屋の移動は大した手間ではない。


「それで、だ。おい、ウリヤンド」

「はい、こちらです」


 話を切り替えて、隊長はウリヤンドから2通の封印された書面を受け取る。その見慣れた書類形式に、イース達の顔が一瞬の緊張をはらむ。


「待ちに待った辞令だ。受け取れ。他の奴らには明日渡す」

「…………受諾します」


 覚悟しているとはいえ、いつもこの一瞬は慣れない。今度はどこで花咲かせることになるだろうか、どこで傷を負い、生命を賭けることになるだろうか。いつもよりも丁寧に行う軍敬礼の後に受け取ったその書面は、常よりも重く感じられた。


「……隊長、僕には?」

「お前は保留だ。だがここ(・・)には居られねえ。ものはついでだ、ちゃんと異動の心づもりをしておけ。――いつでも離れられるように、な」

「…………はい」


 フェフも覚悟はしていたつもりだった。それとはなしに、コールにも別れの可能性を伝えている。コール達町衆にしても、軍団派遣兵との出会いと別れは平常のことであり、コール自身にも悲壮感はない。


『ボクが成人する時の祝宴には、休暇を取って来てくださいね! あと、結婚する時にも呼びますから!! フェフさんが結婚する時にも呼んでください!! あっ、【能力】で呼んで欲しいって意味じゃないですよ、お知らせしてくれたら、ちゃんと自分の足で行きますから!!』


 寂しさはそのままに、だがそれを“終わり”とは一切考えていないことが明らかな表情で、コール少年はフェフに軽やかに宣言した。本来なら常に戦場に立つ【軍の能力者(ドルヴィ)】達。その身の危うさを知らない訳ではないのに、コールは再会を一切疑わない。

 彼の資質は得難いものだ。物事の本質を決して見誤らない、純粋で直感力に優れる類い希な心。この2年、それにどれほど救われてきたか。フェフが“人”としての自分を繋ぎ止める鎖となってきてくれたことか。

 このままここに居たい、と願う気持ちはある。だが、それを是としない自分もいる。もう逃げないと決めた。もう怯えないと決めた。もう、誰にも縋らないと決めた。

 誰に対しても対等な、支え合い、助け合う相手でありたいと願う。皆が望んでくれたように。


「ところで、隊長と補佐官さんは?」

「ん、俺らか? 当然ここからは居なくなるさ。行き先は言わねえ、またお前等に付いてこられちゃ、迷惑だ」

「迷惑ってひどいじゃないですか! せっかく、こんないい加減で出鱈目な上司を慕って付いていったってのに!!」

「お前等がそのために“やらかした”ことで、俺がどんだけソーンの奴に嫌みを言われたと思う?! もうあんなのはゴメンだ」

「じゃあ、真っ向な手段で俺等を旗下に呼んで下さいよ!」

「補佐官さんだけ一緒だなんて、狡いじゃないですか!」

「ソーンの奴だけでも面倒極まりねえってのに、お前等みたいなのを抱え込むのは、もっと落ち着いてからにしてえよ。――もうちょっと偉くなってから、知るといい」


 本気を半分以上滲ませて、イースとラーグは隊長から何かしらの言質を取ろうとするが、飄々と隊長はかわす。彼らとて、そうそう都合良くいつまでも隊長隷下でいられるなどとは考えていない。だがその得体の知れなさも含めて、彼らはこのアンスーズ隊長に心酔しているのだ。別れたくない。


「隊長、慕われておりますね?」

「ウリヤンド、その表情と台詞が一致してねえぞ?」


 珍しく意地の悪い表情を浮かべているウリヤンドと対照的に、隊長の顔色は今ひとつさえない態とらしい苦笑だ。そんな彼らを一見傍観しているフェフの心の内は、平穏とはほど遠かった。

 隊長と補佐官さんは居なくなる――それはきっと“異動する”という意味ではない。

 きっと“ルーニック軍団兵”としての隊長も補佐官さんも、居なくなる(・・・・・)のだ。フェフにはそれが確信できた。



* * * 



「今日はどうしようか、ナディ?」

「…………外に出てみたい」


 午前のまだ肌寒い、それでも清冽な空気を大きく開け放った窓から取り入れながら、フェフは昨日と同じようにナウディーザに声をかける。返ってきた返事は、相変わらず線の細いものだったが内容は前向きなもので、振り返ったフェフの顔には輝く様な笑みが浮かんでいた。


「そう? じゃあ、どこがいいかな? とりあえず僕達の畑でも見てみる? この時期だから青菜が少しと根菜くらいだけど。それとも牧場の方がいい?」

「……フェフ副~長……、もうちょっと色気のある場所に誘いましょうよ……」


 何も疑わない素直な口調で兵営周囲の環境を口にするフェフを、一緒に食事を運んできた第二班のネテルが呆れた調子で(たしな)める。何がいけないのか本気で分かってなさそうなフェフの表情に、ネテルは苦笑して客間の彼女に視線を合わせた。その瞬間、彼女の表情が少し強張る。兵営の皆の中では、何故かウリヤンド所長とネテルにだけは辛うじて怯えない彼女だったが、フェフ副長に見せるような態度とはまだまだほど遠い。


「せっかくなんですから、もうちょっと綺麗な場所とかがあるでしょう? ほら、川の方とか、遺跡の丘の方とか?」

「でも遠いだろう? まだナディは本調子じゃないし、兵営の周囲だけでいいかなって思ったんだけど」

「ええ、それはそうなんですけどね……」


 疑うこともなく素直に愛称(ナディ)で彼女を呼んでいるにも関わらず、どこまでも朴念仁というか物慣れないというか。ネテル自身は実直な性格で、決して女性あしらいが上手な方ではないが、いくらなんでもフェフ副長やクワートよりはマシだと思っている。とはいえ副長に対し、イース班長達のような揶揄(からか)いをするつもりは毛頭無いので、一つ息を吐いて二人分の食事盆を置くと、ナウディーザが困らないうちにさっさと部屋を後にした。

 フェフは彼女を促して一緒に着席し、朝食をとる。一昨日の夕食から、ナウディーザはフェフと同じ部屋で食卓を囲むようになった。


 ナウディーザが“現れて”から、4日目。明後日の夜には還元の火祭り(サムハイン)を迎える。

 ウリヤンド所長はストライフ兵営長とようやく交替復帰となるため、何とか兵営の皆とも慣れて欲しいフェフの心境だ。だが、最初に見せた隊長への怯えはともかくとして、他の兵達への態度はまだ覚束ない。軍団派遣兵の皆に対しては身体を強張らせるし、クワートたち地元兵にも決して緊張を解かない。

 人見知り、と言うにはかなり強烈なその態度に、残念さを滲ませる隊員達だったが、無理強いをするほど彼らは悪辣ではない。遠巻きにしつつ、それでも窓辺に姿を見かければ返事を期待しない声をかける、くらいの接触を誰もが自然に行ってくれていた。

 同じ色彩、同じ異能の力。それだけでは無いかも知れないが、ともかくもナウディーザはひな鳥のようにフェフにだけ近づく。その姿に、フェフはかつて見たドルヴィ管轄部門での生活を思い出す。棄児であった彼自身は記憶すら曖昧な幼少時からそこに居たが、ある程度成長してから手放されてやってきた多くの【能力者】達は、最初の内はみな今の彼女と同じような態度を示したものだ。

 『同じでない』家族達との別れに、哀しみ、諦め、安堵しながら。

 『同じ者』達との暮らしに、喜び、怯え、躊躇いながら。

 その記憶が懐かしく、そして心の棘のように感じた。


* * *


「フェフ副長はともかく、なーんでウリヤンド所長とネテルさんだけなんでしょうね?」


 少しだけ納得がいかないクワートは、彼女が現れ兵営の皆への“怯え”を示した翌日、イース班長に向かって愚痴っていた。確かに、ネテルよりはクワートの方が親しみやすい雰囲気を持っている。子ども受けもする彼としては、下心はともかく『怯えられた』という事実がかなり衝撃的だった。


「そりゃまあ、なんとなく分かるけどな。クワート、その二人の共通点、分かるか?」

「えっと……二人ともディングルの旧家出身ってことくらいですかね?」


 ウリヤンドほどではないが、ネテルもディングル市の旧家出身の地元兵だ。ウリヤンドとは容貌も性格も異なるし、年齢も十ほども違う。それ以外の共通点は思い当たらなかった。


「そこだろ、そこ。彼女、今はまだ俺等を『個々の人間』としての見方じゃなくって、血脈の伝統で見てるんじゃないかな? 本質的なものっていうかさ。だってお前も見ただろ? 彼女の、俺とラーグへの怯えっぷり?」

「えっと……はい、あれはちょっと凄かったですね……」


 確かに出現の翌日、兵営の皆への顔合わせを行うことになったナウディーザは、最初に入室したウリヤンドには朧気ながらもほっとした表情を見せたのだが、ついで入室したイースとラーグには悲鳴を上げて怯え、寝台の影に隠れたのだ。さすがの二人も、見事な拒絶反応に唖然としたものだ。


「あれは、俺等の“正体”を見極めたからの怯えっぷりだよ、クワート。俺等は隠すつもりも飾るつもりもない、正真正銘の『前線の軍団兵』だ。身に染みついた血の臭いは消せやしないさ」

「っ! そんな言い方……オレ、班長達のこと、本当に尊敬しているんですよ! そんな風に言わないで下さいよ!!」


 自嘲気な言葉に、何故か涙目になりながら抗議するクワートを、イースはやや苦笑しつつ内心では嬉しく思う。だが口にした思いは本心からのものだ。あの彼女は、一瞬で彼らの本質を――『誰かを傷つける者』であることを見抜いたのだ。


「所長とネテルは、ディングルの――つまり、ここオガム古来の血脈を受け継ぐ者達だろ? 彼女の様な“古人(いにしえびと)”とまではいかなくても、同じ太古の流れを感じるんだろうさ。別に変なこっちゃないさ」


 ナウディーザが所謂『古人(いにしえびと)』の末裔らしい、ということは隊員達にも説明されていた。一方的でほとんどしどろもどろであったとは言え、根気強く語りかけ続けたのが功を奏したのか。翌日には何とかフェフには口を開く様になっていた彼女から、副長が何とか聞き出した多少の身の上話もそれを裏付けていた。

 そこまではいかなくとも、ここオガムの地も太古から盟約の神々を奉じてきた土地だ。その血脈に、親しいものを感じ取ってもおかしくはない。


「だから、クワート。別にお前が格好悪いからだとか、女あしらいが悪そうだからって訳で振られたんじゃないだろうよ」

「だ、誰がそんな意味で言いましたかーーっ!」


 ティールがいなくても、結局誰かに構われる(さが)のクワートだった。



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