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人の間の、引力の虹【その1】

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お待たせいたしました。最終章、開始いたします。

今章は話構成を優先した区切りのため、各話で文字数がかなり変動します。(5~7千字台の範囲)





「隊長、次はこちらをお願いします」

「ん~なんだ、こいつは?」

「勤怠表のまとめですよ。これくらいなら隊長でもできるでしょう?」

「……なんだか面倒くせえやつだなーっ フェフにやらせろ、フェフに」

「副長は外回りのお仕事をなさってます! 自分だけさぼろうとしないで下さい!」


 その日も隊長は、兵営長代理であるウリヤンドから様々な仕事を割り振られて、辟易した態度を全面に現していた。逃げようにも毅然(きぜん)と立ちふさがる彼に、隊長はしぶしぶ文書に手をつけた。

 今回の“兵営長代理”任務にやる気を見せるウリヤンドは、今までの押しの弱さが嘘のように隊長に逃げる隙を与えず、意外と上手く隊長を動かしている。彼とて第25隊では第四位。もともとの育ちがよいこともあって、“人を使う”こと自体には慣れているのだ。

 夏にあった軍の監査、そして今回のストライフ兵営長の愛娘の病臥に始まった一連の“大事件”を超えて、彼も少しは肝が据わったようだ。ソーン補佐官が不在の現在において、兵営で一番キリキリと働き、第25隊の皆を使いこなしているのはウリヤンドである。

 そんな部下の成長ぶりには感心するが、隊長としては『うるさいのが増えやがった……』という心境だろう。そんな彼らを、兵営の皆はどこか物珍しそうに、そして複雑な心境で見守るのであった。


「第一、冬を前にしたこの一番忙しい時期に、ご自身の片腕を遠くにやる隊長が悪いのですよ。おかげで貴方だけではなく、隊の皆もいい迷惑です!」

「――んなこと言ったって、仕方ねえだろうが」

「やむを得ない事態であり、適切な対応であることは間違いありませんけれどね。それにしても、何もソーン補佐官さんでなくとも。王都に向かわせるのは、せめて私にしておけば良かったのでは?」

「身重の妻がいる奴を、冬至(ユール)過ぎるまで戻ってこれねえ遠出の(つか)いに出すほど、俺は薄情じゃねえよ」


 ソーン補佐官は現在、一連の『黒の神官』によって引き起こされた事態の説明のため、王都に遣いに出ている。――それが第25隊の皆に伝えられた説明だった。

 皆がみな、納得しているわけではなかったが、それが“表面的な”真実だった。ウリヤンド自身もどこか腑に落ちない気持ちはあるが、茶化してはぐらかすばかりの隊長はもとより、必要以上に黙して語らないフェフ副長の態度に、それ以上の追求の無駄を悟りやむを得ず引いているだけに過ぎない。


* * *


 あの日。コール少年が行方不明となった、あの日。

 ウリヤンドたち兵営に残った役付き達の前に、血みどろの(カンバイ)が突然現れた。初めてみる『転移』の現象に絶句して立ち尽くすだけだったウリヤンドを後目(しりめ)に、ソーン補佐官はすぐさま犬の怪我を確認し、万全の手当を施した。それを隊長が厳しい表情で見守っていた。

 そして、しばらくの後。

 今度は腕に同じく刀傷を負ったコール少年が現れたのだ。

 色々な感情を爆発させて泣きじゃくる少年から、ソーン補佐官は必要最低限のことだけを聞き出し事態を確認した後に、無言のまま厳しい無表情で部屋を出て行った――その時からウリヤンドは、彼の姿を見ていない。

 隊長は少し落ち着きを見せたコール少年の怪我を手当てし、幾つかの指示をウリヤンドに与えた後に馬を駆って出て行った。一人兵営に残されたウリヤンドは、ともかくもコール少年の世話をしながら、皆が戻ってくるのを待つしかなかった。

 一方、街道沿いを警邏(けいら)していたラーグ以下第二班は、鞍も付けない裸馬(はだかうま)のまま現れた隊長にまず驚き、ついで告げられた事態を聞いてさらに愕然(がくぜん)となった。


「フェフが危機だ。相手は黒の神官。コールは保護した。

 ラーグ、お前は半分を連れて兵営に戻れ。残りはコールを探索している町衆への声かけ。俺は現場に向かう。戻るのを待て」


 相変わらず無駄のない隊長の指示だが、今回は説明不足にも過ぎる。だが慣れたラーグは問い(ただ)したい気持ちをグッと堪えて、素直に指示に従った。それほどまでに、有無を言わせない真剣さだった。


 日が落ちた頃。

 フェフ副長を見失ったまま、東の森周辺で今後の行動を決めかねていたエイワーズ班長以下第三班の皆の前に、全身に血を滲ませたフェフを背負って、厳しい表情の隊長が現れた。フェフの隊服には切り裂かれた跡が数多く残り血にまみれていたが、重傷と呼べるほどのものがないことにまずは安堵する。だが、いったんフェフを彼らに預け、隊長はエイワーズとゴートを連れて再び森奥へと向かった。その先で、エイワーズは強烈な二人(・・)の姿を目にすることになる。

 町衆とさほど変わらない平服に身を包んだオガム人らしい男は、片膝が砕かれているようで足が奇妙に歪んでいた。同じく片手は肩から砕かれ、だらりと垂れ下がった状態だ。先ほどのフェフと同じように、複数の切り裂かれた怪我も目立つ。その男は、損傷による苦痛からなのか意識を失っていた。隊長はエイワーズとゴートに彼を背負って戻るように指示する。

 そして隊長が引き摺るように腕をとって担いだのは、黒い神官衣に身を包んだ美貌の青年だった。『黒の神官』に違いないとは思うものの、エイワーズは怪訝(けげん)な印象を隠せなかった。彼は気を失ったりはしていなかったが、うつろな瞳で何も見えていないような表情だった。隊長に担がれるように負われて隊の皆の元に戻る間、どこか子どものように明るく無邪気な声の呟きとクスクス笑いが時折響いた――正気でないことが感じられる声だった。


 日も暮れて、ようやく兵営に出そろった隊員達に説明された「今回の事態」は次のようなものだった。

 『町での出来事に対する意趣返しとしてフェフを狙った神官が、コール少年をおとりにしようとし、結局フェフがそれに関わってしまい命の危機にさらされた』――ここまでは真実の通りだ。だが、どうしてフェフが助かり、また黒の神官と護衛兵がこのような状態になったのかについては、隊長もフェフも真実を話さなかった。

 コール少年の『転移』によって異常に気付いたソーン補佐官が先行し、隊長はラーグ達に指示を与えた後に現場に向かった。そして彼らがフェフを助け、黒の神官達を撃退した、という結果だけは正しいものだ。だが――そこで起きた「出来事」についてはフェフも口に出来なかった。

 事態の異常さを踏まえ、その場でソーン補佐官は神殿勢力への対応体制を整えるため、急遽(きゅうきょ)王都への事情説明に旅立ったのだと隊長から説明された。そこで初めて補佐官さんの不在に気付いた隊員達も居たくらい、皆は混乱していた。

 よって、よくよく考えれば考えづらい異常事態――あの規律正しいソーン補佐官さんが、いくら隊長の指示とは言え、隊の誰一人にも顔を合わせることなく、また自分が不在中の警句を発することなく居なくなる――は、いったんは受け入れられていた。

 翌日、ストライフ兵営長、イース班長と何故かティールまで伴って戻って来た役付きたちもその説明を聞いたが、事態を確認していない彼らには納得しかねるものであった。しかし隊長は何も語る態度を見せず、またフェフも珍しく固く口をつぐんでいる現状ではこれ以上の追求は無駄と考えたようで、胸にわだかまるものを秘めたまま、彼らは当面の“処理”に取りかかることに専念したのだった。


 『黒の神官』ウィアドと神殿兵ファーンは、今度こそ厳しい処分を免れぬはずだった。

 慌ててやってきたディングル神殿の正神官ケニングは、表面上は沈痛な面持ちで第25隊への謝罪を示したが、隊長から会合への同席を命じられたウリヤンドは、自分たちに向けてではない明確な怒りを彼から感じていた。

 コノルド使国の「(間諜)」であるケニング神官にとってみれば、不本意にも程がある。何一つ“役割”を果たせないまま『黒の神官』という極上の手駒を退場させるしかない事態。それが、自分が仕掛けた策の結果であったり、それに対する第25隊からの反撃によっておこされた事態ならば、まだ諦めがついただろう。まさか「手駒」がこれほどまでに愚かな行動をとるとは思ってもいなかった。

 彼も「枝」を務めるほどの人材、ある意味真っ当な思考を持っている。だからこそ『黒の神官』の行動の意味が分からず、腹立たしい。だが――実際のところ、ウィアドを公に罪に問うことは難しい。『黒の神官』であるからではない。否、今のウィアドは【神力者(オーピル)】としての力を失った、ただの人間だった。

 何があって彼が【力】を失ったのか。それはケニングにも分からぬことだった。神殿兵ファーンは自分が負傷した前後のことを一切覚えておらず――それはウィアドも同様、それ以上の精神状態であり、何一つ当事者達から確認できなかったのだ。

 ウィアドは、自分がしでかしたことを何も覚えていなかった。いわゆる「子ども返り」をおこしている状態で、ケニングが彼と出会った頃、【神力者(オーピル)】になる以前の頃まで記憶も精神も退行していた。無邪気な顔でただフサルク神への信仰を口にする、敬虔な神の(しもべ)。もはや「手駒」になり得ない、ただの神官。

 本当ならば、彼を使ってこのルーニックに災いをもたらすはずだった。フサルク神官ではあるが、それ以上にコノルド使国の「枝」としての自分に誇りを抱いているケニングにとっては、無念で仕方なかった。


「……今回のこと、神殿として弁解のしようもございません。なれど、その罪に対する罰は、すでに神よりもたらされました――神の恩寵を失い『黒の神官』でなくなった者を、少しなりとも哀れんでいただけるのであれば、なにとぞ慈悲を」

「俺の隷下(れいか)にあるヤツらに対する害意とは言え、俺の意向でどうこうできるもんじゃねえよ。そんな“なんとかなる程度”で済ませられなかった、お前の失態だ、これは。ルーニック国としての正式な対応は避けられん」


 あまりに真っ当なアンスーズ隊長の言に、ケニングは悔しさを滲ませて唇を噛んだ。自分とさほど変わらない年齢であろう目の前の隊長は、その言葉とは裏腹に意外なほどまでに彼に対する(いたわ)りの念をその瞳に映していた。


「……俺は、お前さんみたいな奴は嫌いじゃねえよ。自分に正直で、人間味にあふれる奴らはな。お前さんは無念だろうが、これで“終わり”と決まったもんじゃねえだろう? 諦めねえであがいてみりゃいいさ。お前さんみたいな“人間らしい”奴なら、まだまだ頑張れるだろう? お前さんにはその力があるさ。

 ――あの坊やだってそうだ。あれ(・・)は結局のところ“フサルクのもの(・・)”だからな。今は力を失ってるが、本人がもう一度望めば再び力を得ることだってあるだろうさ……その際には、今度こそちゃんと『神の力』について自覚させてやれ。

 ま、ルーニックの軍人としては、どっちも頑張って欲しくはねえがな?」


 隊長は相変わらずの飄々(ひょうひょう)とした態度だが、偽りとは思えない激励が感じられた。どうしてそんな態度に出られるのだろう、だが何となく素直に受け入れられる。

 ケニングとしても、これで“終わる”つもりなど毛頭ない。

 一時退却はやむを得ないが、自分が望んで得た“使命”を放棄するつもりはなかった。彼にとって『フサルク神官』という地位は、道具に過ぎない。たまたま“向いていた”だけのこと。信仰心は一般的なものとさほど変わりないが、その事実を上手く奥にしまい込み武器として使うことで、現在までの地位を得て本来の目的を果たしてきた。

 彼にとっての第一の敬愛と崇敬の対象は「自分の国(コノルド使国)」だ、「仕えたいと望んだ主君」だ。それを見越しているであろう隊長の言葉と態度には、彼のその信念を鼓舞するような温かさが何故か感じられた。


「自分自身の力を頼んで、人間らしく後悔しながら努力する奴らが、俺は好きなんだよ。それが敵に回る場合であってもな。だからお前さんには、とりあえず“無事に”お戻りいただきたいところだな。その方が面白れえ」

「――隊長。さすがに、それは聞き捨てなりません。一応、ご自分の“立場”とか“職位”とかを、少しは考慮なさって発言下さい」

「まあ、そういうな。ウリヤンド。戯れ言だよ、戯れ言。

 さてと。グダグダ言っていても仕方ねえ。神官さんよ、一応『謝罪』ってやつは受け取るけどな? 後は“上”のやり取りだ、俺は直接関わらねえ。後はお前さんが頑張りな」


 話は済んだ、とばかりに投げやりな口調に戻った隊長は、ウリヤンドを促して神官を退出させた。不本意なケニング神官の表情ではあったが、彼もこれ以上の働きかけが無為であることくらい承知している。つかみ所のない隊長の姿を眼に焼き付けて、彼は冷たい視線の隊員達に見送られて兵営を後にした。

 何一つめぼしい成果を上げることなく退場せざるを得ない身であるとはいえ、彼にはこれからの事後処理という大きな難題が控えている。神殿関係者として『黒の神官』を失ったことへの対応、コノルド使国の「枝」として不調に終わった計略の後始末。考えるだけでも頭が痛いが、神官ケニングの心には僅かな昂揚があった。

 このままでは終われない。

 自分が信ずるもののため、彼もまた振り返りながらも前に進む人間だった。





前章の後始末的な解説話でした。

本当はケニング神官はもう少し活躍するはずでしたが、冗長すぎるためバッサリとエピソードを削りました。今後、知らないところで暗躍してくれることを願っています(?)

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